脚本は『花束みたいな恋をした』や『怪物』の坂元裕二。
監督は『花束みたいな恋をした』の土井裕泰。
主演は広瀬すず、杉咲花、清原果耶の3人。
物語
現代の東京の片隅。古い一軒家で一緒に暮らす、美咲(広瀬すず)、優花(杉咲花)、さくら(清原果耶)。仕事、学校、バイト、それぞれ毎日出かけて行って、帰ったら3人一緒に晩ごはん。リビングでおしゃべりして、同じ寝室で寝て、朝になったら一緒に歯磨き。お互いを思い合いながら穏やかに過ごす、楽しく気ままな3人だけの日々。だけど美咲には、バスで見かけるだけの気になる人がいて、そのことに気が付いた2人は…。
もう12年。家族でも同級生でもないけれど、ある理由によって強い絆で結ばれている3人。それぞれが抱える、届きそうで届かない<片思い>とは-。
(公式サイトより抜粋)
ネタバレ厳禁の作品
うら若き3人の女の子が古い一軒家で一緒に暮らしている。3人は仲良しで、寝室も同じだ。彼女たちはもう12年もそうして一緒にいるという。彼女たちはせいぜい20代前半くらいなのに、12年も一緒にいるのだという。ということは、子どもの頃からずっと一緒ということになる。子どもたちが3人だけで一体どうやって暮らしてきたのか、そんな疑問を抱かせることになる。
この3人の関係性も不思議だが、彼女たちが妙に無神経に見える部分があって、そこも気にかかる。バスの中では人に聞かれたらマズいことを平気で話していて、傍若無人と言ってもいいくらいなのだ。それでいてバスの中の客は、彼女たちの子どもじみた行動を無視しているのにも違和感がある。これは一体どういうことなのか。それが『片思い世界』の大きな「秘密」となっている。
ちなみに本作は公開前から「ネタバレ厳禁」とされていたようだ。ネタバレしてしまうと作品が台無しになってしまう。そんなふうに宣伝する側は考えているらしい。しかし、実際には本作はそのネタで最後まで引っ張っていく作品ではない。というのも、映画が始まって30分も経たないうちに、その「秘密」は明らかになるからだ。むしろ、そこから先の部分を描きたかったということなのだろう。だから個人的にはこの隠された「秘密」の部分は、ネタバレしても問題ないんじゃないかとは思う。
本作は『花束みたいな恋をした』の監督・脚本コンビの最新作ということで、それだけで期待値が高いし、さらにそれぞれいつもは単独主演をこなしている広瀬すず、杉咲花、清原果耶という豪華な顔ぶれも見どころだろう。
それでもなぜだろうか、私にはまったく響いてこなかった、残念ながら。映画サイトの評価を見てみると、感動している人が結構多いことが意外なものに感じられるほど、ハマらなかった。それがなぜなのかを分析すれば、自分のことを分析することになるのかもしれない。とりあえずは「ネタバレなし」に書けることはこのくらいしかないので、以下はすべてネタバレで書いていくつもりなので悪しからず……。
※ 以下、ネタバレあり! 重要な「秘密」に触れているので要注意!!

©2025「片思い世界」製作委員会
現実と重なり合う別世界
彼女たち3人は幽霊ということになる。冒頭では、彼女たちが小学生だった頃のことが描かれる。合唱団のグループの中に3人がいて、そこに不審な男が現われる。彼女たちはその不審者の凶行に犠牲になった3人だったのだ。
面白いのは、「死後の世界」が、われわれ生者が住まう現実世界とほとんど何も変わらないということだろう。彼女たちは子どもの時に殺され幽霊になったけれど、その後も成長し続け、今のような若い女性の姿になったというわけだ。ただ、彼女たちは幽霊だけに、生きている人間には見えないことになっている。彼女たちは現実世界に生きているようにも見えるけれど、実は「死後の世界」と「生者の世界」が重なり合っているだけということらしい。
劇中では、これがどういうことなのかを素粒子とかを使って説明している。今の技術では検出されないけれど、実際には存在していて、もしかするとそのうち発見されるかもしれない云々。とにかく現実世界と重なり合うような形で「死後の世界」も存在しているのだ。

