原案は猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』。
監督・脚本・編集は『人はなぜラブレターを書くのか』の石井裕也。
主演は『本心』の池松壮亮。
物語
1941(昭和16)年4月。日本中のエリートたちが集められた「総力戦研究所」という組織が存在していた。
官僚・軍・民間から選りすぐられた、次世代を担う“ベスト&ブライテスト” 。彼らに課せられた任務は、アメリカを中心とした諸外国との戦争の行方を「予測」すること。膨大なデータを積み上げ、苦しみと情熱の中でシミュレーションを繰り返した末、彼らが見たのは―
原爆投下以外のほぼすべてを的中させた、日本の「圧倒的な敗北」という衝撃のシナリオだった。
(公式サイトより抜粋)
あくまでもフィクションとして
本作の原案は猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』で、それを元にNHKで製作・放映された番組があったらしい。NHKスペシャル『シミュレーション〜昭和16年夏の敗戦〜』という番組だ。この番組はドラマのパートとドキュメンタリーのパートがあり、そのドラマパートを40分ほど拡大したものが『開戦前夜』という映画版として公開されたということらしい。
本作で取り上げられる「総力戦研究所」という組織は実在したものだ。ただ、『開戦前夜』はあくまでもフィクションであるということを謳っている。これは公式サイトの「映画『開戦前夜』の公開にあたって」という文書に記載されている通り、NHKの番組が裁判沙汰になっていることも影響しているようだ。劇中に登場する人物の遺族から訴えられたのだ。
劇中に登場する人物は歴史上の人物もいるけれど、架空の人物もいて、遺族から名誉棄損などと訴えられたキャラは架空の人物だとしている。本作はあくまでも事実を元にしたフィクションということを改めて強調しているのだ。本作の意図としては、誰かを断罪したいというわけではなく、あくまでもフィクションとして歴史の失敗から学ぶということにあるのだろう。
観る側としても、私自身は特段歴史に詳しいわけでもないし、劇中に描かれている出来事が実際の出来事とどれだけ違っているかなどを判断できるわけもない。「総力戦研究所」というものが、実際にどれだけの影響力があったのかということについても意見が分かれる部分もあるようだ。だから以下に記すことは、あくまでもフィクションとしての『開戦前夜』についてということになる。


©2026 ポニーキャニオン/東京テアトル/NHKエンタープライズ/RIKIプロジェクト
「総力戦研究所」の結論は?
「総力戦研究所」は、その名前の通り、アメリカとの戦争の行方をデータを元に予測する組織だ。そして、そこに集められた精鋭たちが予測したのは「日本必敗」という結果だった。
最初は軍人たちを中心に「開戦は必然だ」とする者たちも多かった。しかしながら、与えられたデータを元に計算を進めていくと、日本とアメリカとでは国力の差が歴然としていることがわかってくる。
最初の前提は、陸軍が南方(フランス領インドシナ)に軍を進めるところから始まっている。そこにある石油を奪おうと考えてのことだ。陸軍は石油を奪うことには成功するかもしれない。ところがその後に別の問題が生じる。データによれば、石油を日本に運ぶための船が不足することが予測されるのだ。
こうした指摘はほかにも様々出てくる。データを元にその先を予測してみると、戦争が長引けば日本の負けは必然のこととして見えてくるというのが結論だったのだ。そうなると開戦派は劣勢で、精神論を持ち出すほかなくなってくる。データの説得力には勝てないのだ。
これらの結果は詳細なデータに基づいて計算されたものだが、優秀な人が冷静に考えればある程度は想像できることだったようだ。主人公の宇治田(池松壮亮)もそんなふうに感じていて、まさか本当に日本がアメリカと戦争を始めるなどとは考えてもいなかったのかもしれない。
そんな宇治田は摸擬内閣の総理大臣に任命され、日本の命運を担うことになっていく。「総力戦研究所」では、自由闊達な議論が許されていることになっている。しかし実際には開戦を望んでいる陸軍の意向もあり、開戦に否定的な者は邪魔だからか戦地に送られたりするようなことも生じる。
そのまま行けば日本は戦争に突き進み、破滅するほどの敗北を喫することになる。宇治田はそんな幻影を見てしまうことになるのだが……。

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開戦を後押ししたのは?
先ほどもちょっと触れたけれど、本作は誰かを断罪しようというものではない。最初は陸軍の暴走が開戦の要因なのかとも思えたけれど、陸軍の中にも戦争回避に向けて努力している者がいることもわかってくる。
さらには開戦論者に見えた東条英機(佐藤浩市)も、実際にはそうではないことが描かれる。東条英機は「総力戦研究所」の結論に対し、机上の空論だと否定する。しかし、そんな東条自身がアメリカとの開戦には大きな問題があるということは十分に認識していたのだ。
ところが実際には、「総力戦研究所」の結論に反してなぜか開戦することになってしまう。東条はこの時、内閣総理大臣に任命され、天皇陛下(松田龍平)の命を受けて戦争回避を探っていた。東条は、日本の一番の権力者ということになるだろう。しかしながら東条は戦争回避をすることができない。
一番の権力者も屈してしまうような“何か”が存在するということになるのだ。それが何かと言えば、「空気」ということになる。

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「空気」の支配
本作で描かれたのと似たようなことは、たとえば『アルキメデスの大戦』でも描かれていた。『アルキメデスの大戦』では天才数学者である主人公が、数字でもって理論的に戦艦大和を作ることの無謀さを暴くことになる。データでその無謀さは明らかにされたのだ。ところがなぜか史実はその反対になってしまう。理論的に明らかにされたものが覆されたわけは、『アルキメデスの大戦』を観てもらうほかないけれど、そこに関わっているのが「空気」であったとも言えるだろう。
ちなみに『「空気」の研究』(山本七平)という本でも、戦艦大和のことが例として挙げられている。この場合は、戦艦大和が出撃するか否かという時の話だが、ここでも出撃の無謀さは多くの人が気づいていたにもかかわらず、大和は出撃し沈没することになってしまう。この時、それを決めたとされているのが「空気」だったのだ。
大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずる細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている」力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。
(『「空気」の研究』 文春文庫 p.16)
戦艦大和は造船の過程でも、その最期の出撃においても、「空気」の決定が関わっていることになる。そして、さらにその前の開戦の決定ということにおいても、本作で描かれたように「空気」というものが関与しているということになる。同じことが繰り返されているのだ。
劇中の東条は開戦の言い訳として、陸軍がこれまで奪ってきた権益をすべて捨て去ることはできないとも語る。その権益を獲得するまでに多大なる犠牲を払ってきたからだ。しかしながら東条にそんなことを要求している誰かが描かれるわけではない。日本全体としてそういう「空気」が醸成されていて、それに逆らうことは東条すらもできなかったということなのだろう。
その「空気」とは一体何なのか? それを知りたくなるけれど、「空気」というものは目に見えないわけで、それを明確に指し示すことは難しいということだろうか。というわけで、日本では責任の所在というものがよくわからなくなってしまう。だからこそ本作は誰かを断罪するものではない。ただ、それでも何だかよくわからない「空気」というものがあって、日本ではそれに抗うことは難しいということなのだ。暗澹とさせられるのは、それは今もほとんど変わっていないようにも思えるからだろうか?





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