脚本は『花束みたいな恋をした』、『怪物』の坂元裕二。
監督は『ラストマイル』の塚原あゆ子。
主演は『ラストレター』の松たか子。
物語
結婚して15年になるカンナは、ある日、夫の駈を事故で失ってしまう。いつしか夫婦生活はすれ違っていて、離婚話も出ていたが、思ってもいなかった別れ。しかしカンナは、駈とこちらも思ってもいなかった再会を果たす。しかもそこにいたのは、初めて出会ったときの駈。
ひょんなことから、彼と出会った15年前の夏にタイムトラベルしてしまったカンナは、若き日の駈を見て思う。やっぱりわたしはこの人が好きだ。まだ夫にはなっていない駈と出会い、カンナは再び恋に落ちる。
時間を行き来しながら、20代の駈と気持ちを重ね合わせていく40代のカンナ。事故死してしまう彼の未来を変えたい。過去が変われば未来も書き換えられることを知ったカンナは、思い至る。わたしたちは結婚して、15年後にあなたは死んだ……だったら答えは簡単。
駈への想いとともに、行き着いた答え。
わたしたちは出会わない。結婚しない。
たとえ、もう二度と会えなくてもーー 。
(公式サイトより抜粋)
夫が死なないように……
昨年の大ヒット作『ラストマイル』の塚原あゆ子監督と、『怪物』で今まで以上に評価を高めた坂元裕二の脚本というだけでも注目の作品。さらには何となく大物感すら漂う松たか子が主演で、その相手役としては今年の日本アカデミー賞でも最右翼となるであろう『夜明けのすべて』の松村北斗という布陣というわけで、多くの観客が期待を寄せる作品になっていることは間違いないだろう。
ジャンルとしてはいわゆる「タイムトラベルもの」ということになる。このジャンルは腐るほど作品があるわけで、それを手練れの脚本家である坂元裕二がどんなふうに料理するのかも気になるところだ。
主人公のカンナ(松たか子)は、夫の駈(松村北斗)を亡くして独り身だ。駈は駅のホームに転落した子どもを救うために犠牲になり、轢死してしまったのだ。ところがそんなカンナがひょんなことからタイムトラベルをしてしまうことになる。
カンナがタイムトラベルしてたどり着いたのは、15年前のある1日(2009年8月1日)だ。その日はカンナが夫である駈と出会った日だ。カンナはその日に駈と出会い、その後に結婚することになる。そして、15年後のカンナはそのタイムトラベルを利用して、駈が死なないように未来を変えようと奔走することになるのだ。

©2025「1ST KISS」製作委員会
タイムトラベルの設定
まずは『ファーストキス 1ST KISS』のタイムトラベルの設定について触れておく。タイムトラベルのための方法は首都高速のトンネルを通ることなのだが、ここはたまたま崩落事故があった場所で、そこが修繕されてしまうとタイムトラベルが不可能となってしまうと説明される。
また、トンネルを抜けてたどり着くのは、15年前の同じ1日であり、しかも若かりし頃のカンナが現れる夜8時までしかそこに居られないことになっている。そして、タイムトラベルから戻ってくる時間は現在時で、その時間は今までと同じように流れていることになる。
このタイムトラベルの設定は結構雑とも言え、タイムトラベルの回数が限られているわけでもなさそうだ。カンナは調子に乗って、若い駈との再会を楽しんでいるところすらあるからだ(心に刺さった台詞を何度も聞きたいがためだけに無駄に回数を消費してしまったりもしている)。
本作はテンポよく最終目的地へと向かうようなタイプの作品ではない。これはラストの展開とも合致しているのだろう。カンナはタイムトラベル自体を楽しんでいるとも言えるし、一種のループに閉じ込められているようにも見える。
そもそもカンナが15年前の若い駈に再会した時も、その再会に驚きはしても、喜んでいる様子もなかった。というのも、二人は結婚して15年も経ち、修復できないところまで関係は冷め切っていて、離婚届を提出する段階だったのだ。
駈は離婚届を持ったまま電車に轢かれることになり、カンナは「どうせなら離婚届を提出した後にしてくれれば」とひとりで愚痴を言ってしまうような間柄だったのだ。夫を亡くした妻というキャラにも関わらず、カンナはあっけらかんとしていて、カンナを演じる松たか子のコメディエンヌぶりも微笑ましいコメディとなっているのだ。対する松村北斗も『夜明けのすべて』のクールさとは違って、古代生物の研究者というウブなオタク青年を好演している。
さらに言っておけば、本作は坂元裕二の書く気の利いた台詞を存分に楽しめる作品ともなっている。「恋愛感情と靴下の片方はいつかなくなります」とか、「結婚すると正しさが持ち込まれます」とか、そんな台詞がカンナと駈との軽妙なやり取りの中で交わされていくのがとても楽しい。それでも個人的にはラストのある点が気になってしまった。以下は、それについて考察めいたものを書きたいと思う。
※ 以下、ネタバレもあり!

