原作は中條ていの同名の連作短編小説。
監督は『彼女が好きなものは』などの草野翔吾。
脚本には市井昌秀、佐々部清、草野翔吾の三人の名前が挙がっている。
主演は『ヴィレッジ』などの黒木華。
物語
ウェディングプランナーとして働く梓(黒木華)のもとに、ある日突然届いたのは、親友の叶海(藤間爽子)が命を落としたという知らせだった。交際相手の澄人(中村蒼)との結婚に踏み出せず、生前の叶海と交わしていたトーク画面に、変わらずメッセージを送り続ける。同じ頃、叶海の両親の朋子(西田尚美)と優作(田口トモロヲ)は、とある児童養護施設から娘宛てのカードを受け取っていた。そして遺品のスマホには、溜まっていたメッセージの存在を知らせる新たな通知も。
一方、金婚式を担当することになった梓は、叔母の紹介でピアノ演奏を頼みに行ったこみち(草笛光子)の家で中学時代の記憶をふいに思い出す。叶海と二人で聴いたピアノの音色。大事なときに背中を押してくれたのはいつも叶海だった。梓は思わず送る。「叶海がいないと前に進めないよ」。その瞬間、読まれるはずのない送信済みのメッセージに一斉に既読がついて……。
(公式サイトより抜粋)
「相身互い」とは?
タイトルの「アイミタガイ」というのは、漢字で書くと「相身互い」となる。私は初めて聞いたけれど、『忠臣蔵』では「武士は相身互い」という形で使われているらしい。意味としては、「同じ境遇にある者どうしが同情し、助け合うこと」だ。
本作ではそんな辞書的な意味よりも、もっと「相身互い」という言葉を拡大解釈しているということかもしれない。劇中でこの言葉が使われるのは近所で起きたボヤ騒動に対して、そのボヤを起こした老婆の息子が謝罪に訪れた時のことだ。謝罪を受けた側は、「そんなことは相身互いなんだから」と返すことになる。
簡単に言えば、「お互い様なんだから気にしないで」といった意味合いになるわけだが、その後の語られる注釈によれば、もっと別の意味が込められていることもわかってくる。「情けは人の為ならず」という言葉があるけれど、それに近いのかもしれない。
人に親切にすれば、それはその相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分に戻ってくるのと同じで、人の想いというものが巡り巡って自分にも回ってくるという意味で捉えられているのだ。
前に進めない人たち
『アイミタガイ』は群像劇であるが、一応の主人公となるのは黒木華が演じる梓だ。梓は親友の叶海(藤間爽子)を事故で亡くすことになる。中学以来の親友だった叶海が死に、梓はいつまでもそのことを受け入れられずにいる。決して返事が来るわけもないのに、未だに叶海にメッセージを送り続けているのだ。
亡くなった叶海はプロのカメラマンをしていて、そのきっかけは梓が彼女を後押ししたことだったらしい。叶海もそれを自覚していて、梓が悩んだ時には相談に乗ると約束していたのだ。そして、今、梓は恋人・澄人(中村蒼)との結婚のことで悩んでいた。梓は叶海に後押しして欲しかったのに、その叶海が死んでしまい、梓は前に進むきっかけを失ってしまったのだ。
群像劇としてほかの重要な登場人物は、叶海の両親(西田尚美と田口トモロヲ)ということになる。この二人が前に進めない理由はわかりやすい。まだ若い娘が自分たちよりも先に逝ってしまったわけだから。
さらにもうひとりの重要人物がこみち(草笛光子)という93歳になるお年寄りだ。彼女が前に進めない理由は、かなり昔の出来事が関わっている。こみちは戦争の時代、若い兵士たちを彼女が弾くピアノで戦場へと送り出してしまったのだ。こみちはそのことでピアノを弾く資格がないと感じて生きてきたというわけだ。
本作の登場人物たちは、それぞれ何らかの理由で前に進めなくなっているというわけだ。
後押しする他人の善意
叶海の両親は、ある手紙から亡くなった娘の生前の善行を知る。自分たちが知らないところで娘がしていた行動に、叶海の両親は励まされ、前を向くことになるのだ。そんなこともあり叶海の母親は、たままた出会った梓が前に進めるようなメッセージを送ることになる。
