『ミーツ・ザ・ワールド』 何もない空間に

日本映画

原作は『蛇にピアス』金原ひとみの同名小説。

監督・脚本は『くれなずめ』松居大悟

主演は『市子』の杉咲花。

物語

擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」に全力で愛を注ぎながらも、自分のことは好きになれない由嘉里。27歳になって結婚・出産…と違う世界に次々と離脱する腐女子仲間をみて、このまま仕事と趣味だけで生きていくことへの不安と焦りを感じ、婚活を始める。
しかし参加した合コンで惨敗。
歌舞伎町で酔いつぶれていたところ、希死念慮を抱えるキャバ嬢・ライに助けられる。
ライになぜか惹かれた由嘉里は、そのままルームシェアを始めることに。
やがて、既婚のNo.1ホスト・アサヒ、人の死ばかりを題材にする毒舌作家・ユキ、街に寄り添うBARのマスター・オシンと出会い、歌舞伎町での生活に安らぎを覚えていく。
そんな日々の中でもライのことが気がかりな由嘉里は、かつての恋人との確執が解ければ死にたい感情は消えるかもしれないと考え、アサヒやユキ、オシンに相談する。だが、価値観を押し付けるのはよくないと言われてしまう。それでもライに生きてほしいと願う由嘉里は、元恋人との再会を試みるが―。

(公式サイトより抜粋)

腐女子と死にたいキャバ嬢

本作の主人公はいわゆる腐女子の由嘉里(杉咲花)だが、彼女が出会うキャバ嬢のライ(南琴奈)も重要なキャラとなっている。そのライは希死念慮を抱いているとされる。実際に希死念慮を抱いている人というのがどれほど多いのかはわからないけれど、フィクションの中では結構そんなキャラに出会ったりもする。

『ミーツ・ザ・ワールド』のあらすじを読んで最初に懸念していたのは、説教じみた話になってしまわないかということだ。「死にたい」と思っている人に対し、「生きろ」とか「生き切れ」とか言い出して愁嘆場を演じることになったら興醒めだろうと感じていたのだ。しかしながら、多くのフィクションの中ではそんなことが多かったりすることも確かだろう。

ところが本作にはそんな懸念は必要なかったようで、説教めいたところは微塵もなかった気がする。その点に関しては良かったんじゃないだろうかと思う。とはいえ、本作が自分の心に刺さったかと言えば、また別の話ということになるわけだけれど……。

©金原ひとみ/集英社・映画「ミーツ・ザ・ワールド」製作委員会

別世界に生きる二人

本作のタイトルは、腐女子と歌舞伎町のキャバ譲が出会うことを示しているのだろう。普段ならすれ違ってしまうはずの別世界に生きる二人が、なぜか出会ってしまい、ルームシェアをすることになる。

二人はまったく異なる人種と言える。由嘉里はそれを「エラ呼吸」と「肺呼吸」の差として表現している。それほどの壁があるにもかかわらず、キャバ譲のライは腐女子の由嘉里に親切だ。由嘉里がどうやら家に帰りたくないことを知ると、ライは「ここに帰ってきてもいいよ」と声をかけてくれるのだ。

由嘉里はそんなライが大好きになってしまう。もともと由嘉里は出会った初めから、ライに憧れているところがある。由嘉里は、ライが彼女にはないすべてを持っていると感じていたのかもしれない。

だから由嘉里は、そんなライが希死念慮を抱いていることに納得できない。ライがいなくなってしまうことに耐えられないと感じていたのだ。由嘉里はライの歌舞伎町界隈の仲間たちにも相談することになる。

ただ、歌舞伎町仲間は、由嘉里がライに対して、彼女が死にたくなくなるように行動しようとすることをあまり歓迎しているふうではない。というのも、アサヒ(板垣李光人)が指摘するように、そんなことは端的に「ダサい」からだろう。

とはいえ、由嘉里としても何もしないで済ましてしまうこともできずに、後半になると由嘉里はアサヒと一緒に大阪に行き、ライが今でも好きだと語るトウジという男に会いに行くことになる。

※ 以下、ネタバレもあり! 結末についての触れているので要注意!!

©金原ひとみ/集英社・映画「ミーツ・ザ・ワールド」製作委員会

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何もない空間に

原作者の金原ひとみの小説は『蛇にピアス』を読んだだけなので、詳しくは知らないけれど、本作において彼女に近しいキャラは恐らくライなのだろう(Wikipediaの記載によれば、金原ひとみもリストカットを繰り返していたらしい)。とはいえ、本作はライの心の中に踏み込む作品ではない。

ライが希死念慮を抱いたきっかけには何があるのか。もしかするとトウジという男性とのことがあるのかもしれないけれど、それについては曖昧なままだ。本作の主人公はあくまでも由嘉里であり、由嘉里の視点から描かれていくことになるのだ。

ここで本作の結末を記してしまうけれど、ライは由嘉里が大阪から戻ってくるとすでに失踪していて、二度と姿を現すことはない。ライが実際に自殺をしたのかは不明だけれど、とにかく由嘉里の前からは姿を消してしまうのだ。

本作は最初から何もない空間を印象的に捉えていた。由嘉里がライの汚部屋を片付けて、二人でゴミ出しに行くにシーンがあったが、ここではゴミ置き場の脇の何もない暗闇が捉えられている。実はそこには捨てられた水槽があるのだが、暗くて何があるのかはよく見えない。

