『ファンファーレ!ふたつの音』 音楽の力

外国映画

監督・脚本は『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』エマニュエル・クールコル

主演は『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』バンジャマン・ラヴェルネと、『秋が来るとき』ピエール・ロタン

物語

世界を飛び回るスター指揮者のティボ(バンジャマン・ラヴェルネ)は、ある日突然、白血病と診断される。ドナーを探す中で、自分が養子であること、そして生き別れた弟ジミー(ピエール・ロタン)の存在を知る。かつては炭鉱で栄えた町は今は寂れ、仲間との吹奏楽団が唯一の楽しみであるジミー。すべてが正反対の二人だが、ティボはジミーに類まれな音楽の才能を見出す。これまでの運命の不公平を正そうと、ティボはジミーを何がなんでも応援することを決意する。やがてその決意は、二人の未来、楽団、そして町の人々の運命をも思いがけない方向へ動かしていく──。

(公式サイトより抜粋)

ファンファーレとは?

ファンファーレというのは、「太鼓・トランペットなどを用いた、はなやかで勇ましい、短い楽曲」ということらしい。ファンファーレは式典とかで、最初に威勢よく鳴らされたりする。競馬でもファンファーレが鳴ってからレースが始まるらしいし、映画ファンなら「20世紀フォックス・ファンファーレ」と聞けば、すぐにその旋律が思い浮かぶかもしれない。

そんな意味では、ファンファーレは何かの始まりを示すことになっている。これから始まる出来事に対して、聴衆の気を引き締めるような効果があるのだろう。と同時に、ファンファーレという言葉が比喩的に用いられると、「派手な騒ぎや宣伝・誇示活動、優勝(チャンピオン)を祝福する行為などを表す」ようだ。

本作のラストは、そんなふうに何かを祝福するようなラストになっていた気がする。ここでは詳細には触れないけれど、『ファンファーレ!ふたつの音』はラストに向かって組み立てられているところがあり、ラストで一気呵成に盛り上がるのだ。そして、その最高の瞬間で終わりを迎えることになる。

©2024 – AGAT Films & Cie – France 2 Cinema

生き別れた兄と弟

『ファンファーレ!ふたつの音』では、今までは存在すら知らなかった兄と弟の再会が描かれる。兄のティボ(バンジャマン・ラヴェルネ)は世界的に有名な指揮者だ。忙しく活動する中でティボは自分が白血病であることを知る。

そして、そのドナー探しをしているうちに、ティボは自分の妹と血がつながっていないことを知る。実は、彼は養子にもらわれてきたのだが、今までその事実を知らずに生きてきたらしい。さらに驚くことにディボには、生き別れた弟がいることが判明するのだ。

ティボが初めて会った弟は、彼とは縁のない世界の人間だ。弟ジミー(ピエール・ロタン)は炭鉱で働く労働者で、最初はティボのことを突っぱねることになる。突然現われた男が兄を名乗り、「白血病だから助けてくれ」と言い出すわけで、混乱するのも無理もないのかもしれない。

結局、ジミーは兄ティボに協力することになり、ティボは以前のような健康を取り戻すことになるのだが……。

©2024 – AGAT Films & Cie – France 2 Cinema

育ちの違いが……

二人は対照的だ。ティボは裕福な家庭に養子に貰われたらしい。彼は3歳の頃から高価なグランドピアノを弾いて育つことになる。一方でジミーは若くして母親を亡くし、炭鉱で働いている夫婦のところに養子として迎えられたのだ。

実はジミーも炭鉱労働者たちの吹奏楽団に入っていて、そこでトロンボーンを弾いたりするほどの音楽好きだし、彼の部屋にはなかなかのレコードコレクションがある。しかも、誰も気づいてはいなかったけれど、ジミーは“絶対音感”を持っているらしい。

ジミーもティボと同じ遺伝子を受け継いでいるからだろう。それでも育ちの違いは、その人となりに大きく影響する。似たような素質を持っていたとしても、兄と弟はまったく別の環境で育ったこともあって、立ち居振る舞いは似ても似つかぬところがあるのだ。いいところのお坊ちゃまというイメージのティボに対し、ジミーはどう見ても粗野な男なのだ。それが二人の関係を複雑にすることになる。

