監督・脚本はドキュメンタリー作品『何も知らない夜』のパヤル・カパーリヤー。本作は長編劇映画としては第1作とのこと。
カンヌ国際映画祭ではインド映画として初めてグランプリに選出された。
原題は「All We Imagine as Light」。
物語
インドのムンバイで看護師をしているプラバと、年下の同僚のアヌ。二人はルームメイトとして一緒に暮らしているが、職場と自宅を往復するだけの真面目なプラバと、何事も楽しみたい陽気なアヌの間には少し心の距離があった。プラバは親が決めた相手と結婚したが、ドイツで仕事を見つけた夫から、もうずっと音沙汰がない。アヌには密かに付き合うイスラム教徒の恋人がいるが、お見合い結婚させようとする親に知られたら大反対されることはわかっていた。そんな中、病院の食堂に勤めるパルヴァティが、高層ビル建築のために立ち退きを迫られ、故郷の海辺の村へ帰ることになる。揺れる想いを抱えたプラバとアヌは、一人で生きていくというパルヴァティを村まで見送る旅に出る。神秘的な森や洞窟のある別世界のような村で、二人はそれぞれの人生を変えようと決意させる、ある出来事に遭遇する──。
(公式サイトより抜粋)
ムンバイの市井の人々
『私たちが光と想うすべて』はインド映画だけれど、「ボリウッド」と呼ばれて括られるような歌と踊りを中心としたエンターテインメント作品とはまったく別ものだ。
インド映画だって全部が「ボリウッド」作品ではないわけで、たとえば『あなたの名前を呼べたなら』のようなちょっとアート寄りの作品もなくはないのだろうが、日本でお目にかかることは滅多にないということだろう。ちなみに「ボリウッド」とは、ムンバイという都市の旧称である「ボンベイ」と映画の都「ハリウッド」を組み合わせた言葉だ。
本作の舞台となるのもそのムンバイなのだけれど、なぜか本作ではかなり雨のシーンが多い。ハリウッドは雨がほとんど降らないから撮影に適しているとされたらしいけれど、ムンバイはそうでもなさそうだ。インドは雨季と乾季がハッキリとしているらしいので、この作品の撮影は雨季に行われたということなのかもしれない。
冒頭、カメラが移動撮影してドキュメンタリーのように夜のムンバイの街の様子を捉える。そこに誰とも知らないムンバイの人たちのモノローグが被さってくる。それらの声をかなり大雑把に要約すれば、「人生、色々と辛いよね」、そんなふうに言っているようにも聞こえた。
インドは今ではヒンドゥー教の人が大半を占めるようだが、仏教の発祥の地でもある。その仏教の開祖・釈迦の悟りの出発点にある言葉は「一切皆苦」だとされる。世の中のすべては「苦」であり、この「苦しみ」とは「思い通りにならないこと」なのだという。
インドでは仏教は衰退してしまったようだが、ムンバイの街の人の声を聞いていると、仏教の言っていることは今でも正しいことのように思える。本作に描かれる女性たちも、そんなふうに苦しんでいるのだ。

