『石がある』 二人の微妙な距離感

日本映画

監督・脚本は太田達成。本作が初の長編監督作品ということらしい。

主演は『彼方のうた』などの小川あんと、ドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』の監督でもある加納土

第73回ベルリン国際映画祭 フォーラム部門に出品された作品。

物語

旅行会社の仕事で郊外の町を訪れた主人公(小川あん)は、川辺で水切りをしている男(加納土)と出会う。相手との距離を慎重に測っていたが、いつしか二人は上流へ向かって歩きだしていた――

(公式サイトより抜粋)

石がある?

不思議なタイトルだ。「石がある」のだという。英語のタイトルは「There is a stone」となっている。中学英語の例文みたいな、普段は使いそうもない意味のない言葉にすら思える。タイトルを見ればどんな映画なのか想像がつく作品もあるけれど、『石がある』はまったくそういう想像をさせないものがある。ただ、石があるというだけなのだから。

本作はある川が重要な舞台となっているわけだが、そこは観光地とは言い難い場所だ。するとどうしても「何もない」なんてことを言ってしまいたくなる。私自身も地元のことを「何もない場所だよ」なんて紹介してみたりもするわけで、これはそんなに珍しいことではない。

ただ、本作の太田達成たつなり監督は「そうじゃない」と考えているらしい。何もない川辺にも「石があるじゃないか」というわけだ。そんなふうに、本作は普段見過ごしてしまいがちなところにスポットライトを当てるような作品になっているのだ。

タイトルからは中身が想像もつかない本作は、端的に言えば、主人公(小川あん)が川辺である男(加納つち)と出会い、日がな一日遊ぶだけの話ということになる。それ以外のことはほとんど何もない。人の川遊びを見せられて何がおもしろいのか、そんなふうに思う人もいるかもしれないのだが、なぜか退屈さは皆無だった。それが不思議なところだ。

冒頭から本作のゆったりとしたリズムに観客は乗せられていたのかもしれない。何もない丘があり、しばらくすると主人公が丘の向こうから登場する。しかし彼女は何をするわけでもない。どこかに向かっているというふうもなく、丘の上をブラブラとそぞろ歩くといった様子だ。カメラはその歩みをゆったりとしたパンで追っていく。そんなのんびりとした雰囲気にいつの間にかに心をつかまれていたのだろう。

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二人の微妙な距離感

ところが彼女は変な男に出会ってしまう。ちなみに本作の主人公にも、彼女が出会った男にも名前がない。名前を聞くほど、二人の関係が深まることもなかったとも言えるのかもしれない。

主人公には何となく川の向こう岸に石切りをしている男がいるのは見えていただろう。とはいえ、川幅は広く、男が投げる石切りの石さえも、川の真ん中くらいまでしか届かないような距離だ。

彼女にとっては、その男の姿はほとんど風景の一部のように映っていたかもしれない。しかし、その男は向こう岸の彼女に何やら話し掛けてくると、あろうことか川の中にずんずんと入り込み、彼女のほうに向ってくることになってしまうのだ。

驚いた彼女は一度は逃げようかともしているけれど、わざわざ来てくれた手前それも悪いと思ったのか、一応はその男を気にかけているかのような言葉を投げかけることになってしまう。そんなふうにして主人公はその風変りな男と出会うことになる。

男の風貌は、丸坊主で“裸の大将”風のイメージだ(ランニングシャツではないけれど)。無視するのも気の毒なので、主人公は石切りが「凄かったですね」などと褒めてみると、男は石切りのやり方を彼女に教えてくれようとする。石の投げ方や、投げる石の選び方など、そうしたアレコレを教えてくれることになるのだ。

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男は悪い人ではないのかもしれない。けれども見渡す限りの周囲にはほとんど誰もいないわけで、彼をどこまで信用していいのかはわからない。そんな感覚がゆったりとした中にも、一種のサスペンスみたいなものを生じさせることになるのだ。

主人公はそんな中でも男に付き合って川遊びに興じることになる。石切りから始まり、石積みも楽しんだし、棒運びという二人で考案した他愛ないゲームもある。砂地の部分に体重を乗せて崩してみたり、まるで子供が遊んでいるかのように、わけもわからない遊びに耽ることになるのだ。しかしそれでいて彼女は男との距離感を測りかねているということになる。

男は無邪気に彼女に近づいてきたようにも見える。実は後半には、視点が男の側に移行し、男の自宅での姿が描かれる場面もある。そこでの男は、その日のことを振り返り、それを日記にしたためたりもする。積み上げられた本からすると、彼は読書家なのかもしれない。その姿には無邪気さはなく、だとするとしつこく主人公を川遊びに誘う行動はちょっと異様なものが感じられたりもすることになるのだが……。

他人との距離感は難しい。大人になるとそんなことを感じる。それに対して、子供たちはそんなことはないのかもしれない。男に出くわす前に、主人公は子供たちからサッカーに誘われることになる。「人が足りないから入ってくれ」というのだ。その誘いに迷いというものはない。子供たちははるか遠くにいた主人公を見つけ、一気にその距離をゼロにしてしまうのだ。

