『爆弾』 人の価値とは?

日本映画

原作は『このミステリーがすごい!2023年版』で1位になった呉勝浩の同名小説。

監督は『キャラクター』永井聡

主演は『木の上の軍隊』山田裕貴

物語

街を切り裂く轟音と悲鳴、東京をまるごと恐怖に陥れる連続爆破事件 すべての始まりは、酔って逮捕されたごく平凡な中年男・スズキタゴサクの一言だった 「霊感で事件を予知できます。これから3回、次は1時間後に爆発します」 爆弾はどこに仕掛けられているのか? 目的は何なのか? スズキは一体、何者か? 次第に牙をむき始める謎だらけの怪物に、警視庁捜査一課の類家は真正面から勝負を挑む スズキの言葉を聞き漏らしてはいけない、スズキの仕草を見逃してはいけない すべてがヒントで、すべてが挑発 密室の取調室で繰り広げられる謎解きゲームと、東京中を駆け巡る爆弾探し 「でも爆発したって別によくないですか?」 ― その告白に日本中が炎上する

(公式サイトより抜粋)

田吾作という愉快犯

田吾作という名前を調べてみると、「百姓・いなか者をあざけった言い方」なのだという。実際にそんな名前の人に会ったことはないけれど、昔は田舎の人に多かった名前ということなのだろうか。本作で佐藤二朗が演じる男は「スズキ タゴサク」と名乗ることになる。

もちろん偽名なのだろう。彼は自らのことを「田吾作」と呼ぶくらいだから、取るに足らない田舎者だと自分のことを卑下している。しかしながら実はそれは見せかけだけで、彼は連続爆破事件の容疑者なのだ。

タゴサクは酒屋で暴れて逮捕されたのだが、刑事との事情聴取が始まると、「霊感で事件を予知できます。これから3回、次は1時間後に爆発します」などと言い出す。そして、その予知は見事に的中することになるのだ。

当然ながらタゴサクが予知能力者であるわけもなく、単に彼が爆破事件の犯人ということになるだろう。タゴサクは一種の愉快犯みたいなもので、世間を騒がすことが楽しくて仕方がないという人間なのかもしれない。それでもタゴサクの予知(というよりも犯行予告)によれば、まだ爆弾は残っていることになる。

警察としてはタゴサクに爆弾の在り処について口を割らせたいのだが、タゴサクは警察をあざ笑うかのようにのらりくらりと追求をかわしていくことになる。タゴサクは無邪気に訳のわからないクイズを始めるのだが、実はその中に爆弾の在り処に関するヒントが隠されている。警察はタゴサクのゲームに付き合わされることになっていくのだ。

©呉勝浩/講談社 2025映画「爆弾」製作委員会

実は似た者同士

佐藤二朗の怪演もあって序盤はとにかく快調だ。ほとんど主演とも言えるくらい佐藤二朗の存在が映画を支配している。基本的には取調室でのタゴサクと刑事のやり取りに終始することになるのだが、外部では多くの警察が爆弾捜しに走り回ることになり、それらを手際よく整理していて観客の興味を惹きつけて離さないのだ。

タゴサクの対話の相手は次々に変わっていくことになるのだが、本作の主人公としてクレジットされている類家が“真打”ということになるだろう。この類家を演じるのが山田裕貴だ。山田裕貴にとって今年は当たり年だろう。今年だけで三本の主演映画が公開されていて、その活躍ぶりは目覚ましいのだ。

『木の上の軍隊』では、沖縄の人という設定で、沖縄人ののんびりしたところを醸し出していたけれど、本作の類家は今風の若者で頭がキレる。見た目も鋭い目を眼鏡で隠して、モジャモジャ頭というこれまでとは違ったキャラになっている。

タゴサクによる類家の評価は、あまりに優秀すぎてほかの人がバカに見えるんじゃないかということになる。本作では二人が実は似た者同士であることが強調されることになる。タゴサクと類家という二人の対決が本作の見どころだろう。

©呉勝浩/講談社 2025映画「爆弾」製作委員会

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人の価値とは?

タゴサクは中盤になって動画サイトに犯行声明らしい動画を上げる。この動画がかなり振るっている。タゴサクはそこでこんなことを語る。

これは無差別テロではありません、厳正な審査の元に裁きはくだされるのです。
浮浪者は殺します。臭いからです。子供は殺します。うるさいからです。妊婦さんは殺します。面積が広いからです。フェミニストは殺します。生意気だからです。外国人は殺します。あいつらみんなギャングかスパイです。前科者は殺します。どうせ、再犯するからです。独身貴族は殺します。子孫を増やす気がないからです。幸せいっぱいの家族もです。不幸は分かち合うものだから。金持ちは殺します。妬ましいからです。

タゴサクの言っていることは無茶苦茶だが、社会に対して何かしらの不満があるのだろう。彼は人間の価値について語る。人間は不平等だというのだ。

彼の考えによれば、タゴサクと日本の総理大臣では、当然ながらタゴサクには価値がないということになるし、未来がある幼稚園児とホームレスを比べれば、当然答えは決まっている。しかしながら、なぜか社会ではそれを認めることは許されないことになっている。人間は平等であるというのだ。タゴサクはそんなキレイごとが許せないのか、彼の基準で人を殺すと言い始めるのだ。

一方の類家はどうか? 類家には至極真っ当な上司・清宮(渡部篤郎)がいる。清宮は真っ当な社会を代表するような良識人なのだろう。一応類家は良識人の清宮のやり方に付き合ってはいるけれど、本当はそれをくだらないことだとも考えているのだろう。だからダゴサクに自分と同じだと指摘されても驚くこともない。

しかしながら類家とタゴサクには違いもある。タゴサクは連続爆破事件を起こして社会を破壊しようとしたけれど、やろうと思えば類家はもっとうまくやれるだろう。それでも類家はそんなことはしない。単につまらないからだ。社会を破壊することは簡単だ。それ以上に、社会を破壊する行為を止めさせることのほうが難しいというのだ。

©呉勝浩/講談社 2025映画「爆弾」製作委員会

種明かしが……

こうした二人の丁々発止のやり取りはなかなか面白かったのだが、本作は種明かしの部分で前半の良さを打ち消してしまっているようにも思えた。実はタゴサクの裏に別の人物が関わってくることになるのだ。

それについて説明しようとすると煩雑になるのでここでは触れないけれど、タゴサクがそれに関わることになる動機がさっぱりわからないのだ。爆弾で人を殺しておきながらも、自分と関係ない人のことなどどうだっていいという態度で「爆発したって別によくないですか?」と澄ましていたタゴサクが、なぜ人助けみたいな真似をするのかがまったく説得的じゃなかったのだ。

そうなってくるとアレだけ息巻いて持論を展開していたのに、あれは何だったのかという話にもなってくる。一応は爆弾はまだ残っているとも言っているし、タゴサクが一体何者なのかも不明なままになっていて、謎は残っているとは言えなくもない。

原作では続編もあるようだし、もしかするとそっちでタゴサクの別の狙いが明らかになったりもするのだろうか? それでもラストでタゴサクが情に厚いみたいな側面を垣間見させてしまったところは、前半の威勢の良さを半減してしまっているし、タゴサクを急につまらない人間にしてしまったようでもったいない気がした。

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