監督・脚本は『シック・オブ・マイセルフ』のクリストファー・ボルグリ。
主演は『レンフィールド』などのニコラス・ケイジ。
製作にはアリ・アスターやニコラス・ケイジも関わっている。
物語
ごく普通の暮らしをしている大学教授のポール・マシューズ(ニコラス・ケイジ)。ある日、何百万という人々の夢の中に一斉にポールが現れ、一躍有名人に。
人々にもてはやされ、メディアの注目を集め、夢だった本の出版まで持ちかけられ、ポールは天にも昇る気持ちだった。
しかし、そんな夢のような日々は突然終わりを告げる。
夢の中のポールが様々な悪事を働くようになり、現実世界で大炎上。
その人気は一転、ポールは一気に嫌われ者になり、悪夢のような日常が始まる。
何もしていないのに人気絶頂を迎え、何もしていないのに大炎上したポールの運命はー!?
(公式サイトより抜粋)
夢にニコラス・ケイジが……
みんなの夢の中にニコラス・ケイジが出てきたら? もしかしたら映画ファンならそんなこともあり得るかもしれない。あちこちの映画でニコラス・ケイジの姿を見ているわけで、夢で彼に遭遇することだってあり得えなくはないだろう。
ただ、『ドリーム・シナリオ』でニコラス・ケイジが演じるポールという男はごく普通のおじさんだ。そんなごく普通のおじさんがなぜかみんなの夢の中に現れる。しかも「何もしない」というのも面白い。夢の中ではかなり切羽詰まった状況が展開するのだが、なぜかポールは常に突っ立ったまま傍観者を決め込んで何もしないのだ。
ある日、ポールのことを取り上げた動画がアップされると、ポールは一躍人気者となる。それまで多くの人からの注目を浴びたことなどなかったポールはそれに有頂天となる。テレビに出演したりしてポールは調子に乗ることになるのだが、すぐに状況は変わってしまう。
なぜか夢の中のポールが突然暴走し始めたからだ。ある女子学生は夢の中で彼に襲われたと訴え、ある学生は彼に殺されることになったらしい。もちろんそれらはすべて夢なのだが、ポールは夢を見ていた多くの人にトラウマを与えることになり、途端に彼は犯罪者か何かのように忌み嫌われることになってしまうのだ。
ネットに翻弄される男
ポールは何もしていない。夢の中に出てきたポールは、現実のポールとは別ものなのは言うまでもない。現実のポールは、他人の夢の中に登場する“それ”をコントロールすることなどできないわけで、ポールはそのことに何の責任もないはずだ。
それにも関わらず、ポールはネットによって勝手に持ち上げられ、勝手に叩き落とされることになる。ポールの場合は、ポール自身は何もしてないにも関わらずというのが皮肉だ。しかしながら、実際に現実社会で起きていることもそんなものなのだろう。
ネットに溢れる言説は誰かがしっかりとした証拠を確認しているわけではない不確かなもので、単なる噂話に過ぎないものも多い。だから現実には即してなくとも、勝手なイメージだけが膨らんでいく。それによって人は他人を勝手に判断し、そのイメージはどんどん一人歩きして広まっていく。ポールはそんなネット社会に翻弄されることになるのだ。
承認欲求が招いたこと
ポールも一度は時の人となり、世間から持ち上げられることになる。そうなれば満更悪い気もしない。持ち上げられれば嬉しいし、もしかすると念願だった本を出版する可能性も出てくるかもしれない。そんな希望すら抱くようになる。ごく普通のおじさんにもそうした承認欲求というものがあるということだろう。
ちなみにクリストファー・ボルグリ監督の前作の『シック・オブ・マイセルフ』では、主人公の女の子が承認欲求というものを満たすためにとんでもない行動に走る。この主人公は顔が変形するほどの状態になっても、それで自分の承認欲求が満たされればOKと考えているところがあり、彼女の承認欲求はほとんど“病い”みたいなものとなっていたのだった。
ポールの場合はそこまで病的ではないけれど、褒められれば嬉しいし、女性とお近づきになれば変な希望を抱いてしまったりもする。広告代理店の女の子から迫られた時には慣れないことをして、余計にみっともない様を晒すことになってしまう(情けない姿で逃走するのがちょっとおかしい)。
ポールは色々な意味で残念な男だ。ポールは一応大学教授ではあるのだが論文を書くほどの才覚はない。それでも論文のアイデアを盗まれると怒り狂うほど自尊心は高いらしい。もしかすると彼は自分のことが見えていないのかもしれない。
ポールは授業でシマウマについて論じていた。シマウマの縞模様は“群れ”として存在することをアピールするためには有利となる。ただ、その縞模様は“群れ”から離れると目立ってしまう。目立つことは“個”としての繁殖には役立つかもしれないけれど、その分、危険を孕むのだ。
ポールは“群れ”からはみ出したシマウマだったのだろう。一躍時の人となったからこそ、彼は目立ちすぎることになり、そこから一気に叩き落される。それまでのように目立たぬ存在であったならそんなことは起きなかったはずだが、目立ってしまったがためにそんな事態に陥ってしまったということになる。
ポールはシマウマについて論じてはいても、自分がそのシマウマと同じだということには気づいていないのだ。そんな意味でポールはあまり聡明な人物とは言えず、結構残念な男なのだ。
中年男の悲哀
ニコラス・ケイジがフランシスコ・ザビエル風のハゲ頭で悲哀漂う情けない男になりきっているのが本作の見どころだろうか(『エルム街の悪夢』のフレディの真似事をさせられたりもする)。夢の中にニコラス・ケイジが登場するというアイデアは面白いのだが、その先の展開がピンとこなかった。
そもそも“みんなの夢に現れる男”というのは一体何なのか? 一応はユングの「集合的無意識」なんてことも語られたりもするけれど、実際には特に関係なさそうに思え、なぜそんなことが起きるのかはよくわからないままだ。
実は、この元ネタには「This Man」というインターネット・ミームのことがあるらしい。これに関しては、日本でもそれを題材にした映画まであるとのこと。そして、この「This Man」という元ネタは、実際には誰かがマーケティング戦略として流布させたものだったらしい(変な男が夢に現れるというネタがどうしてマーケティング戦略になるのかは謎だけれど)。
世の中を動かしているのは、いかにして物を売るかということなのだろう。ポールに近づいてきた広告代理店が狙っていたのは、スプライトのCMキャラクターに彼を利用しようとしていたし、世の中を動かしているのは「売らんかな」という商業主義なのだ。
ラスト近くになって他人の夢に入り込む装置が開発されることになるけれど、ここでもCMの話が出てくる。夢の中でCMを流せればより効果的に稼げるということだと思うのだが、どうも展開が早急過ぎて最後が妙に駆け足になっていた。
一応、この装置はラストでポールが奥様(ジュリアンヌ・ニコルソン)の夢の中に侵入するために必要とされたものなのだろう。ポールは奥様が希望していたトーキング・ヘッズのあのデカいスーツでの救出劇を演出することになるのだが、二人はすでに別居状態というのが本作の騒動が招いた結末だ。
ポールとしてはヨリを戻したくてもそんな手腕もなく、奥様と夢の中で会うことしか慰めがない。中年男の悲哀としてはなかなか味があるのかもしれないけれど、オチとしては弱い気もした。
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