それからライが消えてしまった後では、ライの部屋の床だけが映されたシーンもある。その何もない空間に由嘉里や歌舞伎町仲間が滑り込んでくることになるわけだけれど、これは由嘉里が何もない空間に“何か”を感じているということを示しているのだろう。

ラスト近くで、由嘉里は大阪では会えなかったトウジ(声は菅田将暉)と電話で会話することになるけれど、ここでは消えたはずのライの姿を一瞬だけ幻視してしまうことになる。ライは消えてしまったけれど、由嘉里はその存在をどこかで感じているということなのだ。

©金原ひとみ/集英社・映画「ミーツ・ザ・ワールド」製作委員会

仕事と趣味に生きる

先ほどは主人公は由嘉里であり、「ライの心の中には踏み込まない」と記したけれど、ライはこんなふうにも語っていた。ライにとって希死念慮というものはギフトなのだという。神様から与えられた才能みたいなものだと彼女は感じているのだ。

こんなライに対して由嘉里が何ができるのかということになる。本作は腐女子とキャバ譲という別世界の二人が出会う話だとも書いたけれど、実際には出会うことに失敗する話だったのかもしれない。失敗というと語弊があるけれど、ゆるくつながってはいるわけで、現実的というかクールな関係とは言えるだろう。

そんなわけで本作では、由嘉里の行動がライに何らかの影響を与える前に、ライは失踪してしまうことになる。だから本作はよくあるような説教じみた話になることを避けているし、その後は消えてしまったライを由嘉里がどんなふうに受け止めるかということになっていく。

それが何もない空間に“何か”を感じている由嘉里ということになる。ライが死んだからと言って、由嘉里がそれを後追いするわけにはいかないわけで、由嘉里はライが消えた部屋を受け継いで生きていくことになるのだ。

それは由嘉里の成長とも言える。焦って世間の正規ルートを模索したりもしたけれど、それは由嘉里にとっては合わなかったようで、由嘉里は腐女子である自分を受け入れることになるのだ。「仕事と趣味だけに生きて何が悪い?」と開き直れるようになったのだ(職場での同士を見つけたりもする)。

©金原ひとみ/集英社・映画「ミーツ・ザ・ワールド」製作委員会

希死念慮を越えて

先ほどから本作の主人公が由嘉里であると何度も記しているけれど、その一方で本作ではライがもしかすると希死念慮を越えて生き残ることになった場合も見据えているようにも思えた。というのは、歌舞伎町のバーの常連であるユキ(蒼井優)は、ライと同じようにかつては希死念慮を抱えていたけれど、今はそれとうまくつき合うような形で生きているからだ。ユキの姿は、あり得るかもしれないライの未来の姿なのだろう。

ユキは一度は結婚し、子どもを授かったらしい。その時のユキはそのこと自体に生きる価値を見出すことになったようだが、ある時からそれが足かせのようになる。そこから酷い混乱の時期があったようだ。しかしながら、ユキはそれを乗り越えて生きている。生きていくこと自体が死に近づいていくことだと了解することになったらしい。結局、ライがどうなったのかはわからないけれど、もしかするとユキのようになって生きていく可能性はあるということなのだろう。

ユキには彼女の傍にいて「生きていてほしい」と言ってくれる旦那がいた。さらには子どももいた。しかしながら、家族の存在はユキの希死念慮に対しては無力だったということになる。

由嘉里はライに対しては自分の気持ちを押しつけようと画策していたけれど、彼女自身は母親(筒井真理子)の心配をうるさく感じている。由嘉里がこの先ずっとそのままだとは思わないけれど、今はまだそんな時期ではないということなのかもしれない。

そんな意味で、本作では、人の価値観を変えるような関わりを持つことができるのかという点では否定的だ。ユキが希死念慮を乗り越えさせたのは何だったのか? ユキの話から推測するに、自分でどうにかするほかないということかもしれない。

それに対して周りがどうこうすることはできない。そんな諦念みたいなものも感じさせる。だからこそ、歌舞伎町の仲間たちは「付かず離れず」といったゆるいつき合いのままだったのだろう。オシン(渋川清彦)は泣きじゃくる由嘉里を抱きしめたりはするけれど、それ以上の説教は意味がないのだ。そんなところが本作を優しいけれどクールなものにしている。

気になったのはライがクール過ぎるようにも見えるところだろうか。本作のアサヒは由嘉里を「ダサい」と否定する。それは納得がいく。しかし、自ら死にたいと触れ回るライのほうがより「ダサい」んじゃないかという気もするし、構ってほしいみたいで「イタい」気もしてしまう。ところがそれを演じる南琴奈はとてもクールで、最後まで崩れることがない。そのあたりをどんなふうに捉えればいいのかが、私にはうまくつかめなかったのだ。

そんなわけで物語に関しては、今ひとつ刺さらなかった気もするけれど、劇中の擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」も、そんな漫画が実在するかのように丁寧に作られていて労作という気はする。

そして、杉咲花は鼻の下を伸ばす腐女子のダサさ加減がとてもよかった。トウジとの会話は相手がいるものとはいえ、ほとんど独白めいたものになっていて、その長台詞も違和感なくこなしていて熱演だった。杉咲花が本作の見どころになっている。

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