原作は飯島虚心の『葛飾北斎伝』と、杉浦日向子の漫画『百日紅』。
監督・脚本は『MOTHER マザー』の大森立嗣。
主演は『ロスト・ケア』の長澤まさみ。
物語
北斎の娘、お栄はある絵師のもとに嫁ぐが、かっこうばかりの夫の絵を見下したことで離縁となり、父のもとへと出戻る。父娘にして師弟。描きかけの絵が散乱としたボロボロの長屋で始まった二人暮らしだが、やがて父親譲りの才能を発揮していくお栄は、北斎から「葛飾応為(おうい)」(いつも「おーい!」と呼ばれることから)という名を授かり、一人の浮世絵師として時代を駆け抜けていく。
美人画で名を馳せる絵師であり、お栄のよき理解者でもある善次郎との友情や、兄弟子の初五郎への淡い恋心、そして愛犬のさくらとの日常…。嫁ぎ先を飛び出してから二十余年。
北斎と応為の父娘は、長屋の火事と押し寄せる飢饉をきっかけに、北斎が描き続ける境地”富士”へと向かうが…。
(公式サイトより抜粋)
葛飾北斎の娘・応為
葛飾北斎と言えば、日本はもちろん海外でも知られるほどの浮世絵師だ。『富嶽三十六景』で一番有名な「神奈川沖浪裏」などは、最近でもCMで見かけたりするほどよく知られた絵となっている。それほど有名な北斎だが、本作はその娘の応為が主人公だ。
この“応為”という画号は、いつも北斎から「おーい、筆」などと言いつけられて、その呼びかけ自体が名前みたいになっているからだ。そんな娘の応為も浮世絵師ということだが、父親ほどは知られてはいないだろう。
Wikipediaの記載によれば、「「北斎作」とされる作品の中には実際は応為の作もしくは北斎との共作が相当数あると考えられている」とのことで、応為も父親の才能を受け継いでいたようだ。
『おーい、応為』には原作らしきものがあるらしい。飯島虚心の『葛飾北斎伝』と、杉浦日向子の漫画『百日紅』のふたつが挙げられている。どちらも読んではいないけれど、『葛飾北斎伝』はタイトルの通り北斎の伝記ということなのだろうし、『百日紅』もWikipediaによれば「葛飾北斎を中心とした実在の人物たち」が登場する漫画ということらしい。結局は、応為は偉人である北斎の娘として登場してくる脇役という扱いだったのだろう。
ただ、この応為を題材にした小説も実は存在している。山本昌代の『応為坦坦録』だ。私は古本屋で安く買った本をたまたま手元に持っているのだが、今は絶版なのかもしれない。山本昌代は映画化された『居酒屋ゆうれい』の原作者でもあるけれど、江戸時代について詳しかったようで、江戸をテーマにした作品も多い。
『応為坦坦録』も本作と同様に嫁に行ったはずの応為が出戻り、それから何となく筆を握るようになり、浮世絵師として活躍することになる姿を描いている。『応為坦坦録』に描かれる応為の姿は、どこか世間に対して無頓着で妙にサバサバしている印象だ。そして、この小説の作風はタイトルにもあるように「坦々」としている。

©2025「おーい、応為」製作委員会
一体何を描きたかったの?
『おーい、応為』は、応為(長澤まさみ)が嫁ぎ先で旦那に向って「絵がヘタだ」と罵り、「北斎の娘で悪かったな」などと啖呵を切って飛び出してくるところから始まる。それから応為の出戻り生活が始まるわけだが、しばらく厄介になると言いつつも、結局、応為は父親である北斎(永瀬正敏)が亡くなるまで一緒に暮らし続けることになる。その間、約30年くらいの時が流れることになるわけだが、波乱万丈の人生というよりは「坦々と」した日常が描かれていく。
よく平凡で何も起きない作品に対して「淡々と」と表現する人もいるけれど、「淡々と」というのは「あっさりしている様子」だ。一方の「坦々と」というのは、「無事・平凡なことを意味する」わけで、「坦々と」という表現のほうが適しているのだろう。
北斎という人物はなかなかの奇人だったようで、そういうエピソードも結構多い。とにかく絵を描くことがすべてで、それ以外の家事などもってのほかという人なのだ。劇中でもいつも畳に伏して絵を描き続け、部屋はゴミ溜めのようになっていて、どうしようもなくなってきたら引っ越ししてしまうほどの転居癖があるらしい。
そんな奇人の北斎からすると、応為は目立つエピソードはないとも言えるかもしれない。だから正直に言えば、本作が何を描こうとしているのかがわからなくて、迷子になってしまう人も多いのかもしれない(こっそり言っておけば、途中退席する人もいた)。

