『木の上の軍隊』 帰りたい場所

日本映画

井上ひさしが遺した原案をもとに、こまつ座が舞台劇にした作品の映画化。
監督・脚本は『ミラクルシティコザ』平一紘
主演は『弾丸ランナー』堤真一と、『夜、鳥たちが啼く』山田裕貴

物語

太平洋戦争末期、戦況が悪化の一途を辿る1945年。飛行場の占領を狙い、沖縄県伊江島に米軍が侵攻。激しい攻防戦の末に、島は壊滅的な状況に陥っていた。宮崎から派兵された少尉・山下一雄(堤 真一)と沖縄出身の新兵・安慶名セイジュン(山田裕貴)は、敵の銃撃に追い詰められ、大きなガジュマルの木の上に身を潜める。仲間の死体は増え続け、圧倒的な戦力の差を目の当たりにした山下は、援軍が来るまでその場で待機することを決断する。戦闘経験が豊富で国家を背負う厳格な上官・山下と、島から出たことがなくどこか呑気な新兵・安慶名は、話が嚙み合わないながらも、二人きりでじっと恐怖と飢えに耐え忍んでいた。やがて戦争は日本の敗戦をもって終結するが、そのことを知る術もない二人の“孤独な戦争”は続いていく。極限の樹上生活の中で、彼らが必死に戦い続けたものとは――。

(公式サイトより抜粋)

木の上の隠れ家で

戦争が終わったことを知らずにジャングルの中で長らく暮らしていたという話は、横井庄一さんや小野田寛郎さんの例がある。小野田さんのことは『ONODA 一万夜を越えて』という映画にもなったばかりなので、そのサバイバル状況がいかに厳しいものだったということは記憶に新しい。

先の二人の例はその期間が極端に長かったこともありメディアにも取り上げられて有名になったけれど、こうした例はほかにも結構あったということなのかもしれない。本作も実話をもとにしているとのこと。

戦争という非常事態の中で、今のような通信手段もなかったわけで、終戦をあちこちに散らばっている兵士に伝えることは難しかったということなのだろう。

『木の上の軍隊』の山下少尉(堤真一)と安慶名(山田裕貴)たちは、沖縄県伊江島という場所で本土決戦前の最終決戦として米軍を迎え撃つ。しかしながら敵軍の勢力は圧倒的で、味方は次々に殺され、生き残った二人は敵に追われて逃げ惑う中で、たまたま近くにあったガジュマルの木の上に登り、事なきを得た。それから二人は援軍が自分たちを見つけてくれると信じ、木の上を秘密基地のようにして隠れて生きていくことになる。

島の人たちにも「楽に死ぬことなど許されない」などと言ってのける、いかにも帝国軍人という印象の山下少尉と、沖縄生まれの呑気な新兵・安慶名。二人だけの軍隊は、最初は山下がリーダーシップを取るのだが、そこで生きていくに当たって一番問題になるのは何より食糧のことだ。それに関しては地元の安慶名の知識が役に立つことになる。

©2025「木の上の軍隊」製作委員会

一番の敵は“餓え”

二人は隠れている身なわけで、食糧の調達はままならない。周囲に食べ物はなく、一番の敵は“餓え”と言えるような状態だ。蘇鉄の実を山下少尉が見つけてきたものの、それをそのまま食べたら死ぬらしい。安慶名のやり方で何とか蘇鉄団子を作ったものの、それもかなり不味い代物だったらしい。それでもそれを食べなければ、飢え死にしてしまう。

そんな中、米軍が残した缶詰が見つかる。安慶名は命拾いしたと喜ぶものの、山下はそれに手をつけようとはしない。帝国軍人としては、敵が作った食べ物で生きていくのは耐え難いということだろうか。

安慶名は食べなければ死ぬとわかっているから、その缶詰を食べて生き延びる。しかし、山下は決してそれには手をつけずに衰弱していく。安慶名はこのままでは山下が死んでしまうと思い、米国の缶詰を日本の物に偽装して無理やり彼に食べさせることになる。

