『ふつうの子ども』 初恋×環境問題=?

日本映画

監督は『ぼくが生きてる、ふたつの世界』呉美保

脚本は『グッバイ・クルエル・ワールド』高田亮

主演は『ちひろさん』などの嶋田鉄太

物語

上田唯士(ゆいし)、10才、小学4年生。両親と三人家族、おなかが空いたらごはんを食べる、いたってふつうの男の子。最近、同じクラスの三宅心愛(ここあ)が気になっている。環境問題に高い意識を持ち、大人にも臆せず声を挙げる彼女に近づこうと頑張るが、心愛はクラスのちょっぴり問題児、橋本陽斗(はると)に惹かれている様子。そんな三人が始めた“環境活動“は、思わぬ方向に転がり出して――。

(公式サイトより抜粋)

子どもたちの顔

呉美保監督の『きみはいい子』という作品は、子どもたちの演技がアドリブに見えるくらいに自然で良かったのだけれど、『ふつうの子ども』も子どもたちの顔が見どころの作品になっている。

冒頭から主役である唯士(嶋田鉄太)の顔のアップからスタートする。子どもたちの顔は被写界深度の浅いカメラで撮られているため、周りがぼやけて余計に顔の印象が際立つことになる。子どもたちの顔こそが本作の見どころだと明確に意識しているからだろう。

大人になるとみんなある程度取り澄ましたような顔になっていく。面倒くさい社会の中で長く生きていくとそんなふうにならざるを得ないということなのかもしれない。だから大人たちは一様な顔に見える時がある。

しかし、本作の子どもたちは違う気がする。ひとりひとりがとても個性的で、とにかくいい表情をしているのだ。そんな子どもたちの顔を見ているだけでも十二分に楽しい映画になっているのだ。

©2025「ふつうの子ども」製作委員会

初恋×環境問題=?

本作はいわゆる初恋の物語とも言える。唯士が心を奪われてしまったのは、クラスの三宅心愛(瑠璃)だ。心愛は作文の発表で、環境問題について訴えることになる。みんなの笑いを誘うような唯士の作文とは違い、心愛の作文は強い問題意識を持っていて、何もしようとしない大人たちを糾弾するような激しいものになっている。風間俊介演じる先生はそれを「極端だなあ」という言葉で退しりぞけてしまうけれど……。

唯士は心愛と仲良くなりたくて、環境問題の本を読み出してみたり、図書館通いの心愛の周囲をうろついてみたりする。あまりにあからさまな唯士の態度を心愛は見透かしているようだ。それでも環境問題についての啓発になればいいと考えたのか、心愛も唯士に声をかけてくれるようになる。

ところがそこに邪魔者が入り込んでくる。クラスであちこちに唐突にちょっかいを出して顰蹙ひんしゅくを買っている問題児の陽斗(味元耀大)が、ふたりの活動に割り込んできたのだ。

唯士と心愛は環境に対して危機意識を共有するようになった。そこに陽斗が首を突っ込んで、刺激を与える。「お前ら、何かやるのかと思ってた」、陽斗はそんなふうに言う。その言葉が心愛の活動家としてのハートに火を付けることになる。

もともと心愛は大人たちに対して、「子どもたちの未来を壊したのに何の対策もしようとしない」と非難していたわけで、陽斗の一言が環境問題に対して積極的な働きかけをするきっかけになるのだ。

それでも意識改革を訴えるビラを張ったりするくらいなら別に大きな問題にはならなかっただろう。しかしながら、三人の活動は次第に過激になっていく。

©2025「ふつうの子ども」製作委員会

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子どもたちの姿の裏には?

『ふつうの子ども』は子どもたちの三角関係のようなものを描くわけだが、それによって仄めかされているものがある。子どもたち三人の関係性は、環境問題への行動を次第にエスカレートさせていくわけだが、それはかつての学生運動の姿とも重なっているように見えたのだ。

これに関しては、呉美保監督がこんなことをインタビューで語っている。

主役の3人が徐々に暴走していく姿には、1960~70年代の学生運動や連合赤軍の事件も重ねました。最初は3人とも同じ志をもっているのですが、だんだん温度差が出てくる。

三人の関係を整理すれば、環境問題を真剣に案じているのは心愛だが、ほかの二人の動機は別にある。唯士は心愛が好きで彼女に近づきたかったからだし、陽斗は何か面白いことがしたかっただけだろう。

それでも複雑な関係性の力学は、活動を過激化する方向に動いていく。心愛にとっては環境問題を訴えることは正義だから、どんどん歯止めが効かなくなってくる。

しかし、唯士なんかは動機が不純だから、すぐに日和ひよることになるけれど、心愛から好かれたいという思いもあって引くに引けなくなっていく。そうして地域の住民にケガをさせるまで、彼らの活動はエスカレートしてしまう。

学生運動の内部で働いていた力学も、実はこんなものだったんじゃないか? たとえば凄惨な犠牲を出すことになった連合赤軍事件を描いた『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』などを観ても、政治的な変革ばかりが話題となっていたとも言えず、組織内部の人間関係によって活動が左右されていたように見えなくもないのだ。

つまり本作は子どもたちの戯れ言を描いているように見えて、その実、かつての学生運動をも皮肉っているのだ。

これには脚本家の高田亮の立場も影響しているのだろう。世代的に第二次ベビーブーム世代である高田亮が脚本を書いた『グッバイ・クルエル・ワールド』は、私には世代論のようなものを展開しているようにも見えた。登場人物の描き方が第二次ベビーブーム世代の視点から見た距離感によって測られているように思えたからだ。

そして、本作で仄めかされている学生運動が盛んだった時代に主役だったのは、ベビーブーム世代だったとも言える。つまり、第二次ベビーブーム世代からすれば親の世代だ。第二次ベビーブーム世代は彼らの熱狂を後に知ることになるものの、その熱狂の理由を正確にはつかみかねていたんじゃないだろうか。

だから本作もちょっと冷ややかな目で学生運動を見ている。結局、本当に革命に興味があったのはごく一部で、そのほかは騒ぎたいだけのヤツとか、異性(あるいは同性)目当てで参加しているヤツとか、そんなところが実態だったんじゃないか? そうしたことが本作では仄めかされているということになる。それが本作を単に子どもたちがかわいいというだけに収まらないものにし、見応えのあるものにしていたと思う。

©2025「ふつうの子ども」製作委員会

結局、三人の環境テロは、子どもたちだけでは済まない問題になってしまう。そうするとようやく大人たちが前面に出てくることになるのだが、それぞれの親の対応も様々で、三者三様だった。

久しぶりの蒼井優の姿も嬉しかったけれど、出番は少ないながらも瀧内公美がインパクトがあった(ちょっと怖いお母さんだけど)。しかしながら、どれが正しい親の姿なのかはよくわからないし、どれが普通なのかもよくわからない気もした。

唯士役の嶋田鉄太の台詞回しは独特で、時にゴニョゴニョ言ってて不明瞭なのだけれど、そこがまた良かった。ハキハキした子どもたちばかりではないのは言うまでもない。そんな唯士のことが気になっているのか、彼に近づくオカッパの女の子(藤井メイ)の底抜けの明るさも微笑ましいものがあった。

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