©PETIT CHAOS – CHALK & CHEESE FILMS – BALDR FILM – LES FILMS FAUVES – ARTE FRANCE CINEMA – 2024
運命は避けられない?
そこから物語はムンバイの病院に勤める二人の女性の話へと移行していく。なぜかシスターと呼ばれているプラバ(カニ・クスルティ)は、病院の看護師をまとめる立場にある。年下の同僚であるアヌ(ディヴィヤ・プラバ)は、彼女のことを“プラバ姉さん”と呼んでいるけれど、単なるルームメイトということらしい。
プラバはお見合いで結婚したのだが、その夫はドイツに仕事を見つけて帰ってこないらしい。今ではほとんど連絡もとらないのに、なぜか炊飯器を送ってきたりする。プラバは病院のドクターから言い寄られたりもしているのだが、夫がいることもあって、その関係を先に進める気はなさそうだ。プラバは古臭い考えの持ち主なのか、ちょっと堅物なところがあるのだ。
一方で、アヌは若いだけに奔放にも見える。彼女の親もアヌにお見合い写真を送りつけてくるものの、彼女はそれを無視している。アヌには彼氏のシアーズ(リドゥ・ハールーン)がいるからだ。しかし、彼はムスリムだから、反対されるのはわかりきっているから親には言えないらしい。アヌは「奔放にも見える」と書いたけれど、彼との付き合いがバレると面倒なことになることは理解していて、夜にデートするのも、人の目を気にしながらになる。
プラバもアヌも、何かに縛られているようだ。インドではお見合い結婚が多いのだろうか。女性としては、親が選んだ相手と結婚することは、ほとんど避けられないほど厳格なものなのか。そのあたり、インドについて何も知らない私にはわからないけれど、プラバはアヌに対して「運命は避けられない」とも言っているから、プラバはそんな諦めの気持ちもあって旦那と結婚したのかもしれない。

©PETIT CHAOS – CHALK & CHEESE FILMS – BALDR FILM – LES FILMS FAUVES – ARTE FRANCE CINEMA – 2024
心に沁みるラスト
本作は後半になると、ムンバイから舞台が変わる。病院の食堂で働いていたパルヴァティ(チャヤ・カダム)が田舎に戻ることになったからだ。プラバはパルヴァティのことを気にしていたのだが、彼女は長く住んでいた家からの立ち退きを要求され、単に書類がないためにそれを受け入れざるを得なくなったのだ。パルヴァティの引っ越しに付き合う形で、プラバとアヌも田舎の村へついていくことになる。
村にバスが到着するシーンは、それを上から捉える視点から撮られていた。その村は海辺の場所で、カメラはバスの到着を見届けると、ゆっくりパンして海の広がりを捉えることになる。雨ばかりだったムンバイとは違う場所に来たことを印象づけるシーンになっている。そして、村ではムンバイとは対照的に明るい陽光が射し、二人はそこで“光”を見出すことになるのだ。
冒頭のモノローグでは、思うままにならない人生の辛さみたいなものを感じた。このモノローグは中盤にもあり、そこでは「ムンバイの街は夢の街とも言われるけれど、実際は幻想だ」とされる。しかし、同時に「幻想を信じないと気が変になる」という声もあった。
二人が村で体験したのも、一種の幻想だったのだろう。アヌはムンバイでは何度も邪魔されていた彼氏との逢瀬を満喫する。プラバは海で人助けをするのだが、それがなぜか疎遠だった夫に成り代わってしまう。

©PETIT CHAOS – CHALK & CHEESE FILMS – BALDR FILM – LES FILMS FAUVES – ARTE FRANCE CINEMA – 2024
幻想というのも様々だけれど、アヌの場合は「旅の恥はかき捨て」というように羽目を外しただけと言えなくもない。しかし一方のプラバの場合は、幻想に逃げ込んだというものにはなっていない。プラバは夫の幻想と相対することで、自分の状況を改めて確認したのだろう。そして、彼女は幻想の夫に「否」を突き付けることで、新しい生き方をしていくことになるのだろう。それはプラバのアヌに対する接し方の変化に表れている。「運命は避けられない」と言っていたプラバは、その考えを改めたのかもしれないのだ。
村の洞窟の中には恋人たちの永遠の愛を刻む落書きと一緒に、「自由」という言葉が刻まれていた。プラバもアヌも何かに縛り付けられているように見えた。恐らく多くのインドの人もそんなふうに感じているのかもしれない。だからこそ「自由」などという言葉を刻まなければならないのだ。
尤も、そう簡単に「自由」になれるわけではないのだろう。とはいえ、プラバがアヌやその彼氏と寄り添う姿を見ていると、そこには何かしらの希望も感じないではなかったし、ラストの浜辺のカフェのカラフルな光がとても温かいものに感じられた。大きなカタルシスがあるわけではないけれど、しみじみと心に沁みるようなラストだった。




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