叶海の母親は、梓が叶海に送り続けていたメッセージを読んでいて、梓が自分たちと同じような辛い立場にあると理解していたからだ。
また、ピアニストのこみちは、梓と叶海が中学時代に聴いていた「遠き山に日は落ちて」を弾いていた人物だと判明する。この曲は「遠き山に日は落ちて」という歌詞で始まる曲としてよく知られているけれど、かつては「Goin’ Home」という別の歌詞の曲が日本では「家路」と呼ばれて知られていたらしい。同じメロディだけれど、歌詞は別なのだ。
こみちはその曲を「家路」のつもりで弾いていたのだ。かつて自分が戦場に送り出してしまった兵士たちに、「家に帰ろう」というメッセージを込めて、いつも夕方にその曲を弾いていたのだ。
その曲は中学時代の梓と叶海を後押ししてくれた大切な曲だ。そして、大人になった梓が、今度はこみちが前に進むための後押しをし、こみちは再びピアニストとして舞台に立つことになる。
さらに奇跡的なファインプレーは梓の恋人・澄人の行動だ。彼のちょっとした善行が、偶然にも叶海の父親に亡くなる前の叶海に会わせてくれることになるからだ。
希望の星になれるか?
そんなふうにして並列的に進行していたいくつかの物語が最後につながってくることになる。何によってつながるのかと言えば、それぞれの人の善意ということになるだろうか。
とてもいい話だ。少々やり過ぎているところはある。それでも叶海の父親が吐露するように、そんな「話を信じたい」というのが製作陣の気持ちということなのだろう。
叶海の父親はこんなことを言う。「いい人しか出てこない小説は噓くさいと思っていたけど、今はそういうものを信じたい」。本作はいい人しか出てこないわけで、そういう意味では噓くさいだろう。
しかし、現実世界では闇バイトによる強盗事件が頻発していたりするわけで、「人を見たら泥棒と思え」ということわざがすんなり受け入れられそうな殺伐とした時代だ。そんな時代には、人々が善意でつながるという希望を描くことも重要だという判断なのかもしれない。
そのことに関しては大いに同意できるけれど、同時に今ひとつ物足りない気もしたというのが正直なところだ。本作は登場人物がみんないい人で、やさしい気持ちになれるだろう。誰かが本作を『夜明けのすべて』と比較していたけれど、確かにどちらもやさしい気持ちにしてくれる映画だと思う。それでも『夜明けのすべて』とは違って、本作を絶賛する気になれないのは、脚本がすべてでそれ以外の「プラスα」がなかったように思えたからかもしれない。
それでも役者陣のアンサンブルは魅力的だった。ピアニストのこみちとして登場するのが草笛光子だ。役柄では93歳という設定なのだが、実際にはもっと若いのだろうと思っていたのだが、ご本人も90歳を超えているとのこと。モノクロの古い映画の時代からその美貌は拝見していたわけだけれど、未だに元気な姿を見せてくれるのは、同世代やこれから老いを迎える人たちにも希望の星なんじゃないだろうか。
『Cloud クラウド』では悪役としていい味を出していた吉岡睦雄が、本作ではいい人役で顔を出している。タクシー運転手の車屋という男なのだが、このタクシーの場面は本作で一番泣かせるところかもしれない。
黒木華は主演として周囲をつなぐ役割という感じで、役柄としてそれほどの面白みはなかったかもしれない。ウェディングプランナーであるにも関わらず、結婚というものには疑問を抱いている。そんな梓の背景はちょっと触れられるだけで、頼りないと感じていた恋人など、彼女自身が周囲の人の魅力を発見する立場なのだ。
そんな意味ではやや物足りなさもあったけれど、最後の最後に嬉しいオマケがついてくる。エンドロールで流れる歌声がとても印象的なやさしい歌声で、この声の主が誰なのかと気になっていたのだが、それが実は黒木華の声だったのだ。最後の最後にとても癒される気がした。
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