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ラストへの疑問
カンナは駈が轢死するという結末を変えようとし、トライ&エラーを繰り返すことになる。駈が死んだ当日の行動を変えるために、たとえばコロッケを嫌いになるようにしてみると、なぜか甘党になってしまうだけで、事故死する結末は変わらない。とはいえ、未来が変えられないというわけではない。
次には線路に飛び降りるのではなく、駈に緊急停止ボタンを押すように仕向ける。この変更によっては、別の結末が生じることになる。その緊急停止ボタンが押されたことで脱線事故を引き起こすことになり、多くの死者を出すことになってしまうのだ。
カンナの仕事仲間の杏里(森七菜)は、時間のあり方を過去・現在・未来がミルフィーユみたいに層になっていると表現する。この考え方は決定論みたいなものなので、だとすればすでに未来も決まっていることになる。とはいえ、タイムトラベルを実際に体験しているカンナは、未来が変わることを見ているわけで、だとすれば杏里の説が間違っているということなのだろうか?
不思議なのは、カンナが駈の事故死を回避させたと思しきターンがあるにも関わらず、なぜかそれで映画が終わらないということだろう。
このターンには里律(吉岡里帆)という女性が関わってくる。彼女は駈が死ぬ当日にたまたま出くわしていたのだという。そして、彼があまり幸せではないということに気づいたと語り、「わたしと結婚すればよかったのに」とカンナにわざわざ恨み言を伝えに来るのだ。カンナはこれをきっかけに自分と駈が結婚しない未来を選択させるために、駈に対して酷く冷たい態度を取り、彼を突き放すことになる。
ただ、この後にカンナが現在時へと戻った描写がかなり曖昧なものになっていて、そのターンによってどんな変化が起きたのかはわからないのだ。駈が訪れていたと思しき博物館にカンナが行く場面が挟まれるだけで、なぜか次の最終ターンへと移行してしまうのだ。
このあたりは本作がこのタイムトラベルの設定をうまく処理できていないようにも感じられた。というのも、次の最終ターンでも、カンナが現在時へと戻った場面は描かれないからだ。この点が妙に気になってしまったのだ。

©2025「1ST KISS」製作委員会
それを発動させるもの
ラストのターンではカンナの失敗によって、駈に未来に起きることがバレることになってしまう。駈は自分が2024年の7月10日に死ぬということを知ってしまうのだ。とすれば、自分でもそれを回避するために方法を考えようとするのが普通だろうけれど、駈はそうはしない。
駈はカンナと自分が結婚することと、さらには離婚寸前だったことも知る。好き合って結婚したにも関わらず、なぜそんなことになってしまったのか。
駈はカンナから知らされたことから、変えるべきなのは結末ではなく、そこ至るまでの過程であり、15年間の家庭生活のほうだと考えるのだ。そして、駈は今目の前にいる15年後のカンナに逢いたいと語り、二度目のプロポーズをすることになる。その時のキスが駈の「ファーストキス」ということになる。
そこから先は駈の視点となって描かれる。駈は再びカンナと結婚し、今度は寝室を別にすることもなく、いい関係のまま最期の日を迎えることになる。
これはこれでとてもいい話で、感動的でもある。もちろんそれはわかるのだけれど、私はラストのタイムトラベルの後に現在時へと戻ったカンナの姿が描かれないところが引っかかってしまったわけだ。実はそこが気になって、つい2回目を観てしまい、その上でこのレビューを書いている。

©2025「1ST KISS」製作委員会
本作のタイムトラベルの設定は結構雑なものだし、整合性が取れているのかどうかもよくわからないけれど、それでも本作を好意的に解釈すれば、以下のようになるのかもしれない。
本作においてタイムトラベルが発動する瞬間は、カンナが3年待ちの餃子をダメにしてしまい、首都高速のトンネル内で「餃子を焼く前に戻りたい」と願ったことからだったとも言える。つまりは「やり直したい」という思いが、タイムトラベルというイベントを発動させることになっているのだ。
そこからタイムトラベルがスタートし、カンナは一種のループにハマっていく。駈を救うために何度もトライ&エラーを繰り返し続けることになるのだ。ただ、駈と結婚しない結末を選んだターンでは、恐らく駈が死なない結末になったにも関わらず、そのループから脱出することにはならなかった。というのは、これではカンナが「やり直したい」という気持ちが収まらなかったということなのだろう。
人生においては「やり直したい」ということはいくつもある。誰だってそんな後悔を抱えているわけで、だからこそ「タイムトラベルもの」は人の心に訴えるものがあり、人気のジャンルであり続けている。
再び繰り返すけれど、ラス前のターンでは、駈の命を救っていたはずだ。しかしながら、それではカンナの後悔というものが解消されるわけではないし、それは駈自身も望まないだろう。駈はカンナとの結婚を選べば2024年7月10日に死を迎えることを知りつつも、15年後のカンナに逢うことを選択したわけだから。
カンナはラストのターンですべてを打ち明け、それによって15年間の幸せな結婚生活を送ることができた。本作の最後には3年待ちの餃子が届くことになるけれど、それは駈がすでに料金支払い済みのものだった。タイムトラベルのループが始まるのは、その後ということになるわけだけれど、カンナにはかつてのように「やり直したい」と切実に願うような後悔はなかったんじゃないだろうか? 15年間も幸せに暮らし、最後も「いってらっしゃい」という挨拶を交わして別れたわけだし……。
たとえば駈が死なない未来があったとしても、夫婦仲が変わらなければ結局は二人は離婚することも変わらないわけで、だとすればどちらにしろ後悔することになるのかもしれない。そうなると結局「やり直したい」という気持ちは生じてしまうわけで、いつまで経ってもループから抜け出せないということになる。
「やり直したい」という気持ちがなくなれば、ループから抜け出すことになり、そもそものタイムトラベル自体が発動しなくなり、本作に最初に描かれていたタイムトラベル自体も消えてなくなる。だからラストでは未来に戻ったカンナの姿は描かれることはない。
本作がそんなふうに設定されているのかどうかはわからないし、これではタイムパラドックスが生じることになるのかもしれないけれど、もう一度本作を観たらそんなふうに解釈もできるのかとも思えるようになってきたのだ。駈ではないけれど、結末を知っていると、感じるものも別様になるということもあるのかもしれない。
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