監督は『エターナル・サンシャイン』などで撮影監督を務めていたエレン・クラス。本作が彼女にとっての初の監督作品ということになる。
主演は『タイタニック』などのケイト・ウィンスレット。彼女は本作の製作にも関わっている。
物語
1938年フランス、リー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は、芸術家や詩人の親友たち──ソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)らと休暇を過ごしている時に芸術家でアートディーラーのローランド・ペンローズ(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い、瞬く間に恋に落ちる。だが、ほどなく第二次世界大戦の脅威が迫り、一夜にして日常生活のすべてが一変する。写真家としての仕事を得たリーは、アメリカ「LIFE」誌のフォトジャーナリスト兼編集者のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、チームを組む。1945年従軍記者兼写真家としてブーヘンヴァルト強制収容所やダッハウ強制収容所など次々とスクープを掴み、ヒトラーが自死した日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室で戦争の終わりを伝える。だが、それらの光景は、リー自身の心にも深く焼きつき、戦後も長きに渡り彼女を苦しめることとなる。
(公式サイトより抜粋)
リー・ミラーという写真家
リー・ミラーという人については本作で初めて知ったのだけれど、報道写真家として名を馳せた女性らしい。『シビル・ウォー アメリカ最後の日』の主人公だったリーという女性は、このリー・ミラーをモデルに創作されたキャラクターだったようだ。Wikipediaの記載によれば、リー・ミラーは「20世紀を代表する女流写真家のひとり」とのこと。
『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』は、そんなリーという女性の中年期に絞って描かれている。モデルとして有名になり、当時のモダンガールの象徴的な人物とも言われていた人らしいのだが、写真家として側面を中心に描かれるのだ。
本作ではまったく触れられてはいないのだが、ロジャー・ペンローズという男性と出会った時には実は結婚していたらしい。私生活のごたごたとかもありそうなのだが、そうした面はすっかり省略され、彼女が第二次世界大戦の戦場でその様子をカメラに収めていくところに焦点を当てている。
本作は戦争が始まる前の1938年の場面から始まる。そこでリー(ケイト・ウィンスレット)が享楽的な生活をしていたことはすぐにわかる。恐らくその場面がフランスを舞台にしているからということでもあるのだが、芸術家や詩人の親友たちとの会食では女性がトップレス姿になっている。リーも席に着くと当たり前のように胸をはだけて、ワインを飲み始めるのだ。
そんな女性がなぜか軍服に身を包み、戦場へと向かうことになる。彼女は誰から頼まれたわけでもないのに、世界を動かす出来事が起きている場所へと赴き、それを写真に収めようとするのだ。

©BROUHAHA LEE LIMITED 2023
男と伍して闘う女性
リーは男性社会で奮闘することになる女性だ。ひっきりなしタバコを吹かし、スキットルで酒を呷る、男勝りとも言える女性だ。主演でもあり製作も担っているケイト・ウィンスレットがリーという女性に興味を持ったのも、男と伍して闘うような姿でもあるのだろう。
リーは『VOGUE』誌の記者として活動することになるけれど、編集長は男性で、上司であるオードリー(アンドレア・ライズボロー)と共に男性からの偏見とも闘うことになる。やがて活動の場を戦場へと変えるけれど、戦場に女性カメラマンの居場所はない。受け入れる側もリーのような珍しい存在に困惑しているようでもある。
『LIFE』誌の記者であり、ライバル関係とも言えるのにもかかわらず、なぜかウマがあって、戦場ではチームを組んで活動していたシャーマン(アンディ・サムバーグ)。彼は男性だからそれだけで許可される場所も、リーは女性だからという理由でなぜか拒否されてしまう。それでもリーはカメラマンとしての仕事を諦めることがなかった。
リーは戦闘の最前線と思しき場所で、その戦闘の瞬間を撮影し、時にはナパーム弾の爆発を捉えたりもする。それでも彼女の活躍が鮮明になってくるのは、戦争が終わってからということになる。
リーが戦争前の時代の仲間だったソランジュ(マリオン・コティヤール)とフランスで再会すると、彼女は別人のように痩せこけている。彼女は自分の身に起きたことをうまく説明できないのだが、その場にいなければ、フランスという戦場で何が起きていたのかはわからないと語ることになる。
その後に、リーは別の仲間であるヌーシュ(ノエミ・メルラン)とも再会し、そこで衝撃的な話を聞かされる。フランスでは多くの人が、それこそ何万という人が消えているのだという。これはナチス・ドイツがやっていた悪行であり、今ではその事実は明らかにされたものの、戦争が終わったばかりの時はまだほとんど知られていなかったのだ。
強制収容所に収容されたのは、ユダヤ人ばかりではない。たとえば共産主義者とか、ロマ族の人々、さらには同性愛者など、ナチスが自分たちの勝手な論理で「反社会的」とされた人を強制的に連行していたのだ。ソランジュに起きたことも、そうしたナチスの悪行のひとつということになる。
リーは戦争が終わって彼女のことをフランスまで迎えにやってきたローランド(アレクサンダー・スカルスガルド)のことを振り切って、シャーマンと二人でさらに最前線へと向かうことになる。彼女がそこで見たのは、まさに衝撃的な光景だった。
リーは解放されたばかりの強制収容所で、あのドキュメント映画『夜と霧』にも出てきたような山のように積み重ねられた死体を写真に収めることになる。そして、さらにはヒトラーが自殺した翌日、ヒトラー邸宅のバスルームで、ヒトラーの写真と一緒に被写体となるのだ。本作のチラシなどにも使われているキービジュアルはこの写真ということになる。

