『動物界』 人間が動物に?

外国映画

監督は『Les Combattants』トマ・カイエ。本作は長編としては第2作で、日本での劇場公開は初めてだと思われる。

主演は『彼は秘密の女ともだち』などのロマン・デュリスと、『Winter boy』ポール・キルシェ

原題は「Le regne animal」。

物語

近未来。人類は原因不明の突然変異によって、徐々に身体が動物と化していくパンデミックに見舞われていた。新生物はその凶暴性ゆえに施設で隔離されており、フランソワの妻ラナもそのひとりだった。しかしある日、移送中の事故によって、彼らは野に放たれる。フランソワは16歳の息子エミールとともにラナの行方を必死に探すが、次第にエミールの身体に変化が出始める…。人間と新生物の分断が激化するなかで、親子が下した最後の決断とは――?

(公式サイトより抜粋)

人間が動物に?

突然変異によって人間が動物に変わってしまうという設定のフランス映画。セザール賞では最多12部門のノミネートを果たし、観客動員100万人を超える大ヒット作となったとのこと。

突然変異によって人が人でないものになってしまう。これはどこか『X-MEN』的なものを思わせる。しかしハリウッドのそれがヒーローものの一種なのに対して、フランス産の『動物界』はリアル志向だ。

なぜ突然変異が起きたのかは謎だが、それが生じると次第に人間が動物と化していく。昨日までは人間だったのに、朝起きたら毒虫だったという小説もあったが、アレとは異なり次第に動物と化していくというところがミソなのかもしれない。これによって周囲は考えざるを得なくなるからだ。“新生物”と呼ばれる存在とどのように付き合うべきかということを。

主人公のフランソワ(ロマン・デュリス)の場合は奥さんのラナが動物化してしまったようで、奥さんは“新生物”と認定されることになり施設に隔離されている。もう一人の主人公はフランソワの息子であるエミール(ポール・キルシェ)だ。

動物化していくと、次第にその人は人間らしい行動が困難になってくる。それによってエミールは危険な目にも遭ったようだ。エミールの顔には爪痕のようなものがあり、それは動物化した母親がやったことらしい。タイトル前に初めてその母親が姿を見せるのだが、その顔は堅い毛に覆われていて人間とは思えないような姿になっているのだ。

©2023 NORD-OUEST FILMS – STUDIOCANAL – FRANCE 2 CINEMA – ARTEMIS PRODUCTIONS

隔離か? 共生か?

動物化といってもその形態は様々だ。エミールの母親の顔はいわゆるオオカミ男ふうになっていたけれど、後半になってさらに動物化が進行した時点での姿はクマっぽくもある。エミールの家にはペットの犬アルベールがいたけれど、犬のような動物ならば家族として一緒に暮らしていくことだって可能なのかもしれないけれど、クマとかになるとそれも難しいということになるのだろう。

劇中には色々な“新生物”が登場する。タコ人間みたいなものとか、鳥と人間が合体した形状のものもいる。『ボーダー 二つの世界』に登場したキャラのような不思議な生き物もいた。単純に人間が動物に変化するというよりは、人間と動物の遺伝子が混じり合ってしまって別の生き物になってしまったということなのだろうか。

中にはカエルと呼ばれている子どもとか、身体全体が枯れ枝みたいになってしまったものもいて『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』のグルートみたいにも見えた(あんなにかわいらしくはないのだけれど)。こうなってくると、もはや“新生物”というよりも、ほかの映画で観た異星人の類いに見えなくもない。

そんな“新生物”とどう付き合うか? 隔離するか共生するかということになるわけだが、フランス政府は隔離政策を選ぶことになる。劇中の台詞にもあるけれど、人は未知のものを恐れるわけで、今まで見たこともなかった“新生物”を「恐れない」でいることは難しいということなのかもしれない。

©2023 NORD-OUEST FILMS – STUDIOCANAL – FRANCE 2 CINEMA – ARTEMIS PRODUCTIONS

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現実世界と地続き

エミールも母親の変化に戸惑っている。父親のフランソワはどちらかと言えばラナとの共生を望んでいたのかもしれないけれど、もしかするとエミール自身は母親が別物に変わってしまったと感じ、隔離政策を「やむなし」と考えていたのかもしれない。ところがそのエミール自身にも動物化の兆候が生じることになる。エミールはそれから森に逃げ込んだ“新生物”たちと接触を試みることになる。

エミールが森で出会ったのは、冒頭近くでも大暴れしていた鳥人間のフィクス(トム・メルシエ)だ。エミールはフィクスと接触することで、“新生物”というものが何なのかを学ぼうとしていたということなのだろう。自分も遅かれ早かれそうなることを理解していたからだ。

