『アット・ザ・ベンチ』 なぜそこに?

日本映画

カメラマンとして活躍している奥山由之の初監督作品。

脚本には生方美久蓮見翔根本宗子、奥山由之が名前を連ねている。

全5編のオムニバス作品。

物語

川沿いの芝生にぽつんとたたずむ小さなベンチ。ある日の夕方、そのベンチには久々に再会した幼なじみの男女が座り、もどかしくも愛おしくて優しい言葉を交わす。その後もこの場所には、別れ話をするカップルとそこに割り込むおじさん、家出をしてホームレスになった姉と彼女を捜しに来た妹、ベンチの撤去を計画する役所の職員たちなど、さまざまな人たちがやって来る。

『映画.com』より抜粋)

豪華なキャスト陣

本作は自主制作作品ということを謳っている。それにも関わらず、なぜかキャストがかなり豪華だ。広瀬すず仲野太賀に、岸井ゆきの岡山天音、さらには今田美桜森七菜草彅剛吉岡里帆などの商業映画でも主役クラスの役者陣が勢揃いしているのだ。自主制作なのになぜなのだろうと誰もが思うんじゃないだろうか。

それに対する答えは私が知るはずもないのだが、監督を務める奥山由之という人物の人脈があるということなのかもしれない。奥山由之は今回が初の監督作品ということだが、カメラマンとしては若くしてかなりの成功を収めている人とのこと。そんなこともあって豪華な役者陣が顔を出してくれたということなのかもしれない。第1話と第5話に登場する広瀬すずは、奥山由之にかつて写真集を撮ってもらっているようで、そのつながりから本作の出演に至ったということなのだろう。

また、奥山由之の弟は『ぼくのお日さま』を撮った奥山大史ということらしい。先に映画監督デビューしていた弟さんの尽力があったのかどうかは知らないけれど、映画界にもう一組の兄弟監督が誕生したということになる。二人で一緒の作品を撮るダルデンヌ兄弟やコーエン兄弟などとは違って、それぞれ別作品に携わる形だからリドリーとトニーのスコット兄弟みたいな形になっていくのだろうか。

まあ、それだけだと「だからどうした?」とも言われそうだが、ほかの兄弟監督が映画界で確固たる地位を築いていることからすると、何となく期待させるものがあるとは言えるかもしれない。

©2024 Yoshiyuki Okuyama/Spoon Inc, All Rights Reserved.

なぜそこにあるの?

『アット・ザ・ベンチ』の舞台となるのは、川沿いにある寂れたベンチだ。実際の場所としては二子玉川のどこかということらしい。このベンチはなぜそんなところに設置されたのかちょっと首を傾げたくなるような位置にある。公園の中でもないし、その先に取り立てて美しい風景が広がるわけでもないからだ。だからこそ、そんな妙な場所にあるベンチを舞台にしてオムニバス作品を撮りたかったということなのだろう。

本作の各エピソードは、それぞれ別の脚本家によって書かれている。各脚本家がそのベンチから自由に想像を膨らませているのだ。

第1話では、その周辺はもともと公園だったのだが、何らかの要因で公園はなくなり、そこにあったそのベンチだけがひとつ取り残されたという設定になっている。また、第3話ではほかのベンチは洪水によって流されたとも噂され、さらに第4話ではそのベンチ自体も役所の係員によって撤去の話が進められているということになっている。

最初の縛りとしてそのベンチを使うという大前提があり、各エピソードはそれを利用する人の会話が中心となって展開していく。それでもそれと同時に、そのベンチがどういう経緯でそんなふうに妙な場所にポツンと設置されているのかという、ベンチの来し方行く末にも意識が向けられているのだ。

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バラエティに富んだ姿

各エピソードとも場所は全部同じだ。まったく同じベンチを舞台にして展開していく。ところが意外にもあまりそんなふうには感じられない。これは奥山由之監督が作品全体を見渡して、色々と撮り方を工夫しているからだろう。

