『リアル・ペイン〜心の旅〜』 理想と現実

外国映画

監督・脚本はジェシー・アイゼンバーグ。役者としては『ソーシャル・ネットワーク』などでお馴染みの顔だが、監督としては今年始めに日本でも劇場公開された『僕らの世界が交わるまで』がデビュー作で、本作が第2作とのこと。

アカデミー賞では脚本賞と助演男優賞(キーラン・カルキン)にノミネートされている。

原題は「A Real Pain」。

物語

ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)は、亡くなった最愛の祖母の遺言で、ポーランドでのツアー旅行に参加する。従兄弟同士でありながら正反対の性格な二人は、時に騒動を起こしながらも、ツアーに参加したユニークな人々との交流、そして祖母に縁あるポーランドの地を巡る中で、40代を迎えた彼ら自身の“生きるシンドさ”に向き合う力を得ていく。

(公式サイトより抜粋)

タイトルが示すもの

『リアル・ペイン〜心の旅〜』は、ユダヤ人の二人がポーランドへのツアー旅行に参加するロードムービーだ。邦題で付け足されている「心の旅」というのはちょっといただけない気もするけれど、個人的にはとても心に沁みた作品だったので、そんなふうに言ってみたくなるのもわからないではない。

とはいえ、この邦題は間違いではないのだが、幾分か観客をミスリードしてしまう部分もあるのかもしれない。どうにも真面目くさったハートウォーミング的作品のように思えてしまうからだ。しかし、そもそもの原題にはもっとシニカルなニュアンスもあるらしい。原題は「A Real Pain」となっているけれど、これをそのまま日本語に訳せば「本当の痛み」ということになるけれど、英語のニュアンスとしては「面倒くさいヤツ」ということにもなるらしいのだ。

このタイトルが示される時は実は2回あって、どちらもキーラン・カルキン演じるベンジーの顔と一緒に示されることになる。冒頭近くと、ラストシーンの2回だ。つまりは本作においてはベンジーこそがタイトルロールであり、ベンジーは「面倒くさいヤツ」なのだ。

本作において主人公となっているのが、監督・脚本を担当したジェシー・アイゼンバーグが演じるデヴィッドなのだが、原題はこのデヴィッドから見たベンジーへの複雑な感情が入り混じったものであり、デヴィッドから見たベンジーは「面倒くさいヤツ」ということなのだ。

©2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

ホロコースト・ツアー

デヴィッドとベンジーはいとこ同士だ。二人の亡くなった祖母はポーランド人であり、ホロコーストの生き残りとしてニューヨークへ渡った人物ということになる。その祖母が二人にポーランド行きのための金を遺していたということもあって、今回のツアー旅行に参加することになったのだ。

人懐っこくて社交的なベンジーは、ツアーメンバーの中心的存在となっていく。どちらかと言えば人付き合いが苦手なデヴィッドとは対照的だ。ベンジーは離婚して独りでツアーに参加しているマーシャ(ジェニファー・グレイ)に親しく声をかけ、ルワンダの虐殺の生き残りで今はユダヤ教に改宗したというエロージュ(カート・エジアイアワン)には、率直にその感動を伝えることになる。ベンジーはとても感受性豊かで、それを周囲と共有することに遠慮がない。だから周囲のみんなは彼のことが好きになっていくのだ。

しかし、時にベンジーは気分にムラがあるようにも見える。ポーランドのユダヤ人はかつて貨物列車に詰め込まれて収容所へと送られることになったわけだが、その収容所を目的地とするそのツアーは一等車に陣取って豪華なランチ付きとなっている。そんな状況にベンジーは疑問を感じてしまうのだ。そうなると途端にベンジーは周囲にクソを撒き散らすような態度になってしまう。

ベンジーは両極端だ。ワルシャワ蜂起記念碑では、巨大な像をバックにした記念撮影を率先し、ツアー一行を巻き込みつつ大いに盛り上がることになる。その一方でかつてのユダヤ人が感じた「真の痛み」(劇中では「true pain」という言い方をしている)にも敏感になり過ぎるほどで、そうなると周囲とは軋轢が生じることになってしまう。

デヴィッドはそんなせわしないベンジーをなだめすかして、周囲に対してフォローするような役割になっていくのだ。だからこそベンジーはデヴィッドにとって「面倒くさいヤツ」ということになる。

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ユダヤの「痛み」と……

ちなみに本作の監督であり脚本も書いているジェシー・アイゼンバーグはユダヤ系であり、ポーランドにルーツがあるということも劇中のデヴィッドたちと共通しているらしい。そんなわけで本作では、ユダヤ人の「痛み」というものが描かれていく。

劇中のツアー一行が目指すメインの目的地はルブリン強制収容所だ。本作は終始ショパンのピアノ曲が流れているのだが、これはショパンがポーランド出身だったことによるものらしい。ただ、ルブリン強制収容所の場面では、ショパンの音楽も急に鳴りをひそめ、静かに強制収容所の跡地を見せていくことになる。

