『ノスフェラトゥ』 これぞというもの

外国映画

1922年のF・W・ムルナウ『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイク。

監督・脚本は『ライトハウス』ロバート・エガース

主演はジョニー・デップの娘リリー=ローズ・デップ

物語

不動産業者のトーマス・ハッターは、仕事のため自身の城を売却しようとしているオルロック伯爵のもとへ出かける。トーマスの不在中、彼の新妻であるエレンは夫の友人宅で過ごすが、ある時から、夜になると夢の中に現れる得体の知れない男の幻覚と恐怖感に悩まされるようになる。そして時を同じくして、夫のトーマスやエレンが滞在する街にも、さまざまな災いが起こり始める。

『映画.com』より抜粋)

サイレント映画は面白い?

サイレント映画を観る機会はあまりない。映画は時代の技術革新と共に変化してきたわけで、サイレントからトーキーへ、さらにカラーへと移り変わってきた。

生まれた頃からハリウッドのブロックバスター作品を当たり前のように観てきた世代からすれば、わざわざサイレント映画を観る必要はなさそうだ。というよりも、そういう音と映像と台詞とが揃った映画に慣れていると、サイレントは何か足りないもののように感じられるかもしれない。映像だけで物語を語るサイレント映画は、なかなかとっつきにくいものがあるのだ。

サイレント映画はすでに権利が切れているものも多く、YouTubeなどで簡単に観られるけれど、だからといってそんな小難しい映画は観ない人が多いだろう。というか、チャレンジしてみても、うまく話が伝わって来ずに、途中で飽きてしまったり、いつの間にか寝てしまうことがほとんどという気もする。

しかしながらロバート・エガースはなぜかサイレント映画の『吸血鬼ノスフェラトゥ』が子どもの頃から大好きだったのだとか。ロバート・エガースは1980年代の生まれで、ほかの映画だってあったはずなのに、なぜかサイレント映画を好んで観ていたということらしい。結構変わった少年だったということなのかもしれない。

ただ、『吸血鬼ノスフェラトゥ』という作品は、サイレント映画にしては珍しく私もきちんと何度か観たことがある作品でもある(これは単純にその頃、手元にほかに選択肢があまりなかったからでもあるのだが)。『吸血鬼ノスフェラトゥ』が面白かったのは、吸血鬼の造形やその手下のキャラの狂気の部分だったりする。

このオリジナルのオルロック伯爵(原作のドラキュラ伯爵に当たる)は禿頭に尖った耳を持ち、犬歯ではなく前歯が尖っている。いわゆる一般的なドラキュラ伯爵のイメージとはまったく異なる異形の者なのだ。このオルロック伯爵を演じたのは、マックス・シュレックというドイツの役者だが、このシュレックという名前は、その後にディズニー映画の『シュレック』にも採用されたらしい。

それから手下のノック(原作のレンフィールド)は虫を喰らう狂人となっていて、陽の光の下を歩けないご主人様に変わって彼が街を混乱に陥れることになる。

ロバート・エガースが彼の大好きな『吸血鬼ノスフェラトゥ』をリメイクするということで、オリジナルをどんなふうに再現しようとするのか、あるいは変化させてくるのか、そのあたりが気にかかるのだが……。

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由緒ある元祖のリメイク

オリジナルの『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、ムルナウが権利上問題のあった小説『吸血鬼ドラキュラ』を映画化したものとされる。勝手に映画化したものだから、ドラキュラの名前は使えずに、オルロック伯爵などと別名にはされているものの、基本的には『吸血鬼ドラキュラ』を映画化したものなのだ。

一昨年には2本のドラキュラ映画が公開された。ひとつはデメテル号のエピソードの部分に焦点を絞った『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』で、ゲテモノめいたドラキュラの姿が印象的だった。

もうひとつは『レンフィールド』だ。『レンフィールド』は、ドラキュラの手下であるレンフィールドを主人公にしたコメディ作品だ。その主役を演じているのが、『ノスフェラトゥ』でも重要な役柄で出演しているニコラス・ホルトだ。

これだけドラキュラものが映画化されるのは、何だかんだ今でもドラキュラ伯爵が人気者だということなのかもしれない。この2作はユニバーサルの“ユニバーサル・モンスターズ”という括りで、本作はそれとは別物ということになるらしい(とはいえ、配給はユニバーサルだけれど)。

しかしながら、そもそも『吸血鬼ノスフェラトゥ』こそがドラキュラ映画の元祖というわけで、本作はその由緒正しい作品のリメイクということになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

