『ルノワール』 スタイルを変えて挑む

日本映画

監督・脚本は『PLAN 75』早川千絵

主演はオーディションで選ばれた鈴木唯

カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された。

物語

日本がバブル経済絶頂期にあった、1980年代のある夏。11歳のフキは、両親と3人で郊外に暮らしている。ときには大人たちを戸惑わせるほどの豊かな感受性をもつ彼女は、得意の想像力を膨らませながら、自由気ままな夏休みを過ごしていた。ときどき垣間見る大人の世界は複雑な事情が絡み合い、どこか滑稽で刺激的。だが、闘病中の父と、仕事に追われる母の間にはいつしか大きな溝が生まれ、フキの日常も否応なしに揺らいでいく――。

(公式サイトより抜粋)

11歳のフキによると世界は

『ガープの世界』という小説(あるいはそれを原作とした映画)があったけれど、この作品タイトルの原題は「The World According to Garp」というものだ。これを直訳すれば、「ガープによると世界は」という感じになるらしい。ガープという主人公から見た世界はこんなふうになっている。それが『ガープの世界』が描こうとしていたものだ。

そこからすれば、本作は「11歳のフキによると世界は」というタイトルになるかもしれない。実際のタイトルは「ルノワール」というもので、これは劇中にちょっとだけ顔を出す『可愛いイレーヌ』というオーギュスト・ルノワールの絵画から採られているけれど、これにさほど意味はないらしい。

早川千絵監督は、本作のフキと同じく1980年代に11歳だったようだから、フキという主人公は早川監督の分身のようなものなのだろう。本作はそんなフキを主人公とし、フキの目線でこの世界のあり様を見ていくことになる。

フキ(鈴木唯)はこの世界をとにかく眺めている。まだ何もよくわかってはいないけれど、興味津々で見つめている。彼女の父親(リリー・フランキー)はまもなくガンで死ぬらしい。それについて悲しいのかどうかもわからないけれど、ただ父親のことを不思議そうに見つめている。

現実的で合理主義者の母親(石田ひかり)は、旦那のことは諦めているふうでもあり、その頃出会った男性(中島歩)といい関係になりつつある。フキはそんな大人たちの姿をじっくり観察している。

死について、家庭について、大人というものについて。時に見つめ過ぎて、大人をたじろがせたりもする。時にちょっかいを出して、世界にちょっとだけ変化を生じさせたりもする。時には自分の考えを正直に作文に書いて、先生を唖然とさせることになったりもする。とにかくそんなフキという女の子から見た世界を描いていくのだ。

©2025「RENOIR」製作委員会+International Partners

危なかっしい世界

フキは大人からすれば、こしゃまっくれた嫌な子供だろう。子供のくせに何だかすべてを見通しているような目で世界を見つめているからだ。両親が派手にケンカをしている傍で、急に笑い出したりして母親からすごく嫌な顔をされたりもする。通常ならケンカを止めてほしくて泣いたりしそうなものだけれど、フキはつい笑ってしまったのだ。妙に悟り切っているようにも見えて、大人としても扱いに困るのだろう。

とはいえ、フキにはまったくわからないものもある。わからないから知りたくなって、それに近づいてみたりもする。しかし実はそれはとても危険なものなのだ。ところがその危機を察知する能力がまだ全然備わってないフキは、単なる興味・関心だけで危なっかしい世界へと足を踏み入れてしまうことになる。

『ルノワール』では、なぜかそういうヤバい男が何度か登場する。フキと同じマンションに住む女性(河合優実)は、旦那がマンションから転落死してしまったのだという。そのきっかけもそんな危なっかしい世界が関わっている。冒頭でフキが観ていた子供たちが泣いているだけの不思議なビデオは、この旦那が捨てたものをフキが拾ってきたらしい。

フキは伝言ダイヤルという当時流行った出会い系のアイテムで、自称大学生の男(坂東龍汰)と出会うことになる。フキがオシャレをして出かけることで何を期待していたのかは謎だけれど、小学生の女の子と会いたいと願うような男はもちろんヤバいことが目的だったわけで、フキは明らかにヘタを打ったのだ。完全にアウトな状況で、ほとんど絶体絶命な危機に瀕しているにもかかわらず、フキ自身はそれにすら気づかない。