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枠物語の役割
本作はリーの伝記的事実を描くわけだけれど、枠物語として、あるジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)が年老いたリーにインタビューをしているというエピソードが用意されている。
そのジャーナリストの若者は、質問されるのが嫌いだというリーから、何とか写真家時代の話を訊き出そうとする。リーの過去の話は、リーが若者からの質問に答える形で描かれているということになり、本作は時にこのインタビューシーンが挿入される形で進んでいく。
リーはインタビューを受ける代わりに、若者の話を聞かせくれと提案する。そして、リーが望んだのは若者の母親の話だった。その時に若者が語ったのは、母親と自分との関係だ。若者は母親があまり幸せそうに見えなかったようだ。そして、その責任は自分にあると考えていたようだ。ところが実はそれは母親自身の問題であって、彼のことは関係なかったと後になって気づいたというのだ。若者はなぜそんな話をリーに向ってしているのか?
その疑問が、最後にリーが打ち明ける事実によって解消される。リーはその若者の母親だったのだ。そして、リーは彼が子どもの頃に読んでやった絵本などを彼に差し出すとどこかに消えてしまう。
エンドロールの情報によれば、リーは自分がかつて写真家をやっていたということを、息子に一切語らなかったらしい。屋根裏部屋にしまい込まれていた大量の写真を、彼は母親が死んだ後に発見したのだ。
本作では机の上に広げた写真を前にして、若者とリーのインタビューがされているという描かれ方をしていた(ちょっとだけ『サラバンド』を思い起こした)。実はこのインタビューそのものが、若者の亡き母親との会話という妄想だったということなのだ。

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ほろ苦い後味
なぜこんな枠物語があるのだろうか? リーは自分がやっていることが正しいことであると思っていただろう。だからこそ愛しているペンローズの誘いを断ってまで、フランスに残って写真を撮り続けた。ただ、その写真は『VOGUE』誌に掲載されることはなかった。あまりに衝撃的なものだったから、編集部は掲載を躊躇したのだ(その後にアメリカ版には掲載されたらしい)。
リーが写真の対象として選んでいたのは、戦争の被害者たちだ。特に本作で印象深いのは、強制収容所にいた不安そうなロマ族の少女や、ナチスの巻き添えを喰う形で服毒自殺させられた少女などだ。リーは戦後のフランスでレイプされそうになっていた女性を助け、護身用のナイフを渡していたけれど、彼女自身もそうした被害の当事者だったようだ。そうした被害者の姿を世界に訴えることが正しいことでないはずがない。リーはそんなふうに思っていたはずだ。
ところが世間はリーの写真をそれほど評価していたとは言えなかったようだ。Wikipediaの記載によれば、「存命中には、大きな展覧会の開催も、作品をまとめた写真集の出版もなかった」とのこと。もしかするとリー本人は自分のやったことが間違ったことだと感じながら亡くなっていったということなのかもしれない。
リーが子どもを産んだというエピソードはない。「子どもはいらない」などと語る場面もあったけれど、戦後にローランドと結婚し家庭に入ったということなのだろうか。とにかくリーは写真家時代のことを封印するようにして生き、1977年に亡くなったらしい。
もちろんその後に遺された人の活動もあって、状況は変わったということなのだろう。リーは「20世紀を代表する女流写真家のひとり」とまでされているけれど、亡くなった当時はそうではなかったということなのだろう。その点で本作はほろ苦い後味がある。
リーの人生に感銘を受けたケイト・ウィンスレットとしては、もっと彼女のことを世界の人に知って欲しいという思いで本作のプロデュースにも取り組んだということなのだろう。確かに本作はいつも以上に気合いが入っているようにも見える。
ケイト・ウィンスレットは、リー本人に似せるというよりは、あまり若くはないケイト・ウィンスレットの今を曝け出してリーという女性を演じている。ちょっとふくよか過ぎるところもあるけれど、劇中の台詞にもあるように「女性が年老いるということが許せない」男の目線など気にするものかという意識なのかもしれない。とにかく立ち振る舞いが堂々としていて、見ていて気持ちいいくらいだった。
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