『オールド・オーク』 最後のメッセージ

外国映画

監督は『ケス』『家族を想うとき』ケン・ローチ

脚本は『カルラの歌』以来、ケン・ローチとコンビを組んでいるポール・ラヴァティ

主演は『家族を想うとき』にも出演していたというデイヴ・ターナー

物語

イギリス北東部、とある炭鉱の町で唯一のパブ、「オールド・オーク」。活気溢れる時代から30年の時を経て、今は厳しい状況に陥っているが、町に住む人々にとっては最後の砦となる止まり木のような存在だ。店主のTJ・バランタインは、試行錯誤しながらなんとかパブを維持しているが、町がシリア難民を受け入れ始めたことで、パブは居場所を争う諍いの場になってしまう。先行きを危ぶむTJだったが、カメラを持ったシリアの女性ヤラと出会い、思いがけない友情を育むことになる。果たして、彼らは、互いを理解する方法を見つけられるのだろうかー?

(公式サイトより抜粋)

ケン・ローチの引退作?

左翼を自認し、貧しい労働者など弱き者に寄り添う映画を撮り続けてきたケン・ローチ。本作は『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』に続く「イギリス北東部3部作」の最終章と位置づけられている。しかもこれがケン・ローチの引退作とも言われているのだ。本作は2023年の作品だが、ケン・ローチは現在89歳ということもあって、それは現実味を帯びている。

先の2作はどちらもシビアな現実を突きつけられる形で暗澹とさせられるところがあった。それに対して、本作のラストはやや強引な形で希望めいたものが描かれているようにも感じられた。それは引退作だからこその“願い”みたいなものが込められているのかもしれない。

『オールド・オーク』の舞台は寂れた元炭鉱の町だ。そこにやってきたのはシリアからの難民だ。町は空き家に難民を受け入れているのだ。地元民は難民たちがバスでやってきた途端にトラブルを引き起こす。

外部からやってきた移民が地元民から反発を受けるということはどこでもあるのだろう。厄介なのは受け入れる側の町も裕福とは言えないところだろう。劇中の台詞にもあったように移民を受け入れるような場所は過疎化して土地の値段も下がった田舎であって、都会の土地では予算的に無理ということなのかもしれない。だから田舎町の人としては、厄介なものを押しつけられたような感覚があるのだろう。

さらに地元民が移民を嫌うのは、彼らにとっては自分たちよりも難民たちのほうが優遇されていると感じているからだろう。地元の子どもたちも自分が持っていない自転車を難民の子どもたちがもらっているのを見ると、なぜよそ者がもらえて地元民がもらえないのかという顔をする。大人たちが反発しているのも、結局は同じことなのだ。

©Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023

「共に食べ、団結を」

主人公はその地域に残った最後のパブ「オールド・オーク」のオーナーTJ・バランタイン(デイヴ・ターナー)だ。TJはシリア難民のヤラ(エブラ・マリ)を助けてやったことで、難民支援の活動に関わることになっていく。

具体的に難民を支援しているのは教会らしい。その担当者と思しきローラ(クレア・ロッジャーソン)は最近はあまり支援に積極的とは言えないTJに文句を垂れたりする。

というのも、TJはかつてはもっとそうした活動にも積極的だったらしいのだが、今は一歩引いた形になっているからだろう。というのもTJはそうした活動に疑問も感じているからだ。本作のTJはブレブレだ。活動そのものに疑問を抱きつつ、ヤラたちを助けてやりたい気持ちもあり、何度も揺れ動くことになるのだ。

TJはかつては労働運動に関わり、ストライキなどで社会を変えようとしたらしい。ところがそれは結局は失敗に終わったとTJは考えている。ストライキをしたものの炭鉱は閉鎖され、炭鉱夫たちはクビになったからだ。現在のパブの常連たちはそんなふうに行政に見捨てられた人たちなのだ(だから支援を受けている難民のことを妬ましく感じたりもする)。

さらに、TJはそうした活動に関わって家庭を省みなかったため、奥様を苦しませることになり、息子とは絶縁状態にある。そうした過去がTJを積極的に難民支援に向かうことを妨げている。

一生懸命に活動しても何も変わらない。TJにはそんな諦めの意識があったのかもしれない。それでもヤラと関わることでTJは難民支援として「子ども食堂」みたいな活動を始めることになっていく。「共に食べ、団結を」という連帯のメッセージはTJの母親の口癖で、かつての労働運動の時代に叫ばれたものだ。今度はそれを難民に対する支援のキャッチフレーズにしたのだ。

©Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023

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最後のメッセージ

TJが悩み揺れ動いていることは、その過去にも表れている。TJは昔、炭鉱夫の父親が亡くなった沖合に入って自殺しようとしたらしい。しかし、その時マラという愛犬に出会って思いとどまることになる。

マラの存在がTJを生かすことになったわけだ(このマラとのエピソードはケン・ローチの出世作『ケス』を思わせなくもない)。ちなみにマラという言葉は、対等な友という意味らしい。これは難民との関係にもつながってくる。

TJが「慈善ではなくて連帯だ」と語るのも、元炭鉱の町の地元民もシリアからの難民もどちらも弱者であることに変わりはないわけで、だからこそ連帯できるという思いがあったからだろう。

「子ども食堂」の試みは成功し、地元民も難民も一緒になって時を過ごすことになり、次の会合を楽しみにしていた人も多かったはずだ。ところがそこに邪魔が入る。会合を開催したパブの奥の部屋は、常連たちには理由をつけて開放しなかった場所だ。そこを難民の支援という名目で開放したことが、常連たちにとっては面白くなかったのだ。常連たちの反感がエスカレートして、奥の部屋は会合開催が危ぶまれるような状況になってしまうのだ。

ここでもTJは、頑張っても何も変わらないと改めて感じただろう。ここにはもしかするとケン・ローチ自身の実感があるのかもしれない。左翼を自認するケン・ローチは、社会の変革を促そうとする映画を撮り続けてきたとも言える。しかしそれを実現することはなかなか難しい。『わたしは、ダニエル・ブレイク』、『家族を想うとき』の2作で描かれたのもそうした厳しい現実であり、それに対する怒りはあっても解決策はまだ見えてきてはいなかった。

©Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023

本作の状況も同様だ。TJたちが「共に食べ、団結を」としてシリア難民と地元民が一緒に過ごす会合は一度きりで潰されてしまった。そこには一部の地元民の悪意がある。TJは結局自分のやってきたことが無駄だったと感じていたかもしれない。

しかしなぜかここで大逆転が生じる。ヤラの父の死という出来事があり、それをきっかけにしてみんなが連帯への意志を示すことになるのだ。このラストはかなり唐突だった。何か問題が解決したというわけでもない。それでもケン・ローチとしては最後にどうしても大切なメッセージを示したかったのだろう。それはTJが悩みながらやってきたことは、決して無駄ではなかったということだ。

強引と言えば強引だし、正直言えば、うまくまとまっているとも思えない。それでもどうしてもそのメッセージを伝えて希望を抱いて欲しかったということなのだろう。行動することを躊躇ってしまっている人に対して、一歩踏み出すことを促すメッセージなのだ。

ちなみにタイトル「オールド・オーク」はパブの店名ということだが、町山智浩の指摘によれば、イギリスそのもののことを示してもいるのだとか。オークというのはイギリスの国樹らしい。劇中では「この国は裕福な国だったのに」なんて台詞もあったけれど、そんなイギリスの現状は難民支援をすることにも反発を感じる人がいるような惨憺たる状況ということだ。そんな国の現状を憂う気持ちを込めてつけられたタイトルが、ケン・ローチの最後の作品なのだ。

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