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come to me

『ノスフェラトゥ』が一番オリジナルと異なるのは、主人公がエレン(リリー=ローズ・デップ)という女性になっているところだろう。冒頭、エレンは「come to me」と誰かに呼びかけることになる。それに応えた形になるのがオルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)だ。この冒頭シーンのやりとりは性的なものを感じさせる。エレンの息遣いが喘ぎ声のようにも聞こえてくるからかもしれない。

その冒頭から数年後、エレンはトーマス(ニコラス・ホルト)と結婚したのだが、そのトーマスは不動産業の仕事で遠くへ出かけることになる。実は不動産業の上司であるノック(サイモン・マクバーニー)が、オルロック伯爵の手下なのだ。ノックはオルロック伯爵のために、トーマスをトランシルバニアにある伯爵の城へと向わせることになるのだ。

トーマスと不動産の契約を交わしたオルロック伯爵は、トーマスを城に閉じ込めたまま、エレンの住む街へと向かうことになる。そのために利用されるのがデメテル号ということになるのだが、その船にはトランシルバニアの土とネズミたちが大量に乗船していて、街には伝染病がもたらされることになる。

それを知ったエレンたちの仲間には、ウィレム・デフォー演じるフランツ教授(原作におけるヴァン・ヘルシング)などがいて、オルロック伯爵を迎え撃つ形になるのだが、最終的にはオルロック伯爵を呼び寄せてしまったエレンが、その身を犠牲にする形でオルロック伯爵を朝まで引き留めることに成功し、彼を滅ぼすことになる。

大筋ではオリジナルの『吸血鬼ノスフェラトゥ』と一緒なのだけれど、後半部分は原作からいただいてきた部分や、本作独自と思しき子どもたちが犠牲になるエピソードなどもあり、如何せん間延びした感もある。

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「これぞ」というカット

それでもラストのカットはとても美しいになっていたんじゃないだろうか。オリジナルでは朝の光を浴びてオルロック伯爵は燃え尽きてしまう形になっていたのだが、本作の場合は干からびたまま絶命する。そして、エレンも胸からオルロック伯爵に大量に血を吸われ、そのまま絶命することになる。エレンの胸に干からびたオルロック伯爵が抱かれたまま、二人は息絶え、映画はそのカットがラストカットになるのだ。

ロバート・エガースの作品には、それぞれ「これぞ」というカットが用意されている。そして、そうしたカットは絵画から引用されたりもする。たとえば『ライトハウス』が一番わかりやすいけれど、ある絵画を引用したカットがあるし、『ウィッチ』でもミレーの絵画を思わせるカットがあった。本作でロバート・エガースが一番撮りたかったのは、このラストカットなのだろうと思わせるような“何か”があった気もする。

しかしながら不満なところもあって、それはオルロック伯爵の造形だ。前半はほとんど影の中に身を潜める形で声だけが響いているのだが、後半に登場しても単なる大男にしか見えない部分もあり、オリジナルの異様さには及ぶべくもないのだ。ヘルツォーク版のリメイクもオリジナルに似せようとしていた気がするけれど、それをやると勝負は目に見えているからこそ、それは避けたということなのだろうか。

ロバート・エガースはインタビューでオルロック伯爵を演じたマックス・シュレックのことを「かっこいい」と表現していて、オリジナルのオルロック伯爵の造形に惹かれていることは確かなのだろう。だから余計にオリジナルの真似をすることが難しかったということだろうか。

あるいはリアルなドラキュラ像というものを描こうとしているということなのかもしれない。本作の血の吸い方は、よくある肩口に齧りつくのではなく、胸元をガブリとやる形になっていてどこか獣臭い感じもあるのだ。

私が本作で一番素晴らしかったと感じたのは、トーマスがトランシルバニアの城に出迎えられるシークエンスだ。ここではほとんどモノクロのような映像で、御者がいない馬車がやってきて、なぜかそれに操られるようにしてトーマスが自然にそれに乗せられ、城の中へと誘われることになる。オルロック伯爵の異様な力を示すようなシークエンスだったのだ。

本作は冒頭やこの馬車のシークエンスなどを筆頭に、ほとんどモノクロのような映像になっていて、それ以外の場面も彩度を抑えた画を作り出していて、白と黒以外で目立つのは炎のオレンジと血のどす黒い赤くらいになっている。そういう点では相変わらず凝った画作りをしているのだが、後半詰め込み過ぎてダレてしまった気がする。オリジナルも90分くらいだったわけで、そのくらいで抑えておけばもっとスッキリしたような気もする。

リリー=ローズ・デップは本作で初めて観たけれど、『エクソシスト』みたいなヤツとか変顔とか、健気に頑張っていた気はする。

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