『箱の中の羊』 異質のものをひとつに

日本映画

原案・脚本・監督・編集は『怪物』是枝裕和

主演は『人はなぜラブレターを書くのか』綾瀬はるか

カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。

物語

息子を亡くして2年、建築家の音々と工務店の二代目社長を務める健介の甲本夫婦は、息子・翔の姿をしたヒューマノイドを迎え入れることになる。
彼が到着した日、「おかえり」と駆け寄り喜びを隠さない音々と、戸惑いを隠せない硬い表情の健介。
「パパだよね」と問いかけられた健介は、「おじさんでええよ」と答えるのだった。
少しずつ動き始める家族の時間。静かに広がっていく波紋。
ほどなく予期せぬ事態が起こり、夫婦がそれぞれに抱く息子の死への想いが露わになっていくのだった。
夫婦とは?家族とは?彼らは大きな決断に迫られる。
そんな中、ヒューマノイド翔は密かにヒューマノイドの仲間たちとつながり始める──。

(公式サイトより抜粋)

亡くなった人を蘇らせる?

時代としては「遠くない未来」の話だ。この劇中世界では、すでにヒューマノイドが活躍している。主人公となる甲本夫婦は、亡くなった息子の代わりにヒューマノイドを迎え入れることになるのだ。

劇中のヒューマノイドは見た目はほとんど人間と変わらない。首の後ろに起動スイッチがあったり、充電する時に腕の内側に充電ケージが出てきたりはするものの、そのほかは人間と同じに見える。しかし中身はロボットであり、AIによって学習された息子の記憶を持っているのだ。

夫の健介(大悟)はヒューマノイドのことをルンバ(ロボット掃除機)と呼び、それが息子の代わりになるということには懐疑的だ。しかし、息子が亡くなって以来、奥さんの音々おとね綾瀬はるか)が笑顔を失くしてしまっていることが気になる。健介としては、奥さんの「喜ぶ顔が見られれば」という想いで、ヒューマノイドを迎えることに賛成したのだ。

息子の翔は生きていた。そんなふうに喜びをもってヒューマノイドのかける桒木里夢)を迎える音々。一方で健介は「パパ」と呼ばれるのを嫌い、「おじさんでええ」と言う。それでも一緒に暮らしていると、少しずつ態度が変わってきたりもする。

ヒューマノイドの翔は、亡くなった翔が電車が好きだったことを知ると、江ノ電の駅を順番に読み上げてみせる。これは亡くなった翔がやっていたことでもあったのだ。健介はロボットと思っていたヒューマノイドのことを亡くなった息子のように思えるようになっていくのだが……。

©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

受け入れられない子どもの死

翔の死の詳細は語られることがない。それでも甲本夫婦にとって、それが後悔の種になっていることは確かだろう。ふたりはそれぞれ別の形で翔の死を誰かのせいにしようとしている。

音々は翔の亡くなった日に、母親(余貴美子)が突然家を訪ねてきて、それによって自分が翔を迎えに行けなかったため翔が亡くなったと考えている。音々は、折り合いの悪い母親に翔の死の原因を押し付けようとしているのだ。

一方で翔を迎えに行くことになった健介は、パチンコの最中で迎えの時間が遅れ、それによって誰かが翔を誘拐したと認識している。警察によれば、実際の翔の死は事故ということになっている。電車好きの翔が誤って電車に接触したということだったのかもしれないのだが、健介は悪い輩が翔を誘拐したという思い込みから逃れることができないでいるのだ。

ヒューマノイドが家にやってきたことで、次第にそんなことが明らかになってくる。そして、健介は最初はロボットとしてしか見てなかったヒューマノイドに親近感を覚え、翔の代わりにヒューマノイドに自分の失敗を謝ることで気持ちをスッキリさせることになる。

一方で最初はヒューマノイドを翔そのものと見ていた音々は、健介とは逆に、その違いのほうに敏感になっていく。音々はヒューマノイドに対して「そんな子はうちの子じゃない」などという言葉を投げつけてしまう。そして、音々の場合は、翔とヒューマノイドが違うということはわかったけれど、それでもヒューマノイド自体が大切な存在になっていったというようでもある。

そんな意味では、本作はグリーフワークということに対するヒューマノイドの役割を肯定的に扱っているのだ。

©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

異質のものをひとつに

『箱の中の羊』はいわゆるグリーフワークの話として始まる。こうしたテーマは是枝作品ではデビュー作の『幻の光』『歩いても 歩いても』などでもすでに取り上げたものだ。また、本作は『万引き家族』のような疑似家族ものとも言える。その成員のひとりがヒューマノイドになったというわけだ。

そんな意味では手慣れた題材ということでもあるわけだけれど、その分、欲張ってしまったということなのか、そのほかのテーマも混じり合ってくる。それがAIの話だ。後半は、子どもを喪った夫婦の話から離れ、視点がAI(もしくはヒューマノイド)のほうへ移行していくのだ。

