監督は『秘密と嘘』のマイク・リー。
主演は『秘密と嘘』にも顔を出していたマリアンヌ・ジャン=バプティスト。
原題は「Hard Truths」。
物語
パンジーは、夫や息子と暮らす中年女性。いつも何かに苛立ち、身近な人々との衝突を繰り返している。配管工の夫や20代の無職の息子との関係もぎくしゃくする日々。しかし、対照的な性格の妹、シャンテルと母の日に亡き母の墓参りに行った時から、自分の秘められた気持ちと向き合う。その心の奥には、長年、家族に複雑な思いを抱えてきたパンジーの深い孤独や悲しみが浮かび上がってくる……。
(公式サイトより抜粋)
原点回帰したマイク・リー
マイク・リー監督の前作『ピータールー マンチェスターの悲劇』と、前々作『ターナー、光に愛を求めて』は、歴史上の出来事や人物を描くという制約もあり、それまでのスタイルとは異なる作品になっていた。82歳になるというマイク・リーは、本作ではかつての慣れ親しんだやり方に回帰したようで、カンヌでパルム・ドールを獲得した『秘密と嘘』のようなスタイルに戻っている。
そのスタイルは独特だ。マイク・リーは作品の骨格だけを決めて細かい脚本は用意せず、撮影前に役者たちと時間をかけてキャラクターを創り上げるのだという。そして、そのキャラクターに成り切った役者たちは本番では即興的に役を演じることになる。
実際には全部が即興的にできているわけではないようだが、監督が頭の中で構築した脚本を金科玉条として映像化しようとする作品とは違う部分があることは確かなのだろう。本作もそんなスタイルで撮られた作品なのだ。
主人公パンジー(マリアンヌ・ジャン=バプティスト)は、とにかく何かに苛立っている。その苛立ちの原因はわからないけれど、パンジーは誰彼構わず当たり散らすことになる。一緒に住んでいる息子のモーゼ(トゥウェイン・バレット)はニートみたいなものらしく、パンジーの苛立ちの要因になっていてもおかしくはないだろう。しかしながら彼女は、配管工として働いている旦那(デビッド・ウェバー)にも顔を合わすと息子と同様に突っ掛かる。
パンジーの罵りを受けることになる男性陣二人を見ていると、パンジーにとってはそれが当たり前の姿であり、苛立ちは今日に始まったことではないことがわかるだろう。パンジーに対しては何ひとつ口を挟むことすら許されない。もしかするとかつてはそうしたのかもしれないけれど、それがさらに彼女の怒りに火をつけることになったのだろう。だから旦那も息子もパンジーに言いたい放題させておくほかなく、嵐が過ぎ去るのを待つしかないといったあり様なのだ。

©Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.
対照的な姉妹
パンジーには妹がいる。ところが妹のシャンテル(ミシェル・オースティン)はパンジーとは対照的な人物になっている。姉妹であるにもかかわらず、なぜか二人はそんな違いを持って育ったらしい。
劇中のパンジーは家族どころか、手当たり次第に人に突っかかる。家具屋に行けば店員にカスハラそのものの言動でたちまちトラブルになるし、歯医者でも医師に対していちゃもんをつけ、「ほかに行け」と追い出されることになってしまう。そんなあり様だから、パンジーは人と接することになる客商売など到底無理だろう。
一方でシャンテルは美容院を経営していて、客ともうまくやっているようで、店は地域の井戸端会議の場所のように賑わっている。
二人の姉妹の差は、その家庭にも表れている。パンジーの家では、彼女が旦那と息子を口撃してばかりいるから、食卓の席でも話すのはパンジーばかりだ。男性陣は家にいてもパンジーの顔色を窺っていて窮屈だろう。
それに対してシャンテルと二人の娘の家庭は賑やかだ。和気あいあいとして誰もが気兼ねなく暮らしているのが見てとれる。姉妹の差がそれぞれの家庭にも波及しているわけだが、不思議なのはなぜパンジーはそれほどまでに怒りを抱えてながら生きているのかということだろう。

©Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.
コメディなの?
『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』を紹介している一部のサイトでは、本作をコメディにジャンル分けしていたりもする。実際に劇場では一部の観客からは盛んに笑いが起きていた。確かにパンジーの罵詈雑言の波状攻撃は見事とも言える。何が気に入らないのか、出会う人それぞれに突っ掛かり、騒動を巻き起こしていくパンジーの舌鋒には噴き出してしまうような部分もあるのだ。
それでも個人的にはあまり笑えなかった。というのもパンジーが何かしら病んでいることは、悪夢を見て飛び起きたりしている冒頭からすでに明らかだとも思えたからだ。
そして、それは母の日の墓参りの時に少しだけ垣間見えることになる。パンジーはシャンテルと母親の墓を訪れるのだが、墓参りに行くこと自体乗り気ではなかったのだ。
パンジーと母親との関係について詳しく語られるわけではないけれど、推測するにパンジーは母親から愛されてなかったと感じているようだ。パンジーは幼いシャンテルの世話係みたいな扱いで、パンジーとしてはシャンテルばかりが母親の愛情を受け、自分はそうじゃなかったと感じているのだ。
母親の愛情を受けたシャンテルは真っ当に育ち、それが希薄だったと感じているパンジーはどこかで歪んでしまったということだろうか。

©Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.
甘くはない現実
そんなふうに散々パンジーの苛立ちを観てきた観客としては、パンジーの心が何らかの形で癒やされることを望んでしまう。そうじゃなければ何だか収まりが悪いような気がしてしまうのだ。
本作も一応そんな部分も用意されている。シャンテルがパンジーに伝えた「理解はできないけれど、愛している」という言葉には、何らかの希望が感じられるだろう。さらに息子のモーゼからの花のプレゼントは、パンジーの心に響いたようにも見える。パンジーはそれまでとは打って変わった泣き笑いで、その複雑な胸の内を表しているようにも感じられたのだ。
しかしながら、マイク・リーにとってはそんなラストは絵空事と感じられたのかもしれない。本作の原題は「Hard Truths」となっている。訳せば「厳然たる真実」ということになる。そのタイトル通りに、本作は観客に厳しい現実を突き付けることになるのだ。
かつての『秘密と嘘』も家族の問題を扱っており、そこでは主人公の家庭の「秘密と嘘」が明らかになる。確かに『秘密と嘘』という作品でも、真実が描かれているとも言えるのかもしれない。しかしながら、私には真実の一端は明らかにされたけれど、それ以上に隠さなければならないことだけは秘密にされているようにも感じられた(これはもしかすると深読みし過ぎなのかもしれないけれど)。その「秘密と嘘」は家族のための優しさということになるのだろうと思う。
それに対して、本作にはそんな優しさはないと言えるかもしれない。パンジーは頑なさを崩すことはないし、さらにはそれまでパンジーの態度に諦め切った表情を見せていた旦那までが意固地になって余計なことをするために、丸く収まるものもそうじゃなくなってしまうのだ。
結局は人はそんな簡単に変われるわけではない。それこそが「厳然たる真実」ということになるだろうか?
同じ家に暮らしているにもかかわらず、いがみ合うような関係は辛いだろう。『家族の庭』にもあったように、傍に人がいるからこそ余計に孤独を感じるというわけで、ラストは唖然とした感もあるけれど最後までイヤな気持ちにさせてくれるのはマイク・リーらしいのかもしれない。
今回は『ハード・トゥルース』を観た後に、久しぶりに『秘密と嘘』も観た。『秘密と嘘』は好きな作品のひとつで何度も観ているのだが、改めてマイク・リーの作品はキャラが立っていると感じた。これもマイク・リーの独特な手法によるところが大きいということなのかもしれない。『秘密と嘘』ではブレンダ・ブレッシンが演じる母親が印象的だったけれど、『ハード・トゥルース』はもちろんパンジーのキャラが圧倒的で、泣き笑いのシーンが凄かった。




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