奇跡的な偶然でそれを逃れることになったけれど、この世界はそんなふうに危なっかしい世界でもあるのだ。もしかすると大人になって振り返った時、その危なかっかしさに気づくのだろうか。

©2025「RENOIR」製作委員会+International Partners

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スタイルを変えて挑む

主演の鈴木唯はそんなフキの危なっかしい姿をうまく表現していた。大人をたじろがせるほどの真っ直ぐな瞳の力強さがあると同時に、危機に対する警戒のなさには無邪気なものを感じさせる。馬のいななきの真似は鈴木唯自身の得意技なんだとか。競馬場でのシーンはちょっと異質なシーンになっていて面白かった。

父親がガンで亡くなったのは早川監督が実際に経験したことらしい(11歳ではなかったようだけれど)。劇中の父親はガンの治療法を見つけようとして民間療法に手を出したりもするものの、結局はそれも虚しく亡くなってしまう。父親が病院のトイレで絶望的な表情を見せるシーンは、本作ではあまり多くはないフキの視点とは別のもので、病で亡くなった父親への想いが感じられるシーンだった。

そんな意味では、『ルノワール』は早川監督の個人的な体験をもとにしている部分も多いのだろう。このスタイルは前作とはまったく異なるものだ。

©2025「RENOIR」製作委員会+International Partners

前作の『PLAN 75』はある種の近未来を思わせる設定があり、社会に対する問題提起を意図した作品と言える。一方で本作の場合は、監督自身の分身とも言えるフキという主人公が体験する世界を描いていく。明確な問題意識を持つ前作からすると、自分の生きた過去の時代を描く本作はテーマとしてはぼんやりとしている。それだけにエピソードはあまり有機的に結びついている感じはなく、子供の頃に体験した出来事の羅列のようにも感じられた。

たとえば本作の舞台設定は早川監督が11歳だった1980年代となっており、フキが超能力に興味を持つのは、世界の不思議を表しているというよりも、単にその時代にユリ・ゲラーみたいな人がいたからということに過ぎないのだろう。キャンプファイヤーで流れる曲が「ライディーン」だったのも、当時の流行りの曲だったからなのだろう。当時を知る人にとっては懐かしさはあるけれど、それ以上のものは感じられなかった。もちろんそれも悪くはないけれど、良いとまでは感じられなかったのだ。

それから本作はかなり相米慎二監督の『お引越し』からの影響が見て取れるのだとか。私自身は『お引越し』を公開時に劇場で観ただけだ。だから詳細はほとんど覚えていない。それでもラストのお祭りの場面だったか、主人公の女の子の何かしらの通過儀礼のようなものが描かれていたということはわかった気がするし、よくわからないながらも感動的だったのだ(今になって解説とかを読むと、結構複雑なことが描かれているっぽい)。

通過儀礼という点では本作も同じなのだろう。父親の死を経験したフキはまだ悲しいとは感じてはなさそうだ。それでも朝ごはんの食卓に父親の姿を幻視し、それがいなくなってしまったことには気づくことになる。父親の死後にフキが見た夢は、海の上のクルーズ船で踊っている様子だった。この夢が何なのかは説明されないけれど、私にはフキが思い描いた死後の世界だったようにも感じられたのだがどうだろうか?

ちなみに『ルノワール』の後に、早川監督の初期の短編作品も観た。『ナイアガラ』は介護や犯罪加害者の家族の問題を扱い、『冬のメイ』は貧困にあえぐ若者が描かれている(海外で撮影し出演者も外国人の『BIRD』はちょっと毛色が異なる)。(※1)

どちらかと言えば、早川監督は『PLAN 75』のように社会に対する問題意識を感じさせるようなテーマを描くのが好きなのかもしれない。その意味では、本作は異なるスタイルにチャレンジした長編第2作ということになるだろうか。

それでも前作と通じ合う部分もあり、それは死というものへのこだわりだったんじゃないだろうか。そのあたりを次回作でも観たい気がする。何だかんだ言いつつも、やはりそれだけが語るべきことのようにも思えるからだ。

(※1)この短編3作はちょっと前にWOWOWで放送していたものだが、『ナイアガラ』だけは現在U-NEXTで配信中。

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