監督・脚本はこれまで『SCRAPPER スクラッパー』などの撮影監督として活躍してきたモリー・マニング・ウォーカー。本作が初の長編作品とのこと。
主役はドラマ『ヴァンパイア・アカデミー』のミア・マッケンナ=ブルース。
カンヌ国際映画祭では、「ある視点」部門のグランプリを獲得した。
物語
タラ(ミア・マッケンナ=ブルース)、スカイ(ララ・ピーク)、エム(エンヴァ・ルイス)の3人は、卒業旅行の締めくくりに、パーティーが盛んなギリシャ・クレタ島のリゾート地、マリアに降り立つ。自分だけがバージンで、居ても立ってもいられないタラ。初体験というミッションを果たすべく焦る彼女を尻目に、親友たちはお節介な混乱を招いてばかり。タラは、バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、一人酔っぱらい、彷徨っていた。そんな中、ホテルの隣室の少年達と出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くのだが――。
(公式サイトより抜粋)
スクリーン内との温度差
主人公のタラ(ミア・マッケンナ=ブルース)は、二人の友達と高校の卒業旅行でギリシャのリゾート地へ乗り込む。「マリア! マリア!」と騒いでいるのは、そこがマリアという場所だかららしい。とにかく三人はテンションマックスという感じで、酒を飲んでは吐き、散々歌って踊りまくり、夜通しはしゃぎ回ることになる。
この最初の印象は、そのテンションの高さから何となく『スプリング・ブレイカーズ』を思わせなくもない。いわゆる“パリピ”と言われる若者たちが浮かれ騒ぐ映画なのだ。
そんなスクリーンの女の子たちを眺めながら、観客席の私が感じていたのは、その温度差だ。スクリーンの中のテンションの高さと、それを醒めた目で見つめるしかない観客。そんな印象だったのだ。
なぜ醒めた目になってしまうのかと言えば、スクリーンの中の人たちと観客席の私はまったく相容れないものがあると感じていたからだろう。「パーティーを楽しめるような人」は、「そうではない人」からすればまったく縁のない別の種類の人たちに見えるのだ。
もちろん私は後者で、別のものを求めて映画館などに足を運んだりするわけだが、その映画館でパーティーの乱痴気騒ぎを見せられることになり、困惑してしまったのだ。
何もタイトルに惹かれて「セックスのやり方」を指南してくれるものと思っていたわけではない。『HOW TO HAVE SEX』は、カンヌ映画祭で「ある視点」部門のグランプリを獲るなど評価もよかったから観に行ったわけだ。それにもかかわらず、延々とテンション高い乱痴気騒ぎを見せられることになったわけで、間違った場所に迷い込んでしまったかのような気持ちになったのだ。

©BALLOONHEAVEN, CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE 2023
ロストバージンの顛末
ただ、本作は途中で転調することになる。そこから先は主人公のタラが抱えているものが見えてくるようになり、少しは近しいものを感じることができたような気もする。
羽目を外すつもりの三人は、リゾート地の気軽さで、「旅の恥は搔き捨て」とばかりに一夜限りのセックスを楽しもうとしている。「誰が一番ヤレるか」なんて話題で盛り上がることになる。しかし、そう強がってみても、タラは三人の中で唯一バージンということもあり、この卒業旅行でバージンからの卒業も目論んでいるのだ。
多分、意図的なのだと思うのだけれど、三人はかなり軽薄な存在として描かれている。タラの場合は、特に声がかすれていて、それもあって妙にスレているようにも感じられる(実際はバージンなのだけれど)。こうしたキャラクターの造形は、余計にスクリーン内の出来事と観客席の温度差を広げることに寄与している。
ところがある出来事でタラのテンションは一気に下がることになる。それがタラの初体験ということになるわけだが、これはタラが思い描いていたそれとはまったく違ったということらしい。