後半では逆にハブに噛まれた安慶名を山下が助けるというエピソードもあり、二人はそんなふうに助け合って2年という月日を生きていくのだ。

状況はなかなか厳しいものだが、本作には何となくユーモアが感じられる。これは堅物の山下も、結局は沖縄人のおおらかさというのか、安慶名の呑気さみたいなものに引きずられているからかもしれない。

敵陣の基地で彼らの食べ残しを見つけた時は、最初にそれに手を出したのは山下だった。それを安慶名に見られて山下は微妙な表情を見せるのだが、そのあたりで帝国軍人としての洗脳は解けたのかもしれない。そんなものはそこでは役に立たないし、その時重要だったのは何よりも生きなければならないということだったからだ。

©2025「木の上の軍隊」製作委員会

帰りたい場所

本作はダブル主演ということにはなっているけれど、どちらかと言えば原作者の気持ちは安慶名のほうに寄り添っているように思えた。戦争の舞台となり、故郷を踏みにじられた形の沖縄の人たちの気持ちを、安慶名が代弁しているところがあるからだ。

安慶名には精神を病んだ母がいて、与那嶺(津波竜斗)という地元の友人がいた。そして、その与那嶺には娘もいた。そういう親しい友人たちはみんな戦争で死んだ。たまたま安慶名は生き残ることになったけれど、多くの島の人たちは戦争の犠牲になったのだ。

そして、島自体も変わってしまった。伊江島には飛行機の滑走路が作られた。しかし、それは戦局があやしくなってくると爆破されることになる。安慶名はその滑走路ができる前に何があったのか「もうわからない」と言う。戦争によって、安慶名の故郷である伊江島は変わり果ててしまったのだ。

安慶名は「帰りたい」と言うけれど、その伊江島は彼の故郷なのだ。もう帰るべきところはなくなってしまったのだ。彼が帰りたかったのは元のままの伊江島であって、誰もいなくなってしまった今の伊江島ではないのだ。ここには図らずも故郷が戦場となってしまった人の切実な思いがある。

安慶名は山下少尉に「なぜ沖縄で」と疑問を投げかける。山下少尉は宮崎の人で、命令を受けて戦場となった伊江島に派兵されてきていたのだ。

山下は安慶名に対して反論する。「オレの故郷だったら良かったのか? 自分たちだけが無事ならいいのか?」などと。そこから先は「国中が一丸となって」云々というお題目みたいなもので、彼の言うことは帝国軍人としては間違いではないのだろう。彼はそんなふうに軍国主義教育を受けてきたのだ。ただ、その言葉は沖縄の人には届かないだろう。

©2025「木の上の軍隊」製作委員会

なぜ自分たちの故郷が

原案を書いたとされる井上ひさしは、「戦後“命”の三部作」という戯曲を構想していたらしい。この三部作は、広島と長崎と沖縄を舞台にしている。実際に井上ひさしが書いたのは、広島を舞台にした『父と暮せば』だけだったようで、ほかの二作品は構想だけ遺して亡くなってしまったようだ。それを形にしたのが、彼の意志を継ぐことになった「こまつ座」ということらしい。

それでも、三カ所の地名を見れば、井上ひさしが考えていたことは誰にでも明らかだろう。この地域は日本軍が引き起こした戦争によって犠牲になった場所なのだ。この地域の人たちは当然、安慶名と同じことを感じるだろう。「なぜ自分たちの故郷が」ということだ。

これに対して、その戦場となった地元の人たちを納得させる言葉があるのだろうか? 恐らくそんな言葉はどこにもないだろう。だとすれば戦争なんてしないに限るわけだが、未だに戦争はなくならないわけでそっちのほうが疑問に感じなくもない(誰が何のためにそれをしようとするのだろうか)。

今年は戦後80年に当たるのだとか。節目に当たる年なのだ。ひどく月並みではあるけれど、そんな時期にこうした映画を観ることは、改めて当たり前のことに気づかせてくれるという意味で有意義なのだと思う。

山田裕貴『夜、鳥たちが啼く』などでは、眼光の鋭さもあって危険な雰囲気があるけれど、本作では一転して沖縄人ののんびりとしたところを醸し出していたのはちょっと意外でもあった。

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