外国映画

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『とうもろこしの島』 少女の異物感?

日本では2016年に公開されたジョージア(グルジア)映画。 極端に台詞を排し、映像だけで見せる作品という意味でも、美少女が登場するという意味でも『草原の実験』あたりを思わせる。 紛争地帯の狭間にある川を舞台に、その中州にとうもろこし畑を作る様子を追っていくのだが、川沿いの風景も美しく、見ていて心地よい時間が流れていく。
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『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』 曰く言い難し

監督は『スイス・アーミー・マン』のダニエル・シャイナート。 原題は「The Death of Dick Long」。 物語 バンド仲間が集まって羽目を外し過ぎた夜、ある事故が起きディック(ダニエル・シャイナート)はケガをして瀕死の状態に。ジ...
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『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』 生きる場所の違い?

「カトリック教会の性的虐待事件」は2001年に新聞報道され公のものとなったのだが、それですべてが解決したわけではなかったらしい。現在も裁判が進行中の事件を題材にしたフランス版の『スポットライト』とされるこの映画は、より一層性的虐待の被害者側にスポットライトを当てていくことになる。
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『はちどり』 14歳という曖昧な存在

舞台は家父長制が色濃く残る1994年の韓国。主人公はウニという14歳の中学生。14歳は子供とも大人とも言えない微妙な時期で、ウニは塾でヨンジ先生に出会って心酔していく。先生は「知っている人の中で、本心まで知っているのは何人?」と問い掛ける。その言葉に導かれ、ウニは身近な人のこれまでとは違う姿を目撃することに……。
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『透明人間』 遍在する恐怖

透明人間という何度も映画化されてきた題材を生まれ変わらせた作品。 本作の主人公は透明人間ではない。透明人間という見えない存在に怯える女性が主人公だ。セシリアは常に周囲を気にしていて、その姿は精神を病んでいるように見える。だから周囲の者も、セシリアが「見えない男がそこにいる」と怯えるのも、彼女の妄想だと思うのだが……。
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『未知への飛行』 失敗学は有効か?

『未知への飛行』は、1964年に公開されたシドニー・ルメット作品だが、同年には同じテーマの『博士の異常な愛情』があったせいで隠れてしまう形になった不遇な作品。 冷戦時代、機械の誤作動によってアメリカの爆撃機がモスクワへと核爆弾を投下する作戦が始動する。大統領はそれを止めるためにあり得ない決断をすることに……。
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『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』 一石二鳥の離れ技

『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグが監督を務めた、ベストセラー『若草物語』の再映画化。 本作が過去の『若草物語』と異なるのは、主人公ジョー(シアーシャ・ローナン)が『若草物語』を書き始める「現在」と、四人姉妹が揃って暮らしていた「過去」が交互に描かれていくところ。この構成がラストに活きてくるのが本作のうまいところ。
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『その手に触れるまで』 狂信の代償

カンヌ映画祭の常連、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟の最新作。 アメッドはまだ幼さが残る少年なのに、イスラム教の導師に洗脳される形で、テロ行為を起こす。結局はそれは失敗に終わったのだが、アメッドは矯正施設に入れられても信念を変えようとはしない。母親や周囲の人たちは、アメッドの洗脳を解こうとするのだが……。
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『罪と女王』 男女の間の非対称性

新型コロナによる自粛も解除され、久しぶりに映画館で映画を観ることが可能に。 本作はサンダンス映画祭で観客賞を受賞したデンマーク映画。アンネという男性に対して一歩も退くことのない女性が、自分の家に同居することになった夫の連れ子に手を出してしまう。大人の女性が未成年と関係を持つというのは明らかに犯罪なのだが……。
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『オフィーリア 奪われた王国』 女性を救え!

シェークスピアの傑作『ハムレット』を、オフィーリアの視点から描いた作品。Netflixオリジナル作品。 『ハムレット』におけるオフィーリアは、愛を誓っていたはずのハムレットから突き放され、父親を殺され、狂気に陥り死んでいく。それはあまりにも酷いんじゃないかというのが、製作陣の気持ちなのかもしれない。
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『最初で最後のキス』 迷わず行けよ、行けば分かるさ?

田舎の高校へと転校したロレンツォは、派手な服装ゆえに初日から「オカマ野郎」と罵られる。それでも「Born This Way」の歌詞のように、自分を肯定するロレンツォは自分を偽ることをしない。妄想癖のあるロレンツォが将来のスターを夢見て、クラスメートの前で踊りまくるシーンが楽しい。しかし、そんな青春も長くは続かず……。
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『若者のすべて』 われわれが待望するもの

ドロンが演じるロッコはドストエフスキーが『白痴』で描いた「聖なる愚者」に連なるような存在だ。とにかく信じられないほどの善人であるロッコは、都会に来て堕落してしまった兄シモーネから散々酷い目に遭いつつも彼を見捨てないのだった。