フィクスは人間から鳥になる途中の状態で苦しんでいる。彼が鳥になるとすれば、飛べない鳥は生きていけないわけで、どうすれば飛べるようになるかということで四苦八苦することになる。エミールはその練習に協力することになるのだ。

フィクスが大空を飛ぶ瞬間が本作で一番気分が上がる瞬間だったかもしれない。飛ぶ能力を得ることは、フィクスは何かの出来損ないなどではなく、生物の一種としてこの世で生きていくことが許された存在なのだということを示した瞬間だったからかもしれない。

たしか『X-MEN』のシリーズのどこかにも鳥人間的なキャラが出ていたと思うけれど、『動物界』のそれの描き方は妙にリアルなところがあり、絵空事になってしまいがちなハリウッドとは違い、現実世界と地続きだと感じさせるところが独特だったと思う。

©2023 NORD-OUEST FILMS – STUDIOCANAL – FRANCE 2 CINEMA – ARTEMIS PRODUCTIONS

動物化は悪いことか?

かつて東浩紀が書いた本に「動物化」というキーワードを使っていたものがあったけれど、別にその本を参照しなくても「動物化」という言葉自体で、なぜか人間が退化したといったふうなマイナスのイメージがある。動物というのは人間と比べて劣った存在なのだろうか?

しかし本作のラスト近くで森の中で“新生物”が平和に暮らしているのを見ると、“新生物”が退化した人間であるかのようなイメージはない。むしろ動物化したエミールのことを追って殺害しようとする人間の側のほうが、愚かに見えなくもない。

そもそも本作はタイトルの付け方が面白い。英語版のそれは「The Animal Kingdom」というものだが、フランス語の原題では「動物界」を意味するタイトルということになる。

「動物界」の「」というのは、生物学における分類階級のことを指す言葉だ。生物は「界・門・綱・目・科・属・種」という階級によって分類されることになる。

ちなみに生物全体を分類すると一説によると5つの界に分かれることになるらしい(6つに分類する場合もある)。5つの界とは、「動物界」「植物界」「菌界」「原生生物界」「モネラ界」ということになる。原生生物とかモネラというのが何なのかは調べてもらうとしても、「動物界」「植物界」「菌界」が示すものが何なのかは誰でもわかるだろう。

本作はその「動物界」の話ということになる。人間というのはもちろん「動物界」に属している。さらにその下位の分類を見ていくと、動物界⇒脊索動物門⇒哺乳鋼⇒サル目(霊長目)⇒ヒト科⇒ヒト属⇒サピエンス種というところにわれわれは位置することになる。

この系統樹を見ていくと、「動物界」というものが多種多様なのだということがわかるだろう。「鋼」のレベルには「哺乳鋼(類)」がいて、そのほかには「鳥綱」「両生綱」「魚綱」「昆虫綱」「蠕虫綱」がいる。オオカミ男とか鳥人間などの“新生物”は、このレベルで人間と混じり合った存在ということなのだろう。

タコ人間は「鋼」より上の「門」のレベルで混じり合ったもので、グルートみたいなヤツはさらに上の「界」のレベル、つまりは動物と植物が混じり合った存在ということだったのかもしれない。

間違えてはいけないのは、この枝分かれしていく系統樹は、分類上のレベルの差はあったとしても、たまたま枝分かれしただけで、どの生物が優れているとかそういうものを示したものではないということだ。

こんなふうに系統樹を見てみると、同じサピエンス種の中でたとえば肌の色の違いとか人種の違いとかで騒いでいるのがとてもバカらしくなるだろう。生物という意味では、サピエンスも犬もタコも、さらには植物でさえも、もしかしたらそれほど違いはないということなのかもしれないのだ。

本作はそんな問題提起をしているのだ。その点はなかなか面白いのだが、すでに『X-MEN』シリーズでも似たようなことは描かれていたとも言えるわけで、もう少し踏み込んだ“何か”が欲しかったという気もした。

エミールの動物化が中途半端に終わってしまったのも惜しかった気がする。もっとエミールが動物化していく過程を描けばボディ・ホラー的要素が増えていったわけで、それをしなかったのはかわいらしい風貌のポール・キルシェを崩したくはなかったからだろうか。

それでも演者たちはとてもいい。ロマン・デュリスポール・キルシェの親子の愛はなかなか感動的だったし、『アデル、ブルーは熱い色』の時はまだあどけなさすら感じたアデル・エグザルコプロスが大人の女性になった姿も見られる。

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