それでも一頻ひとしきりサッカーをやると、子供たちはあっさりと去っていく。そして、その別れにも何の後ろめたさもないのだ。人との距離を縮めるのも、人から離れるのもごく自然で、だからこそ人に気を遣わせない。

でも大人になるとそうではなくなる。主人公は男との距離を測りかねている。男は川向こうから距離を一気に縮めてきた。そんなところを見ると子供っぽいようにも見える。しかし身体はデカいし、意外と素早い。彼がどんなつもりで彼女に近づいてきたのかもわからない。街中でナンパされたなら無視すればいいのかもしれないけれど、親切心で声をかけてくれたのだとしたら……。そんな気持ちが彼女を躊躇させ、キッパリと男を突き放すこともできないというわけだ。

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「遊び」と心地いい時間

最終的には主人公は彼の意図を図りかねて「一体何がしたいんですか?」などと言ってしまう。しかしながら、これは主人公にも当てはまる言葉だろう。

主人公は一体何のために東京から郊外にやってきたのだろうか? 最初に会った車の男性(顔は判別できないけれど五頭岳夫が演じている)には、「どこかいいところはないですか?」とかなり曖昧に訊ねてはいる。さらに彼女は観光ではなくて「一応、仕事で」と漏らしていたけれど、単にブラブラしていただけで積極的に「いいところ」を探していたようには見えないのだ。

「一体何がしたいんですか?」という言葉は、もしかすると観客が主人公に対して感じていたことかもしれないし、ひょっとすると男の側が彼女に抱いていた疑問だったのかもしれない。

この「何がしたいのか?」という疑問に対しては、たとえば「ご飯が食べたい」とか「家に帰りたい」など、何かしらの目的を持つ行動が答えとして求められているということになるだろう。しかし、男は自分が何をしたいのかよくわかっていないし、それは彼女も似たようなものだったんじゃないのだろうか。

公式サイトの「INTRODUCTION」のページには、「途方もない無意味さに、なぜか心震えて」などと書かれている。これは太田監督が友人と石拾いをした経験についての言葉ということらしい。本作の劇中にも、それと同じようなシーンがある。

主人公が石切りをする石を探すために、川辺の石を漁っている中で、不思議に丸い石を見つけたのだ。彼女がその時、何を感じていたのかはわからない。けれども何かその瞬間に、彼女を感動が貫いたらしい。しばらくその石をとても大切なもののように見つめていたのだ。

もちろんその石は特別なものではない。ただ、なぜか彼女はそれに感動してしまったのだ。ところが男はその彼女の大切な石を石切りに使ってしまうことになるのだ。男はすぐに自分のやったことが間違いだったと気づくことになるけれど、すでにその石は川の流れの中に埋もれてしまうことになる。

このエピソードは、彼女が抱いた感動というものが、彼女にとっては大切なものであるけれど、それを他人と共有することは途方もなく難しいということを表しているのかもしれない。

それでも二人が共有していた感動もあったはずだ。それが川辺での様々な「遊び」だろう。そもそも「遊び」というのは何なのか? 定義は様々だが、自由な活動であることや、結果が決められていない不確定な活動でもある。また、非生産的な活動であるとも言う。これらは「遊び」が、いわゆる意味や目的のある活動ではないということを示しているだろう。

たとえば石を高く積んだところでもちろん何の意味もないし、砂地を崩す遊びも無意味な行動だ。それでも何だかやってみると楽しい。単にそれだけだ。何かのためになるとかもなく、純粋に行動それ自体が楽しいのだ。この部分では二人は何かしらの感動を共有していたんじゃないだろうか。

二人は結局名前も聞かずに別れることになるけれど、この無意味な「遊び」というものに対する感動だけは共有していたように見え、二人が川辺を特段言葉を交わすこともなく歩いていく場面はとても心地いい時間だったのだ。

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私が本作を観たのは、連休最終日の夜で、劇場は満席だった。そして、その日はたまたま終映後にトークショーがあった。しかも、太田監督と主演の二人も登場するという豪華な面子だった。

この映画の撮影現場は小川あん曰く、ほかの現場とは異なり理想的なものだったのだそうだ。10日ほどの撮影だったようだが、監督だけは悩んでいた時もあったようだが、そのほかのスタッフなどは待ち時間も多く、のんびりとした様子だったようだ。

特に加納土は「石がある」ならぬ「石になる」といった状態で、川辺の石と化して昼寝に励んでいたらしい。劇中の男は突然姿を消す時間もあり、石の妖精みたいに思えなくもなかったわけで、役になりきっていたということなのかもしれない。

トークショーでは三人の関係性のよさが垣間見える感じがして、本作が醸し出しているのんびり感は、撮影現場の雰囲気もあってのことだったのかもしれないとも思えた。

左から太田達成監督、小川あん、加納土

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