監督は『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』のニコライ・アーセル。
主演は『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』のマッツ・ミケルセン。
原題は「Bastarden」。
物語
18世紀デンマーク。貧窮にあえぐ退役軍人のルドヴィ・ケーレン大尉は、貴族の称号を懸け、ひとり荒野の開拓に名乗りを上げる。しかし、それを知った有力者フレデリック・デ・シンケルが自らの勢力が衰退することを恐れ、ありとあらゆる手段でケーレンを追い払おうと躍起になる。襲い掛かる自然の脅威とデ・シンケルからの非道な仕打ちに抗いながら、彼のもとから逃げ出した使用人の女性アン・バーバラや家族に見捨てられた少女アンマイ・ムスとの出会いにより、ケーレンの頑なに閉ざした心に変化が芽生えてゆく…。そして、それぞれが見つけた希望とは―。
(公式サイトより抜粋)
デンマークの英雄を描く
本作には原作があるようだが、実在したデンマークの英雄を描いた歴史物ということらしい。デンマークでは国土の3分の1ほどがヒースと呼ばれる荒地となっていて、それまでも何度も開拓を試みたけれど無駄骨に終わっていたらしい。主人公のケーレン大尉(マッツ・ミケルセン)は、そのヒースを開拓した人物ということになる。
ケーレンはもともと私生児で、貴族の父が使用人に産ませた子どもだったらしい。彼は庶民の立場から軍隊に入り、地道な努力で何とか大尉まで登り詰め、さらに貴族の称号が欲しくてその仕事に取り組むことになったのだ。
とはいえ、『愛を耕すひと』は荒地開拓の成功物語という趣きはない。舞台となるのは18世紀で、未開の地だからなのかはよくわからないけれど警察組織は未整備のようで、犯罪を取り締まる人は皆無なのだ。そんなわけで本作は無法者たちが登場する一種の西部劇みたいな趣きで、カウボーイは出てこないけれど荒くれ者たちが跋扈する物騒な世界となっている。
ケーレンの仕事はただでさえ厄介なのだが、それを邪魔する者がいる。正式には国王の土地とされているはずの荒地なのだが、それを自分の土地と考えている有力者のデ・シンケル(シモン・ベンネビヤーグ)は、ケーレンに色々と難癖をつけてくるのだ。荒地開拓という自然との闘いよりも、このデ・シンケルとの争いのほうに焦点が当たっていくことになるのだ。

©2023 ZENTROPA ENTERTAINMENTS4, ZENTROPA BERLIN GMBH and ZENTROPA SWEDEN AB
実在の人物だから?
このデ・シンケルという悪役はまれに見るクソ野郎だ。当時は使用人は所有物ということだったのか、彼は逃げ出した使用人をリンチしたり、何の咎もない召使いを腹いせに殺してしまったりもする。それでもその土地の支配者だからか何のお咎めもない世界なのだ。
そんなデ・シンケルがケーレンに突っ掛かってくる理由は、正直、よくわからない。荒地を開拓されると勢力を失うとかなんとか一応の理由はあったりもするのだけれど、単にアホなだけなのかもしれないし、史実としてそういう人物がいただけなのかもしれない。
同じようにケーレンという人物も首尾一貫した人には思えないのだが、これも一応史実をもとにしているからということなのかもしれない。
ちなみに原題は「Bastarden」となっていて、これは「私生児」を意味するらしい。つまりはケーレン大尉のことなのだが、もともとの原作本の英題は「The Captain and Ann Barbara」となっている。ケーレン大尉と一種の疑似家族を形成することになるアン・バーバラ(アマンダ・コリン)がもうひとりの主役扱いとなっているのだ。

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荒地開拓は独りでできるものではないから、ケーレンは周囲から人手を集めることになるのだが、様々な経緯があってケーレンはアン・バーバラという未亡人と、森に潜んでいたタタール人の娘アンマイ・ムス(メリナ・ハグバーグ)と疑似家族を形成することになっていく。
もともとのケーレンは堅物な印象で、愛らしいアンマイ・ムスが傍にいても渋面を崩すことがなかった。アン・バーバラの役割もあくまでも家事を担う者ということであり、恋愛感情みたいなものはない。ケーレンの目的はあくまでも貴族の称号を手に入れることであり、そのためにはデ・シンケルの許嫁とされているエレル(クリスティン・クヤトゥ・ソープ)という貴族のほうが好ましいことになるからだ。
ところがケーレンはいつの間にかにアン・バーバラと愛を育む形になっていく。ロマンチックな馴れ初めがあるわけでもなく、どちらも心はほかの人のところにあるにもかかわらず、身体は温もりを求めてしまうといったあたりがリアルと言えばリアルなのかもしれない。
※ 以下、ネタバレもあり!

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波乱万丈の大河ドラマ
先ほどケーレンは「首尾一貫していない」と記したけれど、というのも彼はデ・シンケルと対立しつつも、一度は金を積まれると気持ちが揺らいでしまったりもするし、家族同然に暮らしていたアンマイ・ムスのことが邪魔になると(肌の黒い子どもは不吉とされたから)修道院に入れてしまったりもするからだ。
ケーレンは間違いを仕出かしてしまう男なのだろう。そのあたりが人間らしい気もする。ただ、彼は一度は間違えても、それを反省し、やり直すことができる男で、買収の金は突き返すことになるし、アンマイ・ムスも自分の手元に取り戻すことになるのだ。
それからケーレンは特段正義の人というわけでもない。デ・シンケルは本作の悪党であることは間違いないけれど、一方でケーレンも軍人としての腕前もあるからやられたらやり返しているわけで清廉潔白の人とも言えない。勧善懲悪の図式に当てはまらないあたりは『許されざる者』などを思わせなくもない。
ケーレンを演じたマッツ・ミケルセンは、こんなことをインタビューで語っている。
「僕が人生でもっとも愛する映画の1つに、『タクシードライバー』があります。若い頃あの映画を観て、僕は衝撃を受けました。好感を持てなかった主人公に共感できたと思ったら、また嫌だと感じたりしたのです。映画館を出て僕は、今観た主人公はまさにリアルだと感じました。現実の世界には、ああいう人たちがたくさんいます。あの映画は、あの主人公だからこそ面白いのだと」
ケーレンという人物もそんなふうにリアルな存在ということなのだろう。本作が英雄の物語だとすれば、その物語の要請上からすれば理解できないような展開をしている。それもケーレンという人物が実在した人物だからなのかもしれない。だからこそ首尾一貫してないように見えたりもするし、ラストの行動は「どこが英雄なのか?」とも思わせなくもない。そんな名声よりも愛を選んだということなのだろう(邦題はそのあたりを示したもの)。
ラストは悪党であるデ・シンケルが成敗されることになり、スッキリとさせてくれる。ケーレンはほとんど何もできなかったけれど、彼と静かな愛を育んでいたアン・バーバラが捨て身でデ・シンケルを殺すことになるのだ。このエピソードにはエレルも絡んでいて、女性たちの結束が悪党退治につながっている。デ・シンケルのクズっぷりは忠実な家来でさえも見放してしまうほどだったので、その死には誰も同情しないわけで、観客としても安心して溜飲を下げることができるというわけだ。
荒涼としたヒースの風景など見どころもあるし、ラストまで退屈させることもなく引っ張っていくエンタメでもあった。マッツ・ミケルセンの抑えた演技は良かったし、牧師役のグスタフ・リンも印象に残った(彼は『罪と女王』に出ていた若者)。そんなわけで悪くはないのだけれど、波乱万丈の大河ドラマといった感じで、それ以上のものにはなり損ねているような……。
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