監督・脚本は本作がデビュー作となるロレーナ・パディージャ。
主演は『ナチュラルウーマン』のフランシスコ・レジェス。
物語
メキシコで暮らすチリ人のマルティネスは偏屈で人間嫌いな60歳の男性。会計事務所での仕事やプールでの水泳といった日々のルーティンを決して崩さない。しかしそんなマルティネスの規律的な日々は、会社から退職をほのめかされ、後任のパブロがやって来たことで終わりを迎える。時を同じくして、アパートの隣人で同年代の女性、アマリアが部屋で孤独死していたことが判明する。アマリアの私物に自分への贈り物が残されていたことを知り、次第に彼女に興味を抱くようになるマルティネス。遺された日記や手紙、写真を通してアマリアへの思いを募らせていく内に、マルティネスは心の奥底で眠っていた人生への好奇心を取り戻していく。
(公式サイトより抜粋)
頑固じじい荒ぶる?
『論語』の有名な一節にはこんなふうにある。
子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。
年をとれば人間的に優れた存在に成長していくのだろう。そんなふうに素直に思っていた頃もあったかもしれない。しかし、実際に自分が歳を重ねてみれば、立派になれる人ばかりではないのもわかってくる。
それどころか年をとるごとに尊大さばかりを増して、融通の効かない頑固な人間になりつつあるような気もしないでもない。本作の主人公マルティネス(フランシスコ・レジェス)もそんな人間だ。
マルティネスには決まったルーティンがある。平日には会計事務所で仕事に励み、休みの日にはプールで泳ぐ。長年の一人暮らしでそんなルーティンを守って生きていて、それを決して崩したくないのだ。
ただ、そういう頑固者と付き合うことになる周囲はちょっと迷惑なのかもしれない。頑なに自分のスタイルを押し通し、周囲のことは無視してそれを貫き通そうとする。職場ではマルティネスのことを厄介払いしようとしたのか、いきなり後任の男がやってきてマルティネスは退職をほのめかされることになる。
マルティネスは仕事を生き甲斐に感じているわけでもなさそうだが、自分のルーティンを守るためにそれに抵抗することになるのだが……。

©2023 Lorena Padilla Banuelos
恋人は死んだ隣人?
そんな時、隣人の死が発覚する。そして、その亡くなった隣人アマリアは、なぜかマルティンに贈り物を用意していたらしい。管理人がそれを届けてくれたことで、彼の生活はちょっと変わっていくことになる。
隣人アマリアがなぜそんなことをしたのかはわからない。それでもマルティネスはアマリアのことが気になってしまう。もう亡くなった人にもかかわらず、彼女に興味を抱くことになってしまうのだ。そして、ゴミ捨て場に捨てられたアマリアの遺品を部屋に持ち込むと、彼女のことを知ろうとする。
アマリアは「やりたいことリスト」を遺していた。マルティネスはそのリストを1人で実行していく。今までずっと、職場とプールと近くの公園くらいが彼の行動範囲だったのに、プラネタリウムに行ったり遊園地を楽しんでみたりなど、彼の世界が広がりを見せることになるのだ。
幻とはいえ恋人ができると人は変わるのかもしれない。職場のマルティネスは、後任のパブロ(ウンベルト・ブスト)に恋人がいると勘違いされ、アマリアのことを打ち明けることになる。アマリアは幻の恋人だったけれど、口を開けばスラスラと出会った時の物語が生まれ、同僚のコンチタ(マルタ・クラウディア・モレノ)もアマリアのことを信じることになるのだ。

©2023 Lorena Padilla Banuelos
寂しい人たち
『マルティネス』の登場人物はどこか寂しい人たちに見える。舞台となっているのはメキシコだけれど、マルティネスはチリからやってきた外国人ということで、何かしら疎外感のようなものを抱えて頑固じじいになってしまったのかもしれない。
陽気なパブロは地元から遠く離れ、恋人のことを気にしている。ところがそれは嘘だったようだ。パブロの意図はよくわからないけれど、マルティネスにいいところを見せたかったのかもしれない。会計事務所の御局様のようなコンチタも、毎年誕生日会を開催しているようだが、来てくれる人はあまりいなそうだ。
亡くなったアマリアも、隣人のマルティネスに贈り物を用意していたというのは、同じように孤独な隣人に対し、何かしらの親しみのようなものを感じていたのだろうか。それは彼女が亡くなってしまった後では確かめようもないけれど、みんなどこか寂しい人たちなのだ。
もしアマリアがマルティネスに対して積極的にアプローチをしていたらどうなったのだろうか? 頑固をこじらせているマルティネスがそれを素直に受け入れるとは思えないわけで、アマリアが亡くなっていたからこそ、マルティネスにとっての幻の恋人になり得たということなのかもしれない。
それから職場にパブロというお節介がいなければ、マルティネスの微妙な変化もわからなかっただろう。奇跡のような偶然がうまく作用したと言えるだろう。不在のアマリアによって、マルティネスは職場の仲間とも、短い時間とはいえ心を通わせることになったのだ。最初の頑固さからは想像ができないほどの展開に、ちょっとほっこりさせられる。

©2023 Lorena Padilla Banuelos
ルーティンに囚われる
本作はメキシコ映画とのこと。たとえば『母の聖戦』や『息子の面影』などのメキシコ映画を観ていると、メキシコは世界で一番物騒な場所なんじゃないかというイメージだったのだが、本作はまったくのん気な映画になっている。
ロレーナ・パディージャ監督は小津安二郎の映画が好きなのだとか。冒頭から人のいない風景や部屋の置物などを捉えたカットが3つ続く。そうしたカットの連続によって、ある種のリズムを生み出していくというのは小津の映画でよく見るスタイルだろう。全体的にも一部を除きほとんどがフィックスで撮られていて、そのあたりも小津からの影響なのかもしれない。仏頂面の主人公が織り成すコメディという点では、カウリスマキっぽいものを感じなくもない。
ラストではマルティネスは急に幻想から覚めたようだが、元の頑固じじいに戻ったわけではなさそうだ。仕事も辞めてパブロの故郷に遊びに行くなんて行動は、かつてのルーティンに縛られたマルティネスなら無理な行動だろう。
多分、マルティネス自身も自ら決めたルーティンに囚われてしまっていることを感じていたのかもしれない。そこから自由になったマルティネスは、初めて海を見ることになる。ラストカットの海はメキシコ湾なのだろうか。
Wikipediaによれば、チリという国は南北には4300キロメートルほどあるけれど、東西は170キロメートル程度なのだとか。チリの西側はどこへ行っても太平洋が広がっているわけで、ちょっとだけ西に移動すれば、海を見ることはできたはずだ。それにもかかわらず、マルティネスは自分は内陸の出身だからと自らを決めつけ、海を見てみようとはしなかったらしい。結局は自分で決めたルーティンに閉じこもることで、自らを窮屈にしていたということなのだろう。
翻って自分のことを考えてみれば、思い当たる節がなくもない。こんなブログをやっていること自体がまさにそれなのかもしれない。自分で自分を窮屈にしてしまうようなルーティンなのか、好きだからやっていることなのか、もはやよくわからなくなりつつあるけれど……。




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