『ジュリーは沈黙したままで』 繊細な、あまりに繊細な

外国映画

監督・脚本はレオナルド・ヴァン・デイル。短編作品がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映されたベルギーの人で、本作は長編デビュー作。

共同プロデューサーには『トリとロキタ』ダルデンヌ兄弟の名前が挙がっており、さらにエグゼクティブ・プロデューサーとして本作を後押ししているのはテニスの大坂なおみ選手。

アカデミー賞の国際長編映画賞のベルギー代表作品とのこと。

物語

ベルギーのテニス・アカデミーに所属する15歳のジュリー(テッサ・ヴァン・デン・ブルック)は、その実力によって奨学金を獲得し、いくつもの試合に勝利してきた。ある日、突然、担当コーチのジェレミー(ローラン・カロン)が指導停止になったことを知らされると、彼の教え子であるアリーヌが不可解な状況下で自ら命を絶った事件を巡って不穏な噂が立ちはじめる。ベルギー・テニス協会の選抜入りテストを間近に控えるなか、クラブに所属する全選手を対象にジェレミーについてのヒアリングが行われ、彼と最も近しい関係だったジュリーには大きな負担がのしかかる。それでも日々のルーティンを崩さず、熱心にトレーニングに打ち込み続けるジュリーだが、なぜかジェレミーに関する調査には沈黙を続ける……。

(公式サイトより抜粋)

大坂なおみ選手がきっかけ?

本作にエグゼクティブ・プロデューサーとして参加しているテニスの大坂なおみ選手は、かつて全仏オープンで記者会見には応じないと表明した。テニスはほとんど見ないけれど、この出来事はニュースなどでも話題になっていたと記憶している。大坂なおみ選手はメンタルヘルスを守るためだと説明して、沈黙したということらしい。

レオナルド・ヴァン・デイル監督が本作を製作した1つのきっかけには、この大坂なおみ選手の出来事があったらしい。本作の物語そのものは大坂なおみ選手をモデルにしているわけではないけれど、完成後のプロモーションの段階で彼女が本作を観て共感したことで、エグゼクティブ・プロデューサーという形で本作に協力することになったということらしい。

物語はタイトルそのままに「ジュリーは沈黙したままで」ずっと続いていく。彼女は沈黙したままだから、観客としても一体何が起きたのかもよくわからないまま物語は進行していく。

劇中で示されるのは、有能なテニス選手であったアリーヌという女性が自殺したということと、それに関わって彼女のコーチだったジェレミー(ローラン・カロン)が指導の停止を言い渡されたということくらいだ。

主人公ジュリー(テッサ・ヴァン・デン・ブルック)のコーチもジェレミーであり、ジェレミーの一番のお気に入りがジュリーであることは周知の事実だったようだ。そうなると周囲はジュリーが何か知っているのではないと勘繰ることになる。

ジュリーはみんなから注目を浴びる。彼女は何かを知っていると周囲は感じていて、彼女の発言や行動を注視しているのだ。ところがジュリーは頑なに沈黙を守ることになるのだ。それはなぜなのか?

©2024, DE WERELDVREDE

沈黙の理由は?

ジュリーも才能のあるテニス選手という設定で、それを演じるテッサ・ヴァン・デン・ブルックももともとテニスプレーヤーとのこと。だからテニスのシーンは本格的だ。本作はそうしたテニスの練習の描写に多くの時間が割かれている。その一方で、肝心のテニス・アカデミーで一体何が起きたのかについてはわからぬままだ。

コーチが変わった後も、ジュリーは学業とテニスの練習に打ち込むことになる。心の中では色々と蠢くものがあるはずだが、それは外側には出てこないわけで、彼女がどんなことを考えているのかはわからない。

ジュリーは最初コーチが変わることを嫌がる。そして、電話でジェレミーに相談してみたりする。新しいコーチのバッキーはジェレミーから言わせると、テニスのことは何もわかってないらしい。

ジュリーが沈黙したのは、ジェレミーを守るためだったのだろうか。ジュリーはジェレミーと自殺した女の子の間に何があったのかは知らない。それでもジェレミーに対する信頼は篤いようで、処分保留のような状態にあるジェレミーに不利になるかもしれない発言はできなかったということだろうか。しかし、ジュリーの気持ちは少しずつ変化していくことになる。

