『お隣さんはヒトラー?』 秘められたメッセージ

外国映画

監督・脚本は『パリから5時間』レオン・プルドフスキー

主演は『スワンソング』などのウド・キア

2022年製作のイスラエル・ポーランド合作。

物語

1960年の南米・コロンビア。第二次世界大戦終結から15年が経過し、巷ではアルゼンチンで逃亡生活を続けていたアドルフ・アイヒマンが拘束された記事で賑わっていた。ホロコーストで家族を失い、ただ一人生き延びたポルスキーは、町外れの一軒家で日々を穏やかに過ごしていた。そんな老人の隣家に越してきたのは、ドイツ人のヘルツォーク。その青い瞳を見た瞬間、ポルスキーの生活は一変する。その隣人は56歳で死んだはずのアドルフ・ヒトラーに酷似していたのだ。
ポルスキーは、大使館に出向いて隣人はヒトラーだと訴えるが信じてもらえない。ならばと、カメラを購入し、ヒトラーに関する本を買い込み、自らの手で証拠を掴もうと行動を開始する。正体を暴こうと意気込んでいたポルスキーだったが、やがて、互いの家を行き来するようになり、チェスを指したり、肖像画を描いてもらうまでの関係に。2人の距離が少し縮まった時、ヘルツォークが、ヒトラーだと確信する場面を目撃してしまう…。

(公式サイトより抜粋)

ヒトラーは生きていた?

ヒトラーは第二次世界大戦末期に自殺したということになっているのだが、西側諸国はそれを確認できていないとのこと。そんなこともあって、「ヒトラー生存説」というのがあったのだそうだ。強制収容所へのユダヤ人の移送を指揮していたアイヒマンがアルゼンチンで拘束されたこともあり、ヒトラーも南米へと逃げていたのではないかとも言われていたのだとか。『お隣さんはヒトラー?』は、そんな「ヒトラー生存説」を題材としたコメディということになる。

冒頭は1930年代のポーランドから始まる。ポーランド系ユダヤ人のポルスキーは、家族と一緒に幸せな生活を送っている。庭には奥さんが丹精込めて作っている黒いバラが咲き、多くの家族と一緒に写真を撮る姿が描かれることになる。

それから時代は飛び、舞台も変わる。そこは1960年のコロンビアだ。すでに年老いたポルスキー(デヴィッド・ヘイマン)は、そんな場所にひとりで住んでいる。人里離れた場所で、ポルスキーの家ともう一軒だけがポツンと隣り合う形で建っている。

ポルスキーがどんな経緯でポーランドからコロンビアにやってきたのかはわからない。とにかく彼は家族を喪い、ひとりでそこに流れ着いたということらしい。家は荒れ果てていて、カーテンすらもついていない状態だ。そんな中でも、奥さんが育てていた黒いバラだけは庭に移植されたようで、今でも大切にしている様子だ。

そんなポルスキーの隣にドイツ人が引っ越してくることになる。秘書らしきカンテンブルナー夫人(オリヴィア・シルハヴィ)が言うには、どこかの名士がその家を気に入ったということらしい。ところがその隣人は、かつてポルスキーが会ったことがあるアドルフ・ヒトラーその人だったのだ。

©2022 All rights resrved to 2-Team Productions (2004) Ltd and Film Produkcja

見どころはウド・キア?

ヒトラーのことを描いた映画は腐るほどあるし、それだけでは特段の興味もない。それでもヒトラーを演じるのがウド・キアとなると話は別ということになる。一昨年は久しぶりの主演作となる『スワンソング』も劇場公開されたけれど、本作もウド・キアが主役級の役柄を演じるところが見どころなんじゃないかと思う。

ウド・キアはラース・フォン・トリアー作品の常連俳優として知られているが、昨年劇場公開された『キングダム エクソダス<脱出>』でも、重要な役柄を演じていた。このキャラクターは訳あって顔の半分は水の中に浸かっていて、しゃべることもできない状態になっている。それでもこのキャラが強烈なインパクトを残すことになったのは、ウド・キアの印象的な瞳の力があったからだろう。

『お隣さんはヒトラー?』の場合も、それをうまく利用している。ポルスキーはチェスの選手だったようで、かつて世界選手権でヒトラーと会ったことがあったらしい。その一度きりの出会いが、ポルスキーにヒトラーの“灰色がかった青い瞳”というものを強く印象付けることになる。

だからポルスキーは隣人ヘルツォーク(ウド・キア)がサングラスを外した途端に、その瞳を見て彼をヒトラーだと確信することになるのだ。一度見たら忘れられないようなインパクトを残すのが、ウド・キアの瞳なのだ。

お隣さんがヒトラーだと知れば、どうすればいいか? ユダヤ人であるポルスキーにとってはヒトラーは“純粋悪”ということになる。かつての大家族はいまではポルスキーひとりになってしまったのもヒトラーがいたからで、家族の仇とも言えるヒトラーを野放しにしておくわけにはいかないということになる。

