『ぼくのお日さま』 映える画がある作品

日本映画

監督・脚本・撮影・編集は『僕はイエス様が嫌い』奥山大史

主演は『愛にイナズマ』などの池松壮亮

カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品された作品。

物語

雪の降る田舎町。ホッケーが苦手なきつ音の少年タクヤは、ドビュッシーの曲「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくらに心を奪われる。ある日、さくらのコーチを務める元フィギュアスケート選手の荒川は、ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似して何度も転ぶタクヤの姿を目にする。タクヤの恋を応援しようと決めた荒川は、彼にフィギュア用のスケート靴を貸して練習につきあうことに。やがて荒川の提案で、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始めることになり……。

『映画.com』より抜粋)

映える画がある作品

フィギュアスケートというのは冬季オリンピックなんかを見ても、一番の花形スポーツということになるだろう。何と言っても、単純に見栄えがいいということがあるだろう。煌びやかな衣装で音楽に合わせて優雅に踊る姿は、それだけで見る人の目を惹くことになるからだ。

『ぼくのお日さま』は、そんなフィギュアスケートを題材にしている。明るい光が差し込むスケートリンクをドビュッシーの「月の光」に合わせて踊る少女の姿は、それだけでとてもえるになる。そんな意味で、フィギュアスケートはとても映画的な題材とも言えるのかもしれない。

奥山大史監督はかつてフィギュアスケートをやっていたことがあるのだそうで、撮影も担当している。公開されているメイキングなどを観ると、監督自身がカメラを担ぎ、スケート靴を履いて滑りながら役者たちを追いかけつつ撮影している。こんな芸当は普通のカメラマンにはなかなか難しいだろうし、フィギュアスケートの経験者だからこそなせる技ということになるだろう。

それだけに本作はスケートシーンが何よりの見どころとなっている。印象的なのがスケートリンクに差し込んでくる光だろう。これは実は照明によって人工的に作られたものだという。計算された光だったということで、意識的に光の溢れるような画を生み出しているということになる。とにかくスケートシーンだけでも観るべき価値があるだろうし、とても恍惚とした気持ちにさせてくれるものがあったと思う。

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

三人の主人公たち

タイトルとなっている「ぼくのお日さま」ということからすると、本作の主人公はタクヤ(越山敬達)ということなのかもしれないけれど、そのタクヤが想いを寄せることになるさくら(中西希亜良)も重要な役割を担っている。ネームバリューのある池松壮亮が演じた荒川が主人公と言ってもおかしくない。三人がそれぞれ主人公と言えるのかもしれない。

本作が生まれたひとつのきっかけとして奥山監督が挙げているのが、タイトルにもなっている「ぼくのお日さま」という楽曲だ。これはハンバート ハンバートという男女デュオの曲で、エンドロールでは歌詞付きでまるまる聴くことができる(エンドロールのデザインもいい)。

この楽曲の“ぼく”はいわゆる“どもり”で、言葉がつっかえてしまうという設定だ(※1)。それに合わせて映画『ぼくのお日さま』のタクヤも吃りという設定になっている。とはいえ、この設定は特別な障害を持つ人のことを描こうとしているというわけでもなさそうだ。この設定によって、うまく気持ちが伝えられないということが強調されているけれど、それは普通の人でもあまり変わらないからだ。

「好きなら好きと言えたら」と楽曲の歌詞にもあるけれど、吃りじゃなくてもなかなかそんなことは難しいわけで、その意味で誰にでも通じる部分のある映画になっているのだ。

(※1)楽曲「ぼくのお日さま」の歌詞を読むと、ぼくにとってのお日さまみたいな存在は、“ロック”ということになっているようだ。

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

交錯する視線

タクヤはちょっとどん臭い少年だ。吃ってしまうからそんなふうに思われるのかもしれないけれど、実際にぼんやりしている時もある。夏は野球で、冬はアイスホッケーが、その街の小学生がやるべきこととされているらしいのだが、あまり関心が持てないのだ。そんなタクヤが熱中することになるのがフィギュアスケートということになる。

というよりは、タクヤはフィギュアスケートをしているさくらのことが気になってしまったのだ。つまり恋をしてしまったのだ。さくらに近づきたいと思ったのか、タクヤはアイスホッケーの練習後にフィギュアスケートの練習を始めることになり、それを見ていた荒川が声をかけることになる。

荒川はかつてのフィギュアスケート選手で、BSテレビに出る程度には有名でもあったらしい。さくらの母親(山田真歩)はそれを知り、ミーハー心もあって娘のコーチとして荒川を雇ったのだ。

三人の関係はスケートリンク内での視線の交錯によって示されている。タクヤは彼が「ぼくのお日さま」と感じているさくらから目が離せない。そのさくらは友達が「ちょっといいよね」と噂する荒川のことが気になっているけれど、荒川は教え子であるさくらよりもほかのことが気にかかっているようでもある。そして、荒川の視線の先にいるのがタクヤということになる。荒川は一生懸命にフィギュアスケートを学ぼうとしているタクヤが気になっていたのだ。

