『ホーリー・カウ』 かつてはヤンチャも

外国映画

監督・脚本はルイーズ・クルヴォワジエ。本作が初の長編監督作品とのこと。

セザール賞では最優秀新人監督賞を受賞した。

原題は「Vingt dieux」。英語版のタイトルは「Holy Cow」。どちらも「なんてこった」といった驚きを表現するスラングらしい。

物語

フランス、コンテチーズの故郷ジュラ地方。18歳のトトンヌは、仲間と酒を飲み、パーティに明け暮れ気ままに過ごしている。しかし現実は容赦無く彼に襲いかかる。ある日チーズ職人だった父親が不慮の事故で亡くなり、7 歳の妹の面倒を見ながら、生計を立てる方法を見つけなければならない事態に……。そんな時、チーズのコンテストで金メダルを獲得すれば3万ユーロの賞金が出ることを知り、伝統的な製法で最高のコンテチーズを作ることを決意する。

(公式サイトより抜粋)

「自由気まま」の終わり

本作に登場するコンテチーズというものは、生産量も多くフランスで最も親しまれているチーズなのだとか。それが作られているのがジュラ山脈一帯で、『ホーリー・カウ』はそこを舞台としている。

冒頭も乗用車の中にいる子牛のカットからだったけれど、ジュラ地方では牛が放牧している風景は当たり前の光景のようだ。のどかな牧草地帯で牛がのんびりと草を食んでいる様子なんかを見ていると、癒されるものがある。

本作はそんな田舎を舞台にした悪ガキの話だ。遊びたい盛りの18歳のトトンヌ(クレマン・ファヴォー)は、父親と一緒に暮らしているからか、働きもせずに遊び回っている。父親はそんなトトンヌの姿を見ても、うるさいことは言わない。なぜなら自分も結構な飲んだくれで、かつての自分の姿を見ているように感じているのかもしれない。

しかし、そんな父親が飲酒運転の上に事故を起こして亡くなってしまう。今までは親がいたからこその「自由気まま」だったけれど、トトンヌはそんなことを言ってられなくなる。彼には幼い妹がいて、彼女と二人で生きていくためには、トトンヌが働いて食い扶持を稼がなければならないからだ。

©2024 – EX NIHILO – FRANCE 3 CINEMA – AUVERGNE RHONE ALPES CINEMA

チーズ作りに挑戦する悪ガキ

トトンヌは父親がやっていた仕事であるチーズ作りを始めることになる。地元のチーズ工房に雇われることになるのだが、それも長くは続かない。かと言って、働かなければ食っていけないわけで、トトンヌが考えたのは、自分でチーズ作りをやってしまおうということだ。

トトンヌが一時働いたチーズ工房は、コンテストで優勝したりしてそれなりに儲けていたようだ。それなら自分もそんなチーズを作ればいいじゃないかというわけだ。何とも短絡的で浅はか極まりない考えなのだけれど、トトンヌは仲間と妹に協力を仰ぎ、チーズ作りに挑戦することになる。

ところがトトンヌのやることは無茶苦茶だ。チーズを作るには材料がいるわけで、それを手に入れるためには金が必要だ。しかしトトンヌにそんな金はない。だったらどうするかと言えば、盗んできてしまえばいいということになる。

トトンヌは職場で知りあったマリー=リーズ(マイウェン・バルテレミ)の牧場から、生乳をこっそりと盗み出すのだ。トトンヌはどうしようもない悪ガキなのだ。後先考えずに行動し、あちこちでトラブルを巻き起こすトラブルメーカーなのだ。

©2024 – EX NIHILO – FRANCE 3 CINEMA – AUVERGNE RHONE ALPES CINEMA

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かつてはヤンチャも……

村の大人たちもそんな悪ガキたちには手を焼きつつも、どこか温かく見守っているふうでもある。今はヤンチャしてても、そのうちどうにかなるだろうといった意識なのかもしれず、それはとりもなおさず「かつての自分たちもそうだったから」ということかもしれない。

トトンヌがやっていることはもちろん犯罪だ。それでもそんな悪ガキが憎めないのは、トトンヌの優しさも垣間見えるからかもしれない。愚痴を言いつつも妹の面倒はよく見ているあたりで、観客としても彼を嫌いにはなれないのだ。

生乳を盗んでいることが発覚するのも、同時にマリー=リーズの子牛を助けようとしたからでもある。さすがに子牛を見殺しにはできないという判断で、悪ガキではあるけれどある一線は越えないくらいの分別は持っているのだ。

トトンヌは盗みを繰り返し、試行錯誤の末に何とかチーズを作り出すことになるけれど、結局コンテストに出場することも叶わず終わることになる。とりあえずは自らの浅はかさに気づくことにはなったのかもしれない。

©2024 – EX NIHILO – FRANCE 3 CINEMA – AUVERGNE RHONE ALPES CINEMA

鷹揚な地域社会

日本においてヤンキーなどと呼ばれる人たちは田舎には結構多い(私自身も田舎者だけれど)。しかしながら、彼らはある時期を過ぎると、ヤンチャをすることにも飽きてしまうのか、地域社会の中で真っ当に暮らしていくことになることも多い。

多分、トトンヌもそんな若者のひとりなのだろう。彼が今後どうしていくのかはわからないけれど、悪事がバレて以降の彼の姿には更生へ向かうような何ががあった気もする。

ジュラ地方の人たちはトトンヌの悪事がバレてもそれを警察沙汰にしようとはしない。自分たちで制裁を加えれば何とかなるという思いもあるのかもしれないし、酷くやり過ぎることもない。これまでの経験則みたいなものがあって、みんなそうしてヤンチャをやりつつも生きてきたということなのだろう。そんなヤンチャな若者たちを鷹揚な目で地域社会が見守っているというところがあるのだろう。

ラストでマリー=リーズがトトンヌを許したような振舞いを見せるのは、そんな地域社会があればこそなのかもしれない。トトンヌは彼女を利用していた。トトンヌが彼女と寝ている間に、仲間に生乳を盗ませていたのだ。マリー=リーズとしては裏切られたような気持ちもあったのかもしれないけれど、二人の関係は不思議なものでもある。惚れたとかそんな面倒臭いこともなし、何となくセックスしてしまうようなおおらかな関係だったのだ。

それでもマリー=リーズの存在とラストの振舞いが、本作を心地よいものにしていた。そんな意味では、本作はマリー=リーズに救われている部分もある。たしか大林宣彦『転校生』にも似たようなシーンがあった気もするけれど、一度しか観ていないものだから記憶は不確かだ。ソフトは出ているようだけれど、レンタルとか動画配信サービスでは見かけないのには何か理由があるんだろうか?

ちなみに本作の出演者たちはみんな演技の素人たちだとか。リアリティがあったのはみんな地元の人たちばかりで、そんな人たちの自然な表情が捉えられていたからだろう。生乳を盗みに行くというのに、昼間から堂々というのも驚くけれど、タンクにはトトンヌの妹が馬乗りみたいに勇ましく乗っていて、トトンヌたち周囲も何だか楽しそうなのがよかった。

そんなふうに本作は田舎のいいところも感じるけれど、面倒な部分も垣間見える。プライドみたいなものを巡っての報復合戦があったりするのもその一例だろう。本作は田舎で生きていく人たちの物語になっていて、それを賛美する側面があるけれど、個人的には帰省して田舎の面倒な部分を感じてきたばかりだったので、その点ではちょっと複雑な気持ちにもなった。

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