ポルスキーは直ちにイスラエル大使館へと駆け込むことになるのだが、責任者は「ヒトラーは死んだ」と繰り返すばかりで相手にしてもらえない。というのは毎年20件ほどはそんな噂が飛び交うわけで、証拠がないのに何もできないということらしい。仕方ないのでポルスキーは自分でカメラを購入し、動かぬ証拠を入手しようとしてみたり、ヘルツォークに署名を書かせようと彼に近づいてみたりすることになるのだが……。

©2022 All rights resrved to 2-Team Productions (2004) Ltd and Film Produkcja

孤独を紛らわす二人の老人

ポルスキーがそれまでどんな生活を送っていたのかはわからないけれど、奥さんが大好きだった黒いバラだけが唯一の慰めだったのかもしれない。奥さんがやっていたのを見よう見まねで、卵の殻を肥料代わりに与えることも忘れずに続けている。住まいのほとんどが殺風景を通り越すほどの味気なさなのも見てとれるわけで、ポルスキーは過去の想い出の中に浸って生きていたことを思わせる。

ところがお隣さんがヒトラーだとわかると生活は一変する。ヒトラーであることの証拠を示すために、ヒトラーに関する書物をかき集め、熱心にヒトラーについて学ぶことになるのだ。黒いバラを育てることだけが生き甲斐だったポルスキーは、ヒトラーという家族の仇を目の前にして妙に活気づくことになるのだ。

ヘルツォークがヒトラーであることを示すには、彼に近づく必要がある。次第に二人はチェスの対局をするようになり、酒を飲み交わすようになる。そうなると二人はお互いの孤独を紛らわす、寂しい隣人同士のような関係みたいにもなっていく。このあたりは緊張感の中にもほのぼのとしたものがありちょっとおもしろい。

ヘルツォークはヒトラーなのか? ポルスキーがもともと抱いていたヒトラー像は“純粋悪”だった。しかし、ポルスキーが愛犬を間違って殺した時の悲しみようを見ていると、それは自分たちと何の変わりもないようにも見える。さらに彼が描いてくれたポルスキーの自画像は、彼に対する親愛の情みたいなものを感じさせるために、ポルスキーは揺れ動くことになるのだが……。

※ 以下、ネタバレもあり! 知りたくない人はスルー推奨!!

©2022 All rights resrved to 2-Team Productions (2004) Ltd and Film Produkcja

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秘められたメッセージ

ネタバレしてしまうと、ヘルツォークは実はヒトラーの影武者だった人物ということになる。カンテンブルナー夫人のアイディアで、ヒトラーが描いた絵画とそっくりの贋作を描けるヘルツォークをうまく利用しようとしていたらしい。

ヒトラーの影武者は、ヒトラーと似ていなければ殺されることになる運命だったようだ。ヘルツォークは本物のヒトラーよりも大柄だったため食事を制限されたり、肉を削ぎ落されるようなことまであったらしい。ユダヤ人であるポルスキーはヒトラーの被害者だが、ヘルツォークも同じような立場だったのだ。

このネタバレ自体はそれほど重要なことではない。それよりも偽ヒトラーを登場させることで、本作がどんなメッセージを伝えようとしているのかということが重要なんじゃないだろうか?

公式サイトの記載だけでは詳しいことはわからないけれど、レオン・プルドフスキー監督はイスラエルに住むユダヤ人ということなのだろう。公式サイトのプロダクションノートで、父親の家族がホロコーストの犠牲者であると語っているプロデューサーのハイム・メックルバーグもユダヤ人ということなのだろう。それでも本作が言わんとしていることは、「ヒトラー、赦すまじ」ということではなかったわけで、「もっと前向きに未来志向で生きよう」ということなのだろうと思えた。

ポルスキーは大使館の責任者にお隣さんがヒトラーだと決めつけている点を、孤独な老人の被害妄想だと何度も指摘されていた。実際にユダヤ人の中にはそういう人も多い(あるいは多かった)ということなのかもしれない。それでもポルスキーはそんな妄想からは解放されることになる。

ポルスキーの中では戦争で家族を奪われて以来、時間が止まってしまっていた。それでもお隣さん騒動でポルスキーは妙に活き活きとすることにもなるし、敵側であるドイツ人も自分たちと同様にヒトラーに苦しめられていた部分があることを知り、ヘルツォークに助け舟を出すことになる。多分、今後のポルスキーはもっと前向きに生きることができるのだろうし、偏屈度合いもマシになるかもしれない。

本作の製作は2022年ということで、イスラエルとパレスチナの戦争が今のように激化する前だったということになる。製作陣は今のイスラエルの状況をどんな想いで見ているのだろうか? 本作でポルスキーに「国なんていらない」といった発言をさせているところも、未来志向の生き方につながってくるものだろう。この台詞は「反シオニズム」的な考えの表明とも思えるわけで、製作陣としては今のような戦争を決して望んではいなかったということだろう。それでも現実はそうはならなかったということになる。

おじいちゃん二人の友情を描くコメディ作品ではあるけれど、意外にシリアスな部分もあり、観逃してしまうのはもったいない小品と言えるかもしれない。ウド・キア贔屓のために、評価が甘くなっている部分は多分にあるかもしれないけれど……。

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