©2025「片思い世界」製作委員会
ラジオからの声
たとえば最近の『プレゼンス 存在』は、ある地縛霊の話だったけれど、ここでの地縛霊も基本的には人には見えないことになっていた。しかしながら、『プレゼンス』の地縛霊は現実世界に干渉することができた。やろうと思えば、何らかの力を発揮して、自分の存在を生きている人に知らしめることができたのだ。
それに対して、『片思い世界』の彼女たちはそういうことが一切できない。「生者の世界」と重なり合って存在しているにもかかわらず、一切その現実世界には手を触れることもできないし、自分たちの存在をアピールすることもできないのだ。このもどかしさみたいなものが、本作のキモなのだろう。
そういう状況下で、彼女たちはどう生きていくのか? そこにラジオからの声が聞こえてくる。その声は「死後の世界」から「生者の世界」へ戻る方法があると訴える。「あなたの大切な人に会うんです。そして思いを届けてください」とその声は語る。それによって「生者の世界」へ戻れるというのだ。
彼女たちには、「生者の世界」にそれぞれ大切な人がいる。美咲(広瀬すず)の場合は、事件の時にたまたま現場にいなかったために惨劇を逃れることになった典真(横浜流星)のことを気にかけている。
次に優花(杉咲花)の場合は、それは母親(西田尚美)ということになる。そして、さくら(清原果耶)の場合は、大切な人というわけではないけれど、犯人(伊島空)のことが気になっている。これは犯人が「なぜそんな凶行に及んだのか」ということを確かめたかったからということになる。
3人それぞれのエピソードが描かれるけれど、結局、これらエピソードが示していることは、改めて彼女たち幽霊が現実世界には介入できないということを確認させることだったのだろう。だから決められた日時に灯台へ行くことで「生者の世界」へ戻れるという話があったにもかかわらず、何も起きずにラジオの嘘に踊らされた形になって終わることになる。幽霊はどうやっても現実世界には介入できないということが明らかになるのだ。

©2025「片思い世界」製作委員会
「片思い」とは?
つまり本作の「片思い」とは、誰かに一方的に恋焦がれることではなく、「死後の世界」にいる幽霊たちが、かつては自分たちがそこにいた「生者の世界」のことを思う心のことなのだろう。
「死後の世界」は「生者の世界」と接していて、「死後の世界」の側からは「生者の世界」を覗き見ることができる。けれどもそれに介入したり干渉したりすることはできない。ただ、覗き見るだけで、何もできない。そういう関係が、「片思い」という言葉として表現されている。
一方で、生者の側は死者のことを忘れ去ってしまっているのか。そういうわけではないだろう。典真というキャラは、事件以降ピアノを辞めてしまった。彼は何かしらの罪悪感を覚えているのだ。サバイバーズ・ギルトというヤツだろう。これは美咲のことを思っているからだ。同じように、優花の母親の行動だってそうだ。優花のことが忘れられないからこそ、犯人に対して「なぜ」という問いかけをすることになるし、仇討ちみたいなことを仕出かすことになる。
現実世界の生者も死者のことを思っているとも言える。ただ、それはとても一方的なものであって、相手とそれを通じ合うことは難しい。そんな意味では、どちら側からも「思い」は一方通行にならざるを得ず、だからこそ本作は「片思い世界」というタイトルになっているということなのだろう。
一応は、奇跡のような瞬間もある。美咲と典真とのエピソードは、彼女の思いが通じたようにも描かれている。とはいえ、「生者の世界」の典真が美咲の姿をまざまざと感じたりするわけではなく、曖昧な形で描かれている。美咲が残したノートを読むことで、典真が間接的に彼女の存在を感じた形なのだ。ここでも最後まで「死後の世界」が「生者の世界」に干渉できないというルールは守られているわけで、そのもどかしさというものが本作の感動させるところなのだろう。
そこに関してはわかるのだが、なぜかノレなかった。まったく感情がついてこなかった。3人が灯台で「飛べ!」と叫ぶあたりに寒々しいものを感じてしまったからかもしれない(「飛べ」という言葉は、最後に歌われる合唱曲「声は風」の歌詞からなのだと思う)。
本作は脚本の坂元裕二が「劇伴はなるべく少なく」という要望を出していたようで、音楽によって気持ちを盛り上げる部分は、ラストの合唱の部分を除くとほとんどない。坂元裕二としては本作の設定だけで十分に観客の気持ちを掴めるという判断だったのかもしれない。多くの観客にとってはそうだったのかもしれないけれど、私はなぜかその世界観にまったく入り込めなかった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」などと言うけれど、この言葉は人の恐怖が枯れたススキを幽霊のように見せてしまうことを示している。そもそも幽霊が実在するとも思えないわけで、結局は生者の側が生み出した幻ということになるだろう。
本作の幽霊も、どこかで坂元裕二の「思い」みたいなものが結実したものなのだろう。現実世界とは没交渉になってしまってはいるけれど、実はすぐ近くにいて、生者と何も変わらない生活をしている。亡くなった人たちがそんなふうにあってほしいということだろう。そこのところが私には受け難いと感じられたのかもしれない。個人的には、死んでからくらいはゆっくり休ませていただきたいと思ってしまうからだろうか?
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