『威風堂々』 奨学金という名の借金

日本映画

監督・脚本は『君たちはまだ長いトンネルの中』などのなるせゆうせい

主演は『17歳は止まらない』池田朱那

物語

特にやりたいことも夢もなかった高校3年の唯野空(池田朱那)は、将来の保険として大学進学の道を選んだ。と同時に借金を背負った。大学生の二人に一人が使ってると言われる【奨学金】という美しいネーミングセンスの借金を…。
大学進学後、実家に居心地の悪さを感じつつあった空は彼氏の蛭間拓人(簡秀吉)の提案で同棲生活を始める。奨学金の返済に加え、生活費は嵩む一方…普通にバイトをして稼いでも、奨学金を返し終わるのはアラフォー。現実から逃れたかった空は、大学で知り合った異色な同期・九頭竜レイ(吉田凜音)と水江聡太(田淵累生)の影響を受け、”とあるアルバイト“を始めることに。果たして彼女が突き進んだ先には何が待ち受けているのか・・・。もがきながら今を必死で生きていく大学生のリアルを描いた、ダーク青春カタストロフィー。

(公式サイトより抜粋)

社会派青春映画とは?

9月は1日が休みだったということもあり、ファーストデイ・サービスでほとんど事前情報も知らずに観た作品。

脚本・監督のなるせゆうせいは演劇などをやっている人とのことらしいが、最近は社会問題を扱った映画を撮っているようで、このシリーズは“社会派青春映画”を謳っているらしい。

前々作の『君たちはまだ長いトンネルの中』では消費増税反対をテーマにし、前作の『縁の下のイミグレ』では外国人労働者の問題を、そして、本作『威風堂々 奨学金って言い方やめてもらっていいですか?』では、奨学金の問題について扱っている。

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オフィスインベーダー

最近はあまり聞かないけれど、かつては「社会派の映画監督」などと形容される人もいたはずで、そうした作品は大真面目で重苦しくて泥臭いといったイメージだった気がする。そうした作品から比べると本作はまったく毛色が異なるかもしれない。

確かに取り扱っている題材は至って真面目だし、それを世間に訴える役割を担っているのだが、同時に今の若者の姿を描いてもいて軽妙な部分もある(お笑い芸人が顔を出したりもする)。

ポスターのビジュアルなんかを見ていると、韓国の恋愛映画『建築学概論』にそっくりだったりするのも、若者に訴えかけようという意識なのかもしれない(とはいえ、恋愛要素はほとんどないのだが)。そして、一部はアイドル映画っぽい趣きもあったりして、バラエティに富んでいて取っつきやすい作品と言えるかもしれない。

©映画「威風堂々」製作委員会

日本の奨学金制度

都内の郊外に住んでいると思しき主人公・空(池田朱那あかな)の家庭は、あまり裕福とは言えなそうだ。四人家族の食卓もほとんど一汁一菜といった感じで、母親(遠山景織子)がもらってきたパート先の残り物のコロッケをありがたがっているほど質素な食卓なのだ。

父親(光徳瞬)は会社をクビになったらしく、今では警備員みたいなことをしているらしい。空は今年受験を控えているけれど、父親は「国公立じゃないと学費は出せない」と宣言している。にも関わらず、空は健闘虚しく第一志望に合格することはできず、滑り止めの私立大学に入学せざるを得なくなる。

父親の言う通り、私立大学の学費を払えるほどの金はなかったわけで、空はその費用を自分でどうにかしなければならなくなる。そんな時に希望をもたらすものとして、「奨学金制度」が出てくるわけだが、詳しく話を聞くとそれほど夢のような話にはなっていないようだ。

奨学金には「給付型」と「貸与型」があり、貧乏学生にとってありがたいのは、返済の必要がない「給付型」ということになるわけだが、日本では給付型をもらえる人はごく限られているらしい。欧州などでは給付型が一般的だというのだが、日本はなぜかそうなってはいないのだ。

「貸与型」というのはお金を受け取ることはできるけれど、社会人になったら返済しなければならないというもので、これは結局は借金ということになってしまう。これでは学生ローンなどと何が違うのかということにもなる。それなのにネーミングだけは立派で美しいものになっていて、実態とはかけ離れている。だから副題にもあるように「奨学金って言い方やめてもらっていいですか?」ということになるわけだ。空としては背に腹は代えられず、奨学金をもらって大学に通うことになるのだが……。

©映画「威風堂々」製作委員会

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YOUは何しに大学へ?

