監督は『オーシャンズ』シリーズや『コンテイジョン』などのスティーヴン・ソダーバーグ。
脚本は『永遠に美しく…』、『ジュラシック・パーク』などのデヴィッド・コープ。
物語
[それ]は、一家が引っ越してくる前からそこにいる。
[それ]は、人に見られたくない家族の秘密を目撃する。
母親にも兄にも好かれていない10代の少女クロエに異常なまでに親近感を持つ。
彼女に何かを求めているのか、いや、必要としているのか。
家族と一緒に過ごしていくうちに、[その存在]は目的を果たすために行動に出る。
(公式サイトより抜粋)
幽霊目線で描く家族の肖像
『プレゼンス 存在』は、全編が「幽霊」目線の映画となっている。いわゆるPOV方式というヤツなのだが、その視点の主が幽霊なのだ。幽霊というものが「存在」するのかどうかはわからないけれど、一般的には「そこに居た」としても目には見えないのだろう。ということは、目には見えない“何か”が見ているということになる。
『箱男』という映画では、箱の中から世の中を覗き見する男が主人公だった。この男は自分は決して人に見られずに、完全なる匿名性を保持しつつ、外界の世界を覗き見することを求めていた。彼は箱の中に閉じこもることで、誰からも「見られない」で一方的に「見る」立場にあったわけだ。
本作の「それ」もそういう状態にある。一方的に「見る」立場にあり、ずっと覗き見をしている形になっているのだ。視点の主は「見えない」存在なのだから。そんなわけで本作は覗き見の楽しさがある。普通は他人の家を覗き見することは難しいけれど、本作は人の覗き趣味を満足させるような作品なのだ。
幽霊目線の映画と言えば、『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』が思い浮かぶ。『A GHOST STORY』の場合は、人には見えない幽霊の姿をシーツを被った姿として表現していた。ただ、このゴーストはほとんどぼんやりと突っ立っているだけだったのに対し、『プレゼンス 存在』の「それ」は、姿は見えないけれど家の中を自由に動き回っていくことになる。
冒頭、何もない空き家の中を動き回っている“何か”がいる。家の中をスムーズに移動する「それ」の目線は、ドローンの動きのように浮遊しているように見える瞬間もある。「それ」は家の中にそうやって存在し続け、そこにある一家が引っ越してくることになる。

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壊れかけの家族
この一家は機能不全に陥っている。一家の中ではリーダーのような存在であるレベッカ(ルーシー・リュー)は、長男のタイラー(エディ・メデイ)のことが生き甲斐のようで、彼女はタイラーのために不正なことを仕出かしたらしい。それでもそれは息子であるタイラーのためということで、彼女は愛ゆえに許されると考えているらしい。
旦那のクリス(クリス・サリヴァン)は、レベッカが不正なことをしていることを知り、それに巻き込まれるのを恐れていて、逃げ出そうとも考えている。弁護士に相談して、自分がレベッカの悪事に巻き込まれるのを避ける方法を探っているのだ。本作では、そんな崩壊しかけている家族の様子を覗き見することになる。
主人公はクロエ(カリーナ・リャン)という妹だ。彼女は精神的に不安定なところがある。クロエが部屋で泣いているのは、友人のナディアが亡くなったかららしい。ナディアはドラッグのオーバードーズで死に、クロエは親しい友人が亡くなって精神的に参っているのだ。父親クリスはクロエのことを心配しているけれど、母親レベッカと兄のタイラーはクロエのことを疎んじているようでもある。
そして、「それ」もなぜかクロエのことを気にしている。彼女だけには自分の存在をアピールしているようでもある。幽霊が常に怖いものとは限らないということなのか、本作の「それ」はクロエに対して同情的に振舞う。時にポルターガイスト現象を引き起こして、クロエを守ろうとするのだ。これは一体どういうわけなのか? そして、「それ」とは一体何なのか?
※ 以下、ネタバレあり!

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オチは今ひとつ?
本作は一応、「それ」が一体何者なのかという謎があるとも言える。そして、ラストの鏡の場面からすると、「それ」の正体は兄貴のタイラーだったとも解釈できるのだという。しかしながら、そうだとしてもオチとしてあまりうまく決まっているとは思えなかった。
「それ」がタイラーだというのは、劇中の霊媒師の言葉から導き出せるのかもしれないけれど、今ひとつ説得的ではなかったと思う。もしそうだとしても、タイラーがその家の地縛霊だとして、それによって一体何を言いたいのかがよくわからないのだ。
本作ではシリアルキラーが登場することになる。実はナディアを殺したのも彼ということになり、次の獲物がクロエなのだ。その彼は自分の母親のことをベス・ジャレットと呼んでいた。この名前は、『普通の人々』(ロバート・レッドフォード監督)に出てくる母親の名前なのだとか。つまりは彼も壊れた家庭に育ち、シリアルキラーになってしまったということなのだろう。その点からしても、本作は壊れた家族のあり様を覗き見る映画となっているわけだけれど、それがあのオチとうまく結びついていく感じがしないのだ。
本作は「それ」が誰だったとしても、成り立つ話になっている。たとえば、本作の「それ」がまったくクロエたち一家とは関係のない、単にあの家自体に縛り付けられた幽霊だったとしても、クロエに同情するのは自然に思えるからだ(タイラーだとしたら、なぜ疎んじているクロエを助けるのか)。
タイラーは同級生をいじめていることを自慢げに話すようなクズなわけで、そのタイラーを甘やかしているレベッカも同罪だ。普通にあの一家を覗き見していたら、クロエに対して同情的になるのは当然のことのように思えてしまうのだ。だから「それ」をタイラーという設定にして、何を言わんとしているのかが、かえって謎のように感じられてしまった。

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まあ、単純に覗き趣味の映画としては面白かったし、撮り方は工夫されていてつまらないわけではない。カメラに広角レンズを使用しているからなのか、独特な見え方をしているようでもあり、それが人間とは異なる視点というものを感じさせる。それから長回しのワンシーン・ワンカットの繰り返しが映画にリズムを生んでいるようにも思えた。
ソダーバーグは監督だけではなく、撮影や編集もやっているようだ。一度は引退したりもしたけれど、結局は映画作りが大好きなのだろう。そんな感じが伝わってくる作品にはなっていて、そこは悪くなかった。
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