多くのユダヤ人が殺されたであろうガス室には未だに青い色が残っているのだが、これは毒ガスの成分が壁にこびりついたものなんだとか。そうしたホロコーストの跡地と向き合った時のツアー一行の表情を、本作は何の台詞も交えずにただシンプルに提示することになる。

とはいえ、本作においてより焦点が当てられるのは、「痛み」そのものよりもデヴィッドから見たベンジーの姿であり、デヴィッドがベンジーに向ける複雑な感情のほうになるのだろう。

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「痛み」に対する感受性

そもそも二人がこのツアー旅行に参加したのは、ベンジーが半年前に自殺未遂したことがきっかけになっているようだ。デヴィッドとしてはいとこがそんなことをしたのを心配し、ポーランド旅行に誘ったということになる。

ベンジーが自殺未遂をした直接的な原因が何なのかはわからない。祖母が亡くなったことなのかもしれないし、何か別のことがあったのかもしれない。しかしながら劇中で描かれるように、ベンジーが極端に感受性が豊かであることがひとつの要因となっていることは間違いないだろう。

デヴィッドとベンジーは対照的とも記したけれど、その一方でベンジーは冗談で自分たちは腰からつながって生まれてきた兄弟みたいなものだとも語る。つまりは一種の分身みたいなものとも言えるだろう。ところが分身にも関わらず、二人は対照的な生き方をしているように見えるのだ。

そして、デヴィッドは旅の過程で、ツアー同行者たちにベンジーに対する複雑な感情を吐露することになる。デヴィッドはベンジーに対して強い憧れのようなものを抱いている。しかしそれと同時に人騒がせなところには憎しみも感じていて、時に殺してやりたくなるとも言う。なぜならベンジーは誰からも好かれるような魅力的な人物であり、同時に一緒にいるのがイヤになってくるほど面倒なヤツでもあるからだ。

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理想像と現実的な姿

デヴィッドから見ると、ベンジーはある種の理想としてあるのかもしれない。ベンジーは人のことは気にせずに堂々と自分らしく生きているからだ。しかしそうした姿は理想ではあっても、現実社会を生きていくにはあまり相応しくないのかもしれない。感受性が豊かであれば、「喜び」や「楽しみ」はもちろんのこと、「痛み」も増大して感じられてしまうからだ。

このツアーではユダヤ人の「痛み」を感じることになるけれど、世界には「痛み」はそれだけではない。ルワンダの「痛み」もあるし、世界を見渡せば「痛み」には限りがないことになる。ある程度、感受性を制限しなければ、どこかで自らの領域を制限しなければ、日常生活を送っていけないことになる。だからベンジーは未だに現実社会とうまく折り合いをつけられないでいるのだろう。

一方でデヴィッドは現実に対応した生き方をしている。極端にハメを外すこともなければ、「痛み」に極度に心を動かされることもない。そんなふうに感受性を制限しつつ、日々をこなしていくことになる。

デヴィッドが「痛み」を感じる領域は、ニューヨークにいる家族などごく限られた領域ということになるのだろう。そして、そこにはベンジーも入ってくる。ただ、そんなふうに自分の感受性を制限することは窮屈でもある。だからベンジーのことが羨ましくなったりするというわけだ。

本作の二人のキャラにモデルが存在するのかはわからないけれど、私には片方が理想像であり、片方が現実的な姿だというふうに思えた。もちろんデヴィッドが現実的なそれで、ベンジーは理想像ということになる。

そして、多くの観客はデヴィッドの視点から本作を観ることになるのだろうと思う。デヴィッドに共感してしまうのだ。デヴィッドから見たベンジーは自由で羨ましいものにも映るけれど、その一方でそのやり方ではうまく現実世界を生きていけない危うさもあるのだ。ベンジーになりたいけれど、ベンジーになるとうまく生きられないというわけだ。そんな複雑な感情が本作を心に沁みるものに仕上げていたと思う。

終わってから気づいたのは、独り身女性を演じていたのが『ダーティ・ダンシング』ジェニファー・グレイだったこと(本当に久しぶりだ)。それからツアーガイド役だったのは『エマニュエル』ウィル・シャープで、あちらの謎めいた雰囲気とは別人の佇まいとなっていた。

とはいえ、本作で一番印象的なのはベンジー役のキーラン・カルキンだろう。あのマコーレー・カルキンの弟さんということだが、今後は兄貴に代わってさらに活躍しそうだ。そして、本作の脚本・監督を務めたジェシー・アイゼンバーグのことも忘れてはならないだろう。デビュー作『僕らの世界が交わるまで』はスルーしてしまったけれど、そちらも気になるし、今後も楽しみな存在となった気がする。

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