この対照的な二人を演じる役者陣がとてもよかった。ジミーを演じたのはフランソワ・オゾンの『秋が来るとき』で柄の悪そうな役を演じていたピエール・ロタンで、ティボ役は何度もセザール賞にノミネートされている実力者のバンジャマン・ラヴェルネだ。まったく相容れないように見えて、どこかで似ているところもあるという、微妙な関係を二人がうまく演じていたと思う。

※ 以下、ネタバレあり! ラストにも触れているので要注意!!

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音楽の力

裕福で恵まれた兄と、貧しい環境で育った弟。弟ジミーからすれば、兄ティボの環境はうらやましいし、ティボとしては弟を助けてやりたくもなる。ティボは炭鉱の閉鎖で職を失いかけているジミーのために、一肌脱ごうとする。炭鉱閉鎖という現実を訴えるために、ジミーたちの吹奏楽団で「ボレロ」を演奏し、世間の注目を惹こうとするのだ。

本作がベタな作品なら、そうした計画が成功し、炭鉱が復興してハッピーエンドということになったのかもしれない。ところが本作はそうはならない。意外にもシビアなところがあるのだ。

ジミーはトロンボーン奏者として生きていこうと考えたりもするけれど、生まれた頃からそうした訓練を積んだ強者たちに敵うわけもない。また、炭鉱が復活するという奇跡が起こることもない。

その点は、エマニュエル・クールコルの前作『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』も同様だったとも言える。囚人たちのサクセスストーリーと思わせておいて、最後に一捻りが用意されていたのだ。

本作のラストも予想外だったかもしれない。それでもなぜかラストで観客を満足させてしまうことになるのだが、それは音楽の力があったからだろう。

©2024 – AGAT Films & Cie – France 2 Cinema

クライマックスは「ボレロ」

ラストではふたつの曲が演奏されることになる。ひとつはティボが作曲した新曲で、もうひとつはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」ということになる。

この「ボレロ」という曲は、劇中ではクラシックの世界で一番ポピュラーな曲といった説明もあった。確かに誰もが一度は聴いたことのある曲だろう。単純な旋律の繰り返しがクセになる気もするし、それがいつまでも耳に残って離れないのだ。最近の映画では、『8番出口』でもうまく使われていたのが印象に残っている。

私が「ボレロ」という曲をきちんと知ったのは、『パトリス・ルコントのボレロ』を観たからだと思う。この作品は「ボレロ」を演奏するだけの短編なのだけれど、延々と同じリズムを繰り返すことになるドラム奏者の姿をワンシーン・ワンカットの長回しで撮っている。このドラム奏者を演じているのが喜劇役者で、コミカルな味わいの「ボレロ」になっているのだ。

本作の「ボレロ」はクライマックスに用意されている。ティボたちのオーケストラの新曲発表の後、その興奮も冷めやらぬうちに、ジミーたちの吹奏楽団が演奏する「ボレロ」が静かにスタートする。

規則的なドラムの音だけで始まったそれは、ティボたちのオーケストラの反応を呼び起こし、さらに聴衆たちの参加もあって会場全体を巻き込んでいき、ラストで最高潮に達することになり、その瞬間に映画も幕を閉じる。

しかしながら、冷静に考えれば、ティボとジミーの兄弟には色々な問題が山積している。ティボは白血病の治療がうまくいかなかったことが明らかになるし、ジミーの仕事に関しても奇跡が起こることはない。そうした点では、彼らの問題は一切片付いてはいないとも言える。

ところがラストでふたつの曲を聴くと、なぜかそうした問題を一切忘れて感動してしまう。なぜ感動的なのかはわからない。もはや理屈はないけれど、音楽の高揚感で押し切られた形なのだろう。言葉では説明できないけれど、そこには二人の感情のやり取りみたいなものが感じられたということなのかもしれない。涙なしには観られないラストだった。

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