三人は荒川の提案で、さくらとタクヤが組んでアイスダンスでの大会出場を目指すことになる。さくらは荒川と二人での練習に割り込む形になったタクヤをあまり快くは思っていなかったのかもしれないけれど、次第にアイスダンスの練習が楽しくなっていく。

この荒川も含めた三人でのやり取りがとても心地いいものになっている。特に凍った湖での練習の場面など、三人の関係がとても麗しいもの見え、いつまでも浸っていたいような気持ちにさせてくれるのだ(ゾンビーズの「Going Out of My Head」の使われ方が最高だった)。

※ 以下、ネタバレもあり!

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

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夢のようなとこじゃない

しかしながら、楽曲「ぼくのお日さま」にもあるように、世界は「夢のようなとこ」じゃないらしく、三人の関係は壊れることになってしまう。そのきっかけには荒川のセクシャリティの問題が関わっている。

荒川はフィギュアスケートの選手を辞め、恋人の五十嵐(若葉竜也)と一緒に住むためにその街にやってきたらしい。さくらはたまたま荒川と五十嵐がじゃれ合う姿を見てしまい、それを荒川のタクヤに対する視線と結びつけてしまったらしい。もちろん荒川はタクヤを性的対象として見ているわけではないのだけれど、さくらは荒川に反感を抱くようになってしまう。

さくらは荒川が自分のほうを向いてくれないのは、タクヤに気があるからだと考え、荒川を拒絶するような言葉を吐くことになる。それによって荒川は正式にコーチを解雇されてしまうことになり、三人の関係は呆気なく終わってしまう。

荒川は雪解けの後、その街を去っていくのだが、五十嵐にこんなふうに語っていた。タクヤの真っ直ぐな姿が羨ましかったのだと。荒川がタクヤのことを羨んでしまうのは、同性愛者の場合は真っ直ぐになれないことが多分にあるからなのだろう。五十嵐にはそれを否定していたのけれど……。

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

端正さがオリジナリティ?

本作のスケートリンクでの光に溢れた映像感覚は、どこか岩井俊二作品を思わせるところがあった。ちなみに岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』では、本作と同じように「月の光」も使われていたから、余計にそんなふうに感じさせるのかもしれない。奥山監督はインタビューで岩井俊二からの影響を語ってもいる。

岩井俊二のファンとしては、似たようなものを求めてしまうところもあって、本作は後半の三人の関係が壊れてからが意外とあっさりとしすぎているようにも感じていた。しかし、後になって振り返ってみると、何も岩井俊二の真似をすればいいわけではないわけで、これはこれでアリなのかとも思えるようにもなってきた。

奥山大史監督のデビュー作『僕はイエス様が嫌い』は、若い学生が作ったとは思えないような出来栄えだった。その印象はとても端正な作品というものだった。もし本作を岩井俊二が撮ったとしたら、恍惚とさせる部分は同じでも、もっとエグい部分に斬り込んでいくことになるのかもしれない。けれども、奥山大史監督の場合はそうではないということなのだろう。

加えて言えば、そもそものきっかけのひとつには「ぼくのお日さま」という楽曲があったわけで、その世界観からすれば、エグいところを突きすぎると別物になってしまうのかもしれない。「言いたいことがうまく言えない」ということがモチーフであり、そこからすれば登場人物が正面からぶつかり合って修羅場になるような展開はあり得ないのかもしれないとも感じられるようになってきたのだ。

さくらは荒川に対してつぶやくように「気持ち悪い」なんて言葉を吐くけれど、彼女が本当に言いたかったのはもっと違うことだったんじゃないだろうか。また、ラストでタクヤはさくらと相対することになるけれど、タクヤがうまく自分の気持ちを伝えられたとは到底思えないわけで、グダグダになってしまうことになるんじゃないだろうか。映画はその前に終わってしまうことになるわけで、あくまで端正さというものが崩れることはなかったのだ。それが奥山監督のオリジナリティということになるのかもしれない。

三人の主人公を演じた役者陣もそれぞれいい仕事をしていた。タクヤ役の越山敬達はすでに子役としても活躍しているとのことで、さくらに夢中になってしまって笑顔が隠せないといったあたりもとても自然だった。そのさくら役の中西希亜良は演技は初心者ということもあって表情は硬かったような気もするけれど、それが思春期の戸惑いみたいにも見えた。

ラスト近くでもさくらがひとりでスケートをする姿がご褒美のように捉えられているシーンがあるのは、奥山監督が彼女のスケートをする姿が余程気に入っていたからなんじゃないだろうか。そして、荒川を演じた池松壮亮は、三人の関係をうまくリードしていたように感じられたし、年下の少女からも好かれてしまうような大人の色気が出ていたと思う。

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