『早乙女カナコの場合は』 いつの時代?

日本映画

原作は『私にふさわしいホテル』柚木麻子の小説『早稲女、女、男』

監督は『無伴奏』矢崎仁司

主演は『リトル・フォレスト』などの橋本愛

ちなみに本作は『私にふさわしいホテル』と同じ原作者による関連作みたいになっている。『私にふさわしいホテル』の主役だったのんは、同じ役柄として『早乙女カナコの場合は』にも顔を出している。

物語

大学進学と同時に友達と二人暮らしを始めた早乙女カナコ。入学式で演劇サークル「チャリングクロス」で脚本家を目指す長津田と出会い、そのまま付き合うことに。
就職活動を終え、念願の大手出版社に就職が決まる。長津田とも3年の付き合いになるが、このところ口げんかが絶えない。⻑津田は、口ばかりで脚本を最後まで書かず、卒業もする気はなさそう。サークルに入ってきた女子大の1年生・麻衣子と浮気疑惑さえある。そんなとき、カナコは内定先の先輩・吉沢から告白される。
編集者になる夢を追うカナコは、長津田の生き方とだんだんとすれ違っていく。大学入学から10年―それぞれが抱える葛藤、迷い、そして二人の恋の行方は―

(公式サイトより抜粋)

早稲女という生き物?

原作は『早稲女、女、男』という小説とのこと。どうやら早稲女(ワセジョ)というのは、男と女とはまた別のカテゴリーに分けられるものらしい。女とは別の生き物ということなのだろう。

私は原作を読んでないので、詳細は不明だけれど、原作では「大学あるある」がネタになっているようだ。大学には様々なカラーがあって、女子学生もそれによって違ってくる。早稲田に慶応、日本女子大学、立教、青山学院という各学校の差異が描かれているっぽい。しかしながら映画版はそうした「大学あるある」ネタは省かれ、早乙女カナコ(橋本愛)という女性を中心にした物語となっている。

カナコというキャラは、男勝りでしっかり者だ。化粧っ気というものがなくてオシャレもしない。プライドが高くて、不器用だとも言われる。多分、これが一般的な早稲女のイメージということなのだろう。

とはいえ、『早乙女カナコの場合は』では早稲田大学の名前は出てこない。しかしながら、早稲田近くでロケはされていて、神田川も出てくるし、早稲田松竹も顔を出したりもするから、モデルが早稲田大学なのだろうということは推測できる。それでも一応、大隈講堂は大沼講堂という名前になっていたりもして、架空の大学という設定なのだ。そして、本作はカナコが大学に入学したところから始まり、それから10年後までが描かれることになる。

©2015 柚木麻子/祥伝社 ©2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会

カナコと周囲の人々

カナコは大学に入ってすぐに長津田啓士(中川大志)と出会う。長津田は演劇サークルを主宰しているものの、脚本は書いていない。それでも何かを書きたいという想いはあるようだ。本作は恋愛映画っぽくも見えるけれど、二人の恋愛が成就する場面はかなりあっさりとしている。その関係がその後にどんなふうに変化していくかという点に焦点があるのだろう。

男勝りのカナコに対して、ほかの女子大からサークルに来ている本田麻衣子(山田杏奈)はいかにもお嬢様然としている。パーマをあてた髪に、フリフリのスカートという出で立ちで、男に媚びるようなところもある。カナコとはまったく対照的なイメージなのだ。麻衣子は長津田のことが好きになり、積極的に彼にアプローチすることになっていく。

その後のカナコは、就職するつもりもない長津田に嫌気が差している。すでに大学4年になり、カナコは出版社への就職も決まる。しかもその出版社で、バイト時代から世話になっているハイスペックな先輩・吉沢洋一(中村蒼)からは告白されたりもしている。友人からすれば、長津田から吉沢に乗り換えることに何の疑問もないはずなのに、なぜかカナコは躊躇してしまう。妙に生真面目なところがあるのだ。

さらに慶野亜依子(臼田あさ美)というキャラも登場する。亜依子はいつも人生の先を見据えている。5年計画で人生を考えていたらしい。結婚し、子どもを作り、幸せというゴールに向かう。ゴールが明確に見えていれば、今何をすべきかが見えてくる。カナコが使っていたノートは真っ白で、先のことは何も記されていなかったことと対照的なのだ。ところが亜依子は実際には計画倒れに陥ってしまう。実は亜依子の元カレは吉田で、彼にフラれたのだ。亜依子曰く、ベクトルが違ったり、スピードが違ったりすると、男女関係はうまくいかないのだ。

©2015 柚木麻子/祥伝社 ©2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会

スポンサーリンク

 

いつの時代?

本作はカナコとは対照的とも言える二人の女性キャラが、その差異によってカナコの位置を確認させるようになっている。麻衣子と亜依子は、カナコとの関係の中で成長したところがあったけれど、一方でカナコ自身はきっちりと編集者になるという夢は叶えたものの、長津田との関係を引きずっている。最終的には就職してから6年後、二人は再会することになるわけだけれど、ハッピーエンドというよりは腐れ縁みたいな印象だった。

10年という長い時間を描いているにもかかわらず、一切劇的なことがない。これはリアルと言えばリアルかもしれない。主人公カナコを演じた橋本愛は、ほとんどすっぴんだった。しかしながら、着飾ることがなくても美しかったし主役の存在感があったと思う。

©2015 柚木麻子/祥伝社 ©2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会

ひとつ気になったのは、本作がいつの時代を描いているのかが謎に思えたところだ。最初からTwitterらしきSNSは登場していたけれど、妙に古臭いところがあるように思えたのだ。この古臭さは早稲女をモデルにしているからというよりも、単なる製作陣(監督と脚本家)の趣味なんじゃないだろうか。

長津田の推しは、『ママと娼婦』などで知られるジャン・ユスターシュとなっていて、演劇部のドアに「死者を起こすには、強くノックをすること」という貼り紙をしていた。これはジャン・ユスターシュが自殺した時に遺していた言葉なんだとか。カナコはこの言葉を知っていて、そのことが長津田とカナコを結びつけるきっかけとなっている。

さらに言えば、本作に出てくる映画の趣味も結構古臭い。ゴダール『はなればなれに』のポスターがどこかに貼られていたし、名画座・早稲田松竹で上映されていたのはデレク・ジャーマン『テンペスト』『エドワードⅡ』だった。こんな映画のセレクションだから、一体いつの時代を舞台としているのかがわからなかったのだ。

しかし中盤あたりでカナコが就職が決まった時が、2017年であることが判明する。そうなると本作はその前に大学の4年があり、その後に6年が経過することになるわけで、2014年くらいから2023年くらいまでが描かれていることになる。つまりは現代の話ということになる。

確かに卒論の話の時には、「グローバル」とか「多様性」という今風のキーワードが出てきている。そういう点では現代なのだけれど、妙に昭和めいた古臭さがあるのだ(今の若者がワルツを踊ったりするだろうか? 演劇人だから?)。もちろん二人の趣味は、長津田とカナコが古い映画をよく知っているセンスのいい若者ということを示してもいるのだろう(ユスターシュに『はなればなれに』なのだから)。けれども、それ以上に製作陣の趣味が出ているように感じられて、そこが気にかかった。

矢崎仁司作品では『無伴奏』という作品も、なぜ2016年に40年以上も前の全共闘運動の物語が描かれなければならないのかという点が大いに謎だったのだが、『早乙女カナコの場合は』も現代の話なのに時代感覚にちょっとズレがあるように感じてしまった。

 

コメント