空にはアホな彼氏の拓人(簡秀吉)がいて、拓人は「そもそも大学に行く必要なんてあるの?」と空に素朴に訊ねることになる。空もあまり考えもせずに、「みんなが行くから」という理由で大学を目指していたわけなのだが、改めて考えれば借金をしてまでなぜ行かなければならないのかと疑問にもなる。

空の兄貴(小野匠)が言うことには、かつては大学に通うことは高等教育を受けることであり、一種のエリートを意味するものだった。ところが今となっては大学自体が大衆化したものになり、かつてのような価値はない。それでもなぜか「大学には行かなれば」というような考えだけが残っているということになり、そこに齟齬が生まれている。

本作はそうした奨学金の問題をわかりやすく説明してくれる。拓人のような何も知らない若者をターゲットにしているということなのかもしれない。とはいえ、奨学金の問題はまさにそんな若者にとっての問題ということになる。それでも本作を観れば、「どこかおかしいんじゃないか」といった問題意識を抱く人が出てくるかもしれない。

©映画「威風堂々」製作委員会

若者たちの怒り

空は社会人になる前に少しでも借金を返済しなければと考えていたところ、ゼミでレイ(吉田凜音)という友達にその方法を伝授される。それが“パパ活”だ。レイ曰く、ほかの方法では稼げる額も限られているわけで、今しか使えない女の武器を使うことが一番ということになる。

とはいえ、空がやった“パパ活”は、顔合わせという最初の段階までということになる。若い女の子を援助するという名目で、下心を隠したオヤジが喫茶店でコーヒーなんかを飲みながら説教を垂れたりし、空はそれに耐えることで金を稼ぐことになる。

若者と言っても中身は様々で、空の彼氏の拓人はまともな仕事に就くこともできず、you tuberとして稼ぐなどと言い出して空を失望させることになる。その反対に意識高い系の人もいて、実はレイが想いを寄せているらしい聡太(田淵累生)は、クラウドファンディングで一気に奨学金を返済することに成功したらしい(実際にどんなプレゼンをしたのかはわからないのだけれど)。

本作を観れば、奨学金制度に何かしらの問題があるということは理解できる。それでもそれを解決するにはどうすればいいかということになるとなかなか難しい。空がやっている“パパ活”だって、危なっかしいことに遭遇することだってあるし、そもそもやっていること自体に疚しさが付きまとうことになるわけで、いい気持ちになるはずもないのだ。

最後に露わになってくるのは、若者が大人たちに向ける怒りみたいなものになるかもしれない。「こんな日本に誰がした?」といった意識があるのかもしれない。

意識高い系の聡太は、頼りにしていた政治家が実際には言葉だけの人で、実行を伴う人ではないと知り、自分でやるしかないと決意したようだ。大人たちはあてにはならないから、結局、誰に頼ることもできないということなのだろう。そして、空が最後にやったことはほとんどやけっぱちで、嘘つきの悪い大人をとっちめてやらなければ気が済まなかったということだろうか。

そんなわけで本作のメッセージは悪くない。それは確かだけれど、どうにもそれ以外の部分はいただけない。ルックがテレビドラマのそれのようで、とても味気ないのだ。たとえば同じ週に観た『愛に乱暴』も大絶賛とは言えない印象だったけれど、夕暮れ時の色合いなど魅せるがあったと、今さらながら思ったりもする。メッセージならテレビのような媒体でも十分に伝わるのかもしれないけれど、映画ファンとしてはそれ以上の“何か”を観たかったという気もするのだ。

それでも“社会派青春映画”というシリーズが何本も作られているところからすると、こうした映画にも需要はあるし、それが果たす役割もあるということなのだろう。確かに勉強になる部分があるとは言えるわけで、求めているものが違うだけなのかもしれない。

主演の池田朱那はよかったと思う。それなりに深刻な場面も多い中、突如としてアイドルめいた“ぶりっ子”を演じてみても違和感はなく、その思い切りのよさが見ていて心地よかったのだ。

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