そのあたりがちょっと唐突な感じがしたし、意外なところなんじゃないだろうか。ちなみに本作では建築家の音々が異質なものを組み合わせて家を作ることについて語っている。ガラスと木というものをひとつに合わせて家を作る。そこが悩みどころだし、面白いところだというのだ。

「異質なもの」というのは、人間とヒューマノイドということがあるだろうし、甲本夫婦も異質な存在に見える(綾瀬はるかと大悟なわけだし)。そして、グリーフワークということと、AIの自立という、テーマ自体も異質だろう。

音々の建築はそうした異質なものを組み合わせがうまく機能していたのかもしれないけれど、本作はそこがうまく消化しきれていなかったようにも感じられたのだ。

©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

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箱の中には何がある?

タイトルの「箱の中の羊」というのは、『星の王子さま』に出てくるエピソードらしい(一度は読んだけれど詳細は忘れてしまった)。誰かが王子さまに羊の絵を描いてあげたのだが、王子さまはその羊の絵が気に入らなかったようで、それを何度も描き直す。最終的に王子さまが気に入ったのは、羊が中に入っているという箱の絵だった。これはどういうことかと言えば、「大切なものは、目に見えない」ということを示しているのだとか。

絵に描かれているものは箱だけだ。しかし、王子さまはその中に羊がいると想像している。これを本作の設定に当てはめれば、箱というのはヒューマノイドで、その中に何を想像するかということなのだろう。

ヒューマノイドを作った会社のエンジニア(中島歩)は、「ヒューマノイドには心があるのか?」という音々の質問に対し、素っ気なく次のように答えていた。心があると思えるとしたら、それは見る側の感情が反映しているというのだ。

たとえば音々の妹(清野菜名)は、ヒューマノイドを見て姉のDNAが継承されていると思い込んでいた。実際にはヒューマノイドのAIが記録しているのは、わずかばかりの翔の過去のデータだけのはずで、DNAのコピーなどを行っているわけではない。それでも見る人によれば、そんなふうに感じられる(一緒に暮らすことでAIが学習して似てくることはあるのだろう)。

箱の中身に何があるかは決めるのは、それを見ている側だということだ。そして、その中身にはどんなものも想像することができる。ヒューマノイドの中には実際には機械しかないはずだ。それでもその中身に亡くなった人の魂を想像することもできるし、あるいはほかのものを読み込むこともできる。

©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

疑問を残したまま……

上記のエンジニアの言い方では、AIというものにいわゆる「シンギュラリティ」が起きることは予想されていない。実際に劇中のヒューマノイドにそうした変化があったという描写はまったくない。それでもなぜか本作のヒューマノイドはまるで人間か何かのように振舞っている。

前半は、箱の中に人が想像で様々なものを読み込んでしまうという話だったはずだ。ところが後半は、箱の中身(つまりはヒューマノイド)に魂が備わったかのように描かれているように見えるのだ。前半と後半では、箱の中身に対する解釈が異なってしまっている

これは両立するのだろうか? 人間は機械でしかないヒューマノイドの中身に勝手なものを読み込む。それと並行する形で、ヒューマノイドの側は人間と同じような内実を獲得し、人間とは自立する形で生きていく。

もしかすると両立するのかもしれないけれど、そのあたりは曖昧にされているようにも思える。というか、単に私の解釈が間違っているだけなのかもしれない(音々の「箱の中身はわたしだった」という台詞はどういう意味なのだろうか)。

本作のヒューマノイドは、彼ら同士でネットワークがあるという設定らしい(言葉を介さなくても通じ合える)。一方で人間にはそんなものはない。けれどもヒューマノイドのリーダー(柊木陽太)は棄てられてしまったヒューマノイドと、虐待を受けたりしている人間の子どもも一緒になって保護している(それが劇中の誘拐のエピソードにつながる)。

そして、ヒューマノイドたちは森の中の大きな木に自分たちの家を作ろうとして人間の傍から去っていく。木というものもヒューマノイドと同じような木同士のネットワークがあるということらしいのだが、そのあたりが性急過ぎる気もして、ラストがしっくりこなかったのだ。というか、異質なものをひとつにするはずだったのが、AIが人間の傍を離れて自立するというラストでいいんだろうか?

先ほどは、この作品自体がテーマをうまく消化しきれていないんじゃないかとも記したけれど、実際には単に私自身が本作を未だにうまく消化しきれていないのかもしれない。

是枝裕和作品で綾瀬はるかということで『海街diary』を思い起こさせるわけだが、本作の舞台も鎌倉となっていて、音々が電動スクーターで江ノ電と併走するシーンはいかもに鎌倉らしい風景を見せてくれる。共演の千鳥大悟は、台詞の一人称も「わし」のままで、普段の大悟の雰囲気をうまく取り入れた設定になっていて違和感なく映画に馴染んでいた。

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