原作は中尾太一の詩集『ルート29、解放』。
監督は『こちらあみ子』の森井勇佑。
主演は『リボルバー・リリー』などの綾瀬はるかと、『こちらあみ子』の主演としてデビューした大沢一菜。
昨年11月に劇場公開され、今年6月4日にソフト化された。
物語
他者と必要以上のコミュニケーションをとることをしないのり子は、鳥取の町で清掃員として働いている。ある日、仕事で訪れた病院で、入院患者の理映子から「姫路にいる私の娘をここに連れてきてほしい」と頼まれた彼女は、その依頼を受け入れ、単身で姫路へと向かう。理映子から渡された写真を頼りに、のり子が見つけることができたハルは、林の中で秘密基地を作って遊ぶような風変わりな女の子だった。初対面ののり子の顔を見て、「トンボ」というあだ名をつけるハル。2匹の犬を連れた赤い服の女、天地が逆さまにひっくり返った車の中に座っていたじいじ、「人間社会から逃れるために旅をしている」と語る親子、久しぶりに会った姉など、さまざまな人たちと出会いながら、姫路から鳥取まで一本道の国道29号線を進んでいく2人の旅が始まった──。
(公式サイトより抜粋)
詩から生まれた映画
精神病院らしき場所にいる母親に娘を送り届けるというロードムービーなのだが、シュールな味わいの作品になっている。
なぜシュールなのかと言えば、登場人物の台詞のやり取りがみんな棒読みで、誰もが無表情で内面の捉えようがない感じだからだろうか。それなりに笑わせようというふうなところもあるけれど、ボケに対してツッコむキャラもいないために観ている側も戸惑ってしまうところもある。
そもそも遠景の場面が多く、登場人物の顔もはっきりしないところも多い。しかも、制服の中学生の女の子が主人公なのかと思わせておいて、実は主人公がすれ違っただけの端役だったりする冒頭からしてかなりトリッキーだ。
ラストに登場するキャラなんかは、すり足で登場し、ほとんどしゃべらずに舞台からゆっくりと消えていく。その姿を見ていると、能舞台でも見ているような気持ちにもなってくる。わかりやすいハートウォーミングなロードムービーとはまったく違ったものになっているのだ。
ちなみに原作は詩なのだとか。どんな詩なのかは知らないけれど、本作のような物語があるとは思えないわけで、森井勇佑監督が詩から得たインスピレーションを膨らませて出来上がったということなのだろう。

©2024「ルート29」製作委員会
奇妙な旅の顛末は?
主人公ののり子(綾瀬はるか)はある女性から娘を連れてきてほしいという仕事を頼まれる。のり子はその頼みを受け入れることになるのだが、それがなぜなのかはよくわからない。のり子は人付き合いが苦手なのか、人との関わりをなるべく避けているように見える。そんなのり子がなぜかその仕事だけはやり遂げようとするのだ。
ちょっとだけ仄めかされているのは、のり子が何らかの病を抱えているかもしれないということだ。そのことがきっかけで気持ちの変化が生じたのかもしれない。
のり子が母親のもとに連れていこうとするハル(大沢一菜)もちょっと変わった女の子だ。彼女が母親から離れてどんな生活をしているのかはよくわからない。とにかくのり子はホームレスまがいの生活をしているようにも見えるハルを連れ、姫路から鳥取まで「ルート29」と呼ばれる道を通って旅をすることになる。
犬を探している赤い服の女(伊佐山ひろ子)や、人間社会を嫌い山で生活する親子(高良健吾&原田琥之佑)など、かなり変わったキャラが登場することになるのだが、一番奇妙なのはじいじ(大西力)かもしれない。このじいじは事故ったと思しき車の中で発見されるのだが、じいじが奇妙なのは生きているのか死んでいるのかよくわからないからだ。
森井勇佑監督のデビュー作『こちらあみ子』でも、あみ子にとっての世界は、生と死の境界は曖昧なものになっていたけれど、『ルート29』の世界もそういうところがあるのだ。じいじはしばらくはのり子とハルの旅のお伴をするのだが、途中でカヌーに乗って去っていく。じいじはそこでようやく死の世界へと渡れたものらしい。
のり子はそんなこともあまり気にかからないようだ。というのは、久しぶりに再会した姉(河井青葉)が指摘するように、のり子は他人に興味がないからだろう。この姉は優しい口調でのり子のことをこっぴどく罵倒することになる。「人間として生まれたからには人間として生きていかねばならない義務がある。その義務を放棄した人間は地獄へ行く」云々とのり子を否定するのだ。
これはもしかすると本作の中で唯一の真っ当な人であるかもしれない姉として、妹を心配してのことだったのかもしれない。のり子としても「変わらなければ」という思いがあればこそ、ハルを送り届けるという仕事を引き受けたのだろうし、この旅がのり子の成長へと結びつくということなのかもしれない。

©2024「ルート29」製作委員会
意外なラスト
そんなわけでラスト近くでハルをようやく母親のもとへと送り届けることになるのだが、意外だったのはラストの空飛ぶ魚の場面だ。その前にハルの夢として砂漠の上を泳ぐ魚の話が出てくる。似たような夢はのり子も共有していたことも明らかになる。意外というのは、最後に空飛ぶ魚が登場するのがちょっと唐突だったようにも思えたからだ。
と同時に、「森井勇佑監督はチェン・ユーシュンのことが好きなんだろうか?」とも思えた。というのも、ラストの空飛ぶ魚は、チェン・ユーシュン監督の『熱帯魚』のラストにそっくりだからだ。恐らく『熱帯魚』を観た人なら、そんなふうに感じる人も多いんじゃないだろうか。
本作ののり子はハルを母親に送り届けることになったけれど、それは誘拐と勘違いされ、ラストではのり子は警察のお世話になることに。同じように『熱帯魚』も、予期せぬ誘拐騒動によってみんなが翻弄されるという話だったのだ。
さらに付け加えれば、ラスト前の赤い月が浮かぶシークエンスでは、世界が動きを止めてしまったのに、のり子だけが動いているという不思議な現象が起きていた。これもやはりチェン・ユーシュン監督の『1秒先の彼女』でやっていたこととよく似ているだろう。
森井監督が意識してやったことなのかはわからないけれど、もしかするとチェン・ユーシュンがお気に入りなのだろうか。二人の作品は全然タイプが異なるような気もするけれど……。
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