©BALLOONHEAVEN, CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE 2023
宴の後の虚しさ
散々飲んで踊った初日も終わって二日目の朝、タラはまだ寝ている二人を残してひとりでプールに出かける。そこには水着姿の若者たちが楽しそうに戯れる姿があり、タラはその様子に胸を膨らませる。夢に見ていたような世界がここにある。そんなふうに感じていたのかもしれない。
実際、その日、タラはホテルでバジャーたちと知り合うことになる。タラは最初はバジャー(ショーン・トーマス)が気に入っていたのだが、彼はお調子者でほかの女の子とじゃれ合う姿に幻滅したこともあって、バジャーの友人のパディ(サミュエル・ボトムリー)と初体験を済ますことになる。
この初体験が詳細に描かれるわけではないのだけれど、タラにとっては味気ないものだったのかもしれない。というのも、パディは事が終わった後は、タラのことを放り出して夜の街に消えてしまったからだ。
仲間ともはぐれたタラは、親切なお姉さんのグループに優しくされたりするものの、そんなこともかえって虚しさを増すばかりのようで、一気に意気消沈してしまうことになるのだ。
朝まで遊んでホテルに戻る際のタラの姿に、夢に胸を膨らませていた女の子の面影はない。誰もいない朝の街は前夜の騒ぎのゴミが散らばり、そこを場違いな水着姿でホテルに帰るタラ。宴の後の虚しさを感じさせる秀逸な場面だったと思う。

©BALLOONHEAVEN, CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE 2023
性的同意について
本作は、浅はかな女の子が調子に乗ってイヤな気持ちになる話と要約できなくもない。私は前半はまったく縁のない人たちの話だと感じていたけれど、後半はケバケバしい衣装もなくメイクも落としたタラの表情に同情を覚えるようになった。それまで背伸びをして大人のフリをしていたのはロストバージンという目的があったからで、そうした飾りをなくせばごく普通の女の子に見えてくるのだ。
それではタラがイヤな気持ちになったのはなぜなのか? 本作は性的同意ということが重要なテーマになっているのだ。同意がない性行為はレイプということになるが、本作のそれはあからさまなものではなかった。それでも実際に同意なき性行為で事件となるようなものは、こうした事例ということなのだろう。そのあたりが本作がリアルなところだ。
たとえば夜道を歩いていた女の子が暴力的に襲われたというのなら、それは誰がどう見てもレイプだし、やった側もそれを自覚しているだろう。しかし本作のパディは自分がしていることがレイプと変わりない行為とはまったく思ってもいないのかもしれない。男女の間にはかなりの意識の違いがあるということなのだろう。
初体験の時のタラは、確かにパディからの問いかけに対して同意している。とはいえ、これは本意だったかというとあやしいものがある。リゾート地でのロストバージンは意図していたものだが、それには周りからのプレッシャーもある。特に友人のスカイ(ララ・ピーク)はタラがバージンであることをネタにしたりする意地の悪いところがあり、スカイからのプレッシャーがタラを頷かせてしまったところもあるのだ。
さらにタラはパディから二度目の望まぬ行為をされることにもなるのだが、その時のタラは初体験の幻滅で意気消沈状態にあり、強く拒絶するほどのパワーもなかったということなのだろう。
タラはそうした出来事に酷くイヤな気持ちになるけれど、それは後から振り返ってようやくわかってきたことでもあったようだ。親身になって話を聞いてくれるエム(エンヴァ・ルイス)みたいな友達がいたからこそ、そうしたことに気づけたのだ(話しているうちにモヤモヤから確信に変わっていく)。こうした事件が話題になった時、「今頃になってなぜ」ということが言われたりもしたけれど、それはタラと同じような状況だったということなのだろう。
タイトルのせいか劇場には男性ばかりだったようだが、本作は女性陣にとっては共感を抱かせる部分があるのかもしれないけれど、男性陣にとっては色々と学ぶところが多い作品だったような気がする。
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