『あの歌を憶えている』 同じ立場にいる者

外国映画

『ニューオーダー』ミシェル・フランコの最新作。

主演は『インターステラー』ジェシカ・チャステインと、『ロスト・ドーター』ピーター・サースガード

ヴェネチア国際映画祭では最優秀男優賞(ピーター・サースガード)を獲得した。

原題は「Memory」。

物語

ソーシャルワーカーとして働き、13歳の娘とNYで暮らすシルヴィア。若年性認知症による記憶障害を抱えるソール。それまで接点もなかったそんなふたりが、高校の同窓会で出会う。家族に頼まれ、ソールの面倒を見るようになるシルヴィアだったが、穏やかで優しい人柄と、抗えない運命を与えられた哀しみに触れる中で、彼に惹かれていく。だが、彼女もまた過去の傷を秘めていた──。

(公式サイトより抜粋)

ストーカー男との出会い

ミシェル・フランコ監督の作品は、毎度イヤな気持ちにさせられるところがある。たとえば妻を亡くした上に娘がいじめに遭い狂気に陥っていく父を描いた『父の秘密』とか、格差社会の現実を絶望的に描いた『ニューオーダー』あたりにも、それは顕著なところだろう。

『あの歌を憶えている』も、主人公のシルヴィア(ジェシカ・チャステイン)がストーカーされる出来事が取っ掛かりとなっていて、不穏な気持ちを煽られることになる。とはいえ、このストーカー男・ソール(ピーター・サースガード)は、実は若年性認知症であることが明らかになる。自分でもよくわからずになぜかシルヴィアを追いかけてしまっていたということらしい。

一応トラブルは一件落着となり、シルヴィアはソールのことを心配したのか、ソールの保護者のような役割をしているアイザックのところへ出かけていく。そして、シルヴィアはソールと二人で公園で話をすることになる。これがチラシなどでも使われている場面だ。

二人が誤解を解いて親密になっていくハートウォーミングな場面なのかと予想していたのだが、この後、シルヴィアはソールを罵倒することになる。

ソールはかつて高校時代に彼女をレイプした男性の仲間だというのだ。いきなり怒りを露わにしたシルヴィアだが、ソールは自分のやったことを憶えていないらしく、ただ静かに座っているだけだ。そのソールの態度に拍子抜けした形のシルヴィアだが、記憶を失くしたとはいえ彼のしたことが許されるわけもないわけで、やはり最初からとてもイヤな気持ちにさせてくれるのだ。

©DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023

「記憶」を巡って

ところがここが結構妙なところではあるのだが(ある意味、ツッコミどころかも)、なぜかシルヴィアは勘違いをしていたようなのだ。妹のオリヴィア(メリット・ウェバー)が調べると、ソールが同じ高校に転校してきたのはシルヴィアが転校した後だったことが判明したからだ。シルヴィアはソールを誰かと勘違いしていたのだ。

この勘違いは、後から登場することになるシルヴィアの母親(ジェシカ・ハーパー)が彼女のことを「嘘つき」だと言い張っていることにも関わってくるのだろう。もしかするとシルヴィアにはそんな悪い癖があるのかもしれない。そんなふうに観客をミスリードするためのものだったのかもしれない。

奇妙な出会いがあり、二人は知り合い、ソールが認知症ということもあって目が離せないため、シルヴィアはソールの世話係として雇われることになる。もともと彼女の仕事は障害者施設のスタッフで、そういう仕事の専門家でもあったし、お金に困っている状況でもあったからだ。

ソールの病気はなかなか厄介で、新しいことを記憶することが難しいし、忘れたくないこともどんどん失われていく。彼は亡くなった奥様との記憶を忘れたくはなくとも、それは次第に失われていく。ソールは奥様と一緒に聴いたプロコル・ハルム「青い影」の旋律を繰り返し聴くことで、自分を慰めていたのだ。

一方でシルヴィアには忘れたい記憶があった。それが映画の後半になって明らかにされることになるのだが、そのことがあるからこそシルヴィアは自宅には厳重なセキュリティシステムを導入しているのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

©DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023

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「イヤな気持ち」から……

ミシェル・フランコの作品は「とてもイヤな気持ちにさせる」と記したけれど、確かにシルヴィアの秘密の部分もそんな気持ちにさせられるだろう。それは母親とも関わりのあることで、母親が彼女を「嘘つき」呼ばわりする訳もそこにある。母親としてはある出来事を認めるわけにはいかなかったということなのだろう。

しかし、それによってシルヴィアは傷つくことになり、若い頃には手がつけられないほど荒れたらしい。それがアルコール依存症を導いたのだろうし、その反動もあって娘のアナ(ブルック・ティンバー)に対してはかなりうるさく私生活に干渉したりすることになっているのだ。

本作ではそちらの問題がスッキリと解決することはない(母と娘の確執というのは『母という名の女』とも通じている)。ただ、本作の場合は単にイヤな気持ちにさせるだけではなく、それを乗り越える希望を描いていくことになるのだ。これまでの作品がイヤな気持ちのまま突き放すように終わっていたことからすると、大きな変化とも言えるのかもしれない。

©DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023

共に抱える生きづらさ

シルヴィアとソールは、厄介な病気と闘っている者とその介助者という関係だった(この二人の関係は『或る終焉』のそれを思わせる)。しかし二人はいつの間にかに親密になっていく。二人の関係の理解には、冒頭のAA(アルコホーリクス・アノニマス)の場面がヒントになるのかもしれない。

AAというのはアルコール依存症の人が、その克服のために行く自助グループのことだ。AAは基本的には同じ立場の人しか入れないことになっているらしい。そこで何をやるのかと言えば、互いの話を聞くだけで、対話をするわけではないらしい。同じ問題を抱えた人が集まり、互いの問題を共有するだけということになる。それに対してカウンセラーが積極的にアドバイスをするとかではなく、ただ同じ立場の者が話を聞くだけなのだ。

アルコール依存症の場合、一度やめたとしても次に一杯でも飲んでしまえば元の木阿弥で連続飲酒が始まってしまうことになる。毎日が断酒との闘いとなっていくわけで、それはキツいものがあるだろう。その時に同じ苦しみの中にいる仲間がいるということは、とても励みになるということなのだろう。

シルヴィアとソールは「記憶」という点では、正反対な部分がある。一方は記憶を失くしていくことに苦しんでいるけれど、もう一方は忘れることのできない記憶に囚われている。しかしながら共通している部分もある。ソールは若年性認知症で家に閉じ込められる立場にあり、シルヴィアはかつての出来事への恐怖からか人を拒絶して家に自らを閉じ込めている。共に生きづらさを抱えている点では、同じとも言えるのだ。だからこそ二人が近づいていくのにそれほど時間はかからなかったし、それがごく自然なものとも思えたのだろう。

饒舌な作品ではないけれど、細かい部分がとてもいい。一度部屋を出たソールが戻るべきドアがわからなくなってしまうシーンで、その病気の症状をさりげなく示したり、そうかと思うとレストランではその症状を笑いに紛らわせてみせたりする。「これ見よがし」ではなく、とてもさらりと描かれているのだ。

それから主演二人の演技も見どころだろう。二人のベッドシーンではジェシカ・チャステイン演じるシルヴィアがやや腰が引けているようにも見えたのは、後でわかることになる出来事があったための躊躇だったのだろう。ピーター・サースガードは渋い脇役というイメージだったけれど、堂々たる主演だった。彼が演じたソールは認知症の症状なのかぼんやりとしているところもあったけれど、決定的な場面でも出しゃばることがないあたりにリアルな存在感があったと思う。

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