©2025「おーい、応為」製作委員会
長澤まさみの時代劇初主演作
私自身も迷子になりかけていた気もするけれど、長澤まさみが演じる応為の姿は“いなせ”でカッコいい。応為が“着流し”姿で江戸の町を歩く様子が、本作の一番の見どころだろう。ちなみに“いなせ”とか“着流し”という言葉は、実際には男性に対して使われる言葉らしいのだけれど、本作の応為は女性だけれど男っぷりがいいようにも見えるのだ。
冒頭で旦那に三行半を叩きつけるシーンにしても、北斎に絵を描いてもらおうと押しかける武士に対してべらんめえ口調で啖呵を切るシーンにしても、応為の男勝りの姿がとてもカッコいいのだ。
大森立嗣監督が長澤まさみを主演にして撮るのは、『MOTHER マザー』以来で2作品目だ。『MOTHER マザー』の主人公はどうにも理解不能なキャラだったのに対して、本作は応為は親しみやすいキャラだし、カッコいいばかりではなく、より美しくも撮られていたと思う。
本作は自然光だけを使って撮られているようだ。川開きの後に、応為が兄弟子の初五郎(大谷亮平)と過ごすシーンはちょっとだけドキドキさせるシーンだったけれど、暗闇の中で提灯の明かりと蛍の光が印象的だった。それからロウソクの光を見つめる応為のカットは短いけれど忘れがたいものがあった。長澤まさみの美しさを存分に捉えていたシーンだったんじゃないだろうか。

©2025「おーい、応為」製作委員会
遠ざけておくべきもの
北斎は晩年になって応為に「好きなことをしろ」などと言い出す。父親としては応為のことを便利に使ってしまっているという思いもあったのだろう。応為としても初五郎への恋心とかもなかったわけではないし、弟分のような善次郎(髙橋海人)との微妙な場面もあった。もしかすると彼女にも別の生き方、別の幸せもあったのかもしれない。
しかしながら応為が選んだのは、父親と同じ道で生きていくことだったのだ。名のある父親のもとに生まれれば、同じ道に進むことに対しての葛藤もあっただろう。それでも応為はやはり絵が好きだったのだろう。美人画に関しては、北斎も応為の腕を認めていたという話もあるようだし、応為は今に到るまで作品が残っている浮世絵師でもあるのだ。彼女は彼女なりに好き勝手に生きたということだったのだろう。
後半は江戸を離れた北斎と応為が富士山周辺で活動することになるけれど、この北斎の晩年に『富嶽三十六景』が描かれたということなのだろう(永瀬正敏の老け役ぶりも見事だった)。
この富士山周辺の風景は殺風景で、何もない荒野を旅人が歩いているシーンなどはシュールですらあった。本作では富士山の近くから、その稜線をカメラでずっと捉えていくシーンがある。あまり見たことのない富士山の捉え方だったけれど、富士山は近づき過ぎると富士山に見えないというのが難点だったかも。
『富嶽三十六景』も「神奈川沖浪裏」が一番有名だし、ちょっと離れたところから見るのが一番いいのだろう。「遠ざけておくべきものは〇〇と富士山」などという格言すらありそうな気もしたけれど、そんな言葉は見つからなかった。








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