第1話と第5話は幼なじみの二人(広瀬すず仲野太賀)を背後から撮る形になっている。なぜ背後から撮っているのかと言えば、二人の微妙な距離感覚が重要だからだろう。二人は第1話の時にはちょっと距離があるのだが、それが会話のやり取りの中で次第に縮まっていく。その後日談である第5話では、二人は手をつないで去っていくことになるのだが、その二人の距離感は背後からだとよく見えてくるのだ。

第2話では第1話とは反対に正面からあるカップル(岸井ゆきの岡山天音)を捉えている。撮る方向が変わるわけで、見えてくる風景も変わってくる。第1話及び第5話では二人の向こう側には沈む夕陽が見えていたのに対し、第2話では二人の背後には見ず知らずのおじさん(荒川良々)が配置されていているのだ。時間的にも第1話と第5話が夕暮れ時がメインとなっているのに対し、第2話はピクニック日和の暖かな日差しがあるお昼時ということになる。

さらに第3話では天候も一転し、雨の中での姉妹のやり取りになる。第3話はベンチの周囲を動き回るような形で忙しなくケンカが展開していくことになる。薄暗い雲に覆われた景色ということもあり、これまた別の場所のようなイメージになっている。

そして第4話はかなり風変りな撮り方で、最初は真上からの視点で撮られていたかと思うと、なぜかベンチからの視点に移行したりもする(なぜベンチからの視点なのかは、後に明かされることになる)。

同じベンチでも、その視点の位置や切り取り方次第でバラエティに富んだ姿を見せることになるのだ。自主制作ということもあって予算はあまりかけてないと思われるけれど、撮り方次第でいくらでも面白いものになるという“いい例”になっている。

©2024 Yoshiyuki Okuyama/Spoon Inc, All Rights Reserved.

広瀬すずの横顔

それぞれのエピソードを書いた脚本家としては、第1話と第5話の生方美久は、テレビドラマ『silent』を書いた人であり、第2話の蓮見翔はお笑いの人でコントを書いたりしているらしい。それから第3話の根本宗子は演劇界の人で『もっと超越した所へ。』を撮った監督でもある。まだ若いけれど注目すべき脚本家を奥山監督が選んだということなのだろう。

第1話の広瀬すずは本作のコメントの中で「視界にカメラが一切ない現場」と語っている。これはすでに記したように、ほとんどが二人の背後にカメラがあったからということになる。そして、カメラは向き合った二人の横顔をじっくりと捉えていくことになっていく。

奥山監督は広瀬すずの写真集も撮っていて、その表示を飾っているのも彼女の横顔だった。奥山監督は広瀬すずの魅力を横顔に見出しているのだろう。本作でもその魅力をじっくりと堪能することができる。

©2024 Yoshiyuki Okuyama/Spoon Inc, All Rights Reserved.

第3話は会話というよりはケンカになる。男を追って東京に出たものの、家すらない状態になってしまった姉(今田美桜)を心配した妹(森七菜)が、彼女を連れ戻しにやってきて大ゲンカになるのだ。かわいらしいばかりというイメージの今田美桜がとち狂った女を演じているのは意外だった。

第4話はかなりの変化球だ。実はこれは奥山由之監督が脚本も書いている。ベンチの来し方行く末という点からすると、この話が一番奇想天外だ。途中からはなぜかメタ・フィクションのような予想外な転がり方をしていく。

第2話は劇場でも一番観客の反応が大きかった一編で、カップルの痴話ゲンカが展開される。女にとって彼氏は最初から彼女が望むものからちょっとだけズレている人だったらしい。それでもあまりにも些細すぎることだから言う機会を逸してしまっていたのだが、それが溜まってくると次第に許せなくなってくる。そんな鬱憤がベンチで爆発することになるのだ。

確かにピクニックでベンチに座って食べるとするならば、寿司ではなくてパンがいいと思う。言いにくい不平不満も寿司ネタに譬えれば、というよりそれを間に挟めば言えてしまうという……。長い間放置される荒川良々の表情もおかしい。

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