©2024, DE WERELDVREDE

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コーチと選手の関係

二人が一度だけ顔を合わせる場面がある。この場面では、ジュリーがジェレミーに何があったのかを訊こうとすると、ジェレミーは「バカだなあ」などと、はぐらかし話を逸らせる。そして、ジェレミーがジュリーの手に触れようとすると、彼女はそれを拒否することになる。

それに対してジェレミーは、言われた通りに手を引っ込めるのだが、同時に「『やめて』と言われてやめたぞ」などとも付け加えている。自分が何かを無理強いしているわけではないと言い訳しているようでもある。

このシーンは何を描いているのだろうか? レオナルド・ヴァン・デイル監督によれば、ここに見えてくるのはある種の「グルーミング」ということらしい。

「グルーミング」という言葉をネット検索すると、「性的な目的で、子どもや性的虐待の被害者となる可能性のある人物に近づき、時間をかけて信頼関係を築き、手なずける行為」などとある。

劇中の二人がそんな関係にあるのかはわからないけれど、ジェレミーがジュリーを手なずけて、うまくコントロールしようとしているところは見てとれる。それに対して、ジュリーが抵抗している場面とも言える。

このことがきっかけだったのか、ジュリーはジェレミーの洗脳から次第に脱していく。それまでは新しいコーチであるバッキー(ピエール・ジェルヴェー)に対して否定的だったのに、いつの間にか彼のやり方を認め、ジェレミーが戻ってきてもバッキーにコーチを続けてほしいと言い出すのだ。ジェレミーのやり方におかしなところがあったということに気づいたということなのだろうか。

©2024, DE WERELDVREDE

繊細な、あまりに繊細な

『ジュリーは沈黙したままで』が描こうとしているのはジュリーの内面だ。とはいえ、人の心の内はその人の顔や身体を見ていても十分には見えてこない。そうなると本作はほとんど何も起きない退屈な映画にも見えてくる。

そういう意味では、ぼんやり観ていると何だかよくわからないまま終わってしまうのかもしれない。というのも、何度も記すようにジュリーは沈黙したままで、彼女の気持ちが吐露されることもないからだ。

ちなみに町山智浩は、本作のカメラが雄弁だと指摘している。それでもそれは観ている誰もが感じるものではなさそうだ。ぼんやり観ていては気づかないような繊細なものなのだ。

ラストではジュリーが何かしらの告発をしたことが示される。しかしながら、それがどんな内容なのかはわからない。とにかくジュリーがようやく沈黙を破ったことだけは明らかになる。

正直に言えば、私には本作の繊細過ぎる表現をうまく捉えられてはいない。町山智浩の指摘するような繊細な映像表現というものも感じ取れなかった。

それでもひとつ印象的だったシーンがある。具体的にジュリーの心情が吐露されたりはしないけれど、音響効果でそれを示している場面と思しきシーンがあったのだ。

この場面ではジュリーは試合で勝ち、お祝いの席らしきものが設けられることになる。ジュリーはテニス・アカデミーのみんなを出迎えることになるのだが、その時になぜか日常的な音が後景に退き、ズシンという大きな音が何度か響くことになるのだ。

私はスクリーンに映されている映像と、その音響効果がうまく結びつかなくて、シネコンなどでよくある現象と勘違いした。隣の劇場の爆音が聞こえてきてしまったのかと思ったのだ。

それほど違和感あるシーンだったのだが、これはジュリーが外面的にはテニス・アカデミーの面々とのやり取りをしていても、その内側で何かしら別のことが起きているという表現だったのだ。ジュリーの内面で響く何かが、ラストの告発へとつながっていくのだろう。

本作はとても繊細にジュリーという女の子に寄り添っている。本作のテニス・アカデミーの経営者はとても親身になってジュリーに相対することになる。彼女はジュリーの沈黙を受け入れ、それ以上しつこくその出来事について彼女に突っ込もうとはしなかったのだ。

下世話な観客としては何があったのか探りたくなるし、最後まで何が起こったのかがわからぬままというラストに不満を抱いてしまったりもする。しかしながら、そうした態度こそが被害者をさらに追い詰めてしまうということなのかもしれない。だからこそ本作はジュリーが最後まで何も語らないままで終わりを迎えることになるだろう。それほど繊細な映画だった。

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