原作はアリアナ・ハルウィッツの『死んでよ、アモール』。
監督は『ビューティフル・デイ』のリン・ラムジー。
主演は『世界にひとつのプレイブック』のジェニファー・ローレンス。
物語
作家のグレースは、夫ジャクソンとともに田舎町へ移り、静かな新居での暮らしを始める。穏やかな風景に包まれたその場所は、彼女に安らぎをもたらすはずだった。しかし、出産をきっかけに執筆は滞り、重圧と深い孤独、そして断片的に訪れる幻覚が、日常を少しずつ歪めていく。やがて現実と幻想の境界は揺らぎ、彼女の心は音もなく崩れ落ちる。崩壊の果てにあるのは、愛か――それとも、狂気か。
(公式サイトより抜粋)
あっという間に「産後うつ」
題材としては「産後うつ」を描いているということになるのだろう。劇中に登場する女性は「最初は正気を失いかけた」と語っているし、主人公グレース(ジェニファー・ローレンス)の義母であるパム(シシー・スペイセク)も同じようなことを漏らしていた。多くの女性が経験することなのかもしれない。
ただ気になるのは、本作のグレースがあっという間にそういう状態に陥るところだ。冒頭近く、夫のジャクソン(ロバート・パティンソン)の亡くなった叔父の家にやってくるグレースとジャクソン。二人は打ち捨てられたようなその家に住むことになったのだ。
ところが夫婦の幸せな時間はわずかしか描かれない。裸で絡み合う数カットが挟まれるだけで、次のカットではもう子どもが産まれていて、グレースはなぜかナイフを片手に庭を歩き回っている。子どもの近くでもナイフをチラつかせている様子を見ると、危なっかしいとしか言いようがない。グレースはあっという間に「産後うつ」に陥ってしまったらしいのだ。
『DIE MY LOVE/ダイ・マイ・ラブ』はそんなグレースの姿を丁寧に追っていくことになる。狂気に陥っていく女性を描くわけで、たとえば『こわれゆく女』や『死の棘』などと同様に、楽しい話にならないのは言うまでもない。
そもそもリン・ラムジー監督作品の『少年は残酷な弓を射る』や『ビューティフル・デイ』はどちらも嫌な気持ちにさせてくれることになっていたわけで、その点では久しぶりの本作も変わっていないのだ。

© 2025 DIE MY LOVE, LLC.
手がつけられないグレース
ニューヨークから田舎に引っ越してきた二人。グレースは作家らしく、ジャクソンは週3日ほど外で働いていて不在がちだ。グレースはその間、子どもと二人きりで過ごすことになる。
ジャクソンは多分彼女に良かれと思って犬をどこかから拾ってくるのだが、その犬は躾というものがなってなく、常に吠えてばかりいる。その声がグレースを苛立たせることになる。そうしたジャクソンの配慮のなさが産後うつの要因なのだろうか?
ジャクソンとのセックスはしばらくないらしく、グレースはひとりで自慰行為に耽ったりする。手持ち無沙汰で昼間からビールを飲むくらいならまだマシだったけれど、次第に異常な行動はエスカレートしていく。
吠えてばかりの犬のことは銃で撃ち殺してしまうし、さらには自傷的行動をするようになっていき、どうにも手がつけられなくなっていく。最終的にはジャクソンはグレースを病院に強制的に入院させることになるのだが……。

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夜空に何を見出すか?
本作では、時系列があちこちに飛ぶことになるし、描かれているのが現実なのかグレースの妄想なのかも曖昧だ。彼女をストーキングしているバイクの男は実在しているのか? 彼との情事はグレースの妄想ではないのか?
こうした曖昧さはグレースの抱えた渾沌を示しているのかもしれない。そして、そういう印象に一役買っているのが、本作の夜のシーンの不思議な色合いだったんじゃないだろうか。
この夜のシーンは「day for night」という技法によって撮られたものだ。この手法は昨年の日本映画『この夏の星を見る』でも採用されていた。普通の夜のシーンとは違い、ブルーがかった色合いが非現実的な雰囲気を醸し出しているのだ。
そして、『この夏の星を見る』でも星を見ることが描かれていたけれど、本作でもジャクソンはなぜか望遠鏡で夜星を見ている。ジャクソンは星空を好むタイプには見えないわけで、本作では宇宙との関わりが重要なのかもしれない。
というのは、劇中の会話ではこんな台詞もあるからだ。ジャクソンが「オレは退屈な男か?」という質問に対して、グレースは「宇宙そのものが退屈」だと返すのだ。
さらにその後には次のようなシークエンスもある。夜中にひとりで子どもに母乳を与えたグレースは、片乳を出したまま書斎に入っていき、紙の上に黒インキを垂らす。さらにそこに母乳を垂らして、紙の上で黒と白の液体が混じり合っていく。そして、その絵はそのまま星空の映像へと移行していくことになるのだ。
本作では、そんなふうに何度も宇宙とのつながりが示されている。しかしグレースはジャクソンが勧める望遠鏡を覗くことはしない。グレースは星空を眺めることで自分のちっぽけさを感じるのがイヤだと言うのだ。

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死にたい人ばかり
ここで私は何を言おうとしているのか? それは産後うつの要因はたとえばジャクソンの配慮のなさとか、セックスレスとか、ほかにも些末なこともあるのかもしれないけれど、そもそも根本的に宇宙がそんなふうに退屈になっているわけで、そうなって当然とも言えるということだ。だからグレースとしては理由もなしに、どうしようもなくただ死にたくなってしまうということなんじゃないだろうか。
グレースはとても野生的な女性だ。彼女は四つん這いになって動物のようにジャクソンを求めたりしている。とはいうものの、グレースは野生動物ではない。単なる野生動物であるならば、自然の中で退屈など感じずに生きることができるだろう。
グレースは野生的ではあるけれど人間であり、動物には不可能な言葉を使う仕事をしている(執筆するシーンはないけれど)。そのギャップが彼女を苦しめているのかもしれない。
グレースの周りには死にたい人が多すぎる。その家で暮らしていたというジャクソンの叔父さんはその家で自殺したらしいし、ジャクソンの父親(ニック・ノルティ)も自殺めいたことをしていた。誰もがそんな衝動に駆られてしまうような世界なのかもしれない。
自己を破壊しようとする衝動と、この世のすべてを(宇宙を)破壊しようとする衝動はほとんど同じものだろう。もしかするとグレースは宇宙のほうを破壊したかったのかもしれない。けれどもそれは難しいわけで、最後にグレースが森を燃やすのは、宇宙の代わりということかもしれない。
タイトルは「死んでよ、愛しい人」という意味だ。これはグレースがジャクソンに向けた言葉というよりは、手に負えなくなったグレースに向けてのジャクソンからの言葉にも感じられる。このタイトルに